6−19 馬鹿野郎が

 竜人時であればよく動く口から、珍しく言葉が出てこない。誰もが静止した空中で、セイルは頭上に位置取っている敵ふたりを――とりわけ目立つ色をした、新たな人物の姿を見つめた。


「……」


 こちらを冷たく見返す表情には驚かされるものの、残った服装や装備からしてもやはり見間違いではない。背まで落ちた金髪に、血が固まったかのような紅い角。夕陽を思わせる橙に輝く鱗は、すでに身体の多くを覆っている。時折、小さなトゲが連なった長い尾だけがゆらゆらとぬるい空気を混ぜていた。


「お前……本当に、騎士なのか」

「おやおや、悲しいですね。ほんのひとときの別れだったというのに、もう仲間の顔をお忘れになってしまったとは」


 ようやく口に出せたひとことに答えたのは、腕だけを竜人化させている元使用人だった。自分たちの敵がすぐとなりに浮かんでいるというのに、異形姿となった仲間はぴくりとも反応しない。


「ええ、そうですよ。この者は貴方たちの仲間、リクスン・ライトグレンです」

「!」

「失礼。仲間だった、と申し上げたほうが正確でしょうね? 今は私の、忠実なる僕です」


 いつもならば怒鳴り返すだろう仲間の、騒がしい声は上がらなかった。セイルは金色の目を細め、沈黙を貫くリクスンを見る。自分と同じ異形の光をたたえた瞳はこちらを見返していたが、奇妙に視線が合わない。


(セイル……)

「テオギス。あいつの様子」

(うん、自我が感じられない。竜人に成った影響か、それとも強力なケーラ魔術で操られているのか)


 竜の賢者はいつもと変わらぬ冷静な分析を寄越したものの、声には覇気がない。動揺を必死で押し殺しているような声だった。その悲痛な友の声を耳にし、ようやくセイルの心がふつふつと煮立ちはじめる。


「おい、クサレ使用人……ソイツに何しやがった」

「貴方も王女様と同じで、奇異な質問をしますね。ご覧のとおり、貴方たちから“戦力”を削ぎ、こちらの“手駒”を増やしただけです。合理的でしょう?」


 さらりと答えたオルヴァはヒトの手を伸ばし、長い金髪の先に触れる。愛でるという素振りではなかったものの、その瞳には満足げな光が宿っていた。


「ふむ、悪くない出来です。魔力増幅による各部の破損、裂傷なし。鱗の出現箇所はまばらですが、四肢が奇形にならなかっただけでも及第点でしょう。さすが、炎の魔力を身に宿すまで待った甲斐がありましたね」

「! てめえ、ナントカの儀式のことまで」


 リクスンが火竜たちの儀式に向かってから、まだ数時間しか経っていない。敵側に情報が渡るには早すぎる。目を丸くしたセイルを楽しげに見返し、敵の薄い唇は弧を描いた。


「ええ、なかなかの奮闘ぶりでしたよ。貴方の妹君による献身も大きかった」


 その言葉に、セイルの頭から冷静さが吹き飛ぶ。思い切り鼻にシワを寄せ、竜人は空の彼方に響きそうなほどの大声を出した。


「エルシーはどうしたッ!?」

「さて、どうでしょう? 貴方のそのような顔を見ていると、意地悪したくなります」

「ざけんな!!」

(セイル!)


 心中からの制止を振り切り、竜人は宙を駆った。さきほどの驚きで大戦斧にまとわせた紅い光は消え失せていたが、そんなことにも気づかずに振りかぶる。澄ました顔をしている半端竜人の白い首筋だけを狙い、鈍色の光を疾らせた。


 刹那感じたのは、鱗を焦がすほどの熱。


「!」


 金属がぶつかる硬質な音が響き、曇天を裂く。セイルは己の大戦斧と打ち合っている相手の得物を――そして、その持ち主であるもうひとりの竜人を見た。


「騎士!」

「見事な剣でしょう? 儀式の褒美として、不死鳥から賜ったものです」


 リクスンの顔には相変わらず表情がないが、新たな得物からはすさまじい魔力が立ち昇っている。その相反した様子を見たセイルは歯噛みし、思わず大きな声を出した。


「こンの――目ェ覚ませ、馬鹿! てめえが何してるか分かってんのか!?」

「……」


 長剣が一瞬強く輝いたかと思うと、緋色の炎がごうとその刀身を包む。蛇のようにうねるそれはクレアシオを伝って駆けのぼり、セイルの手に噛み付いた。鱗ごしにでもその熱は肌を灼き、竜人はたまらず呻く。


っ!」

「毎朝の手合わせのような気持ちでいると、怪我では済みませんよ。彼は貴方を殺す気でいますからね」


 戦斧を大きく振って鍔迫り合いを脱し、セイルは敵から距離を取った。心中から友が安堵する息遣いが伝わってくる。しかし現実に耳を打ったのは、敵の冷めた声だ。


「まあ、少しくらい当てていただいても良かったのですけれど」

「何だと」

「こちらも確かめたいことが山積みなので。失礼しますよ」

「!?」


 そう言った瞬間、オルヴァは異形の手をしならせた。セイルが目を見開くと同時、騎士の二の腕からパッと鮮血の花が咲く。


「何しやがる!」


 わずかに腕に絡まっていた紅い騎士服を、さらなる真紅が染めていく。鱗ごと裂かれた傷は竜人から見ても痛々しいものだったが、当の騎士はやはり無表情だった。


「ああ、残念。治癒力はまったく見られませんね。悲しいですがやはり、私の血では“あの御方”のようにはいきそうもありません」

「てめえの血だと」

「ええ。きっかけはあの地下闘技場で与えた傷から。潜り込ませた血は微量でしたが、ケーラで培った増幅魔術が役に立ちましてね。少しの間、彼の中で同居させていただきましたよ――ちょうど貴方と、その内に住まう“賢者”のように」

「!」


 自分と同じく、心中から息を呑む音が聞こえる。しばしの間を置き、賢者はうなるような低い声で呟いた。


(そうか……それで最近のリンの不調にも説明がつく。彼はずっと、この竜人による支配とひとり闘っていたんだね)

「……ッ、馬鹿野郎が!」


 苛立ちと共に、セイルの心中に濃霧のような感情が立ち込める。言わなかったのではなく、言えなかったのだとしたら。


“――自分の内側から声が聞こえるというのは、どのような気分なのだ”


 火山に到着してすぐ、そんな問いを向けられたことを思い出す。得物の熱した柄を握る拳に力がこもり、異形の爪が硬い皮膚に食い込んだ。


「ヒトにしては、強靭な精神の持ち主でしてね。こちらも毎夜悪夢を見せて気力を削り、この山に入ってからは絶えず精神に語りかけ……涙ぐましい努力を重ねたのです」

「性悪使用人が。やり方が汚ねえんだよ」

「うふふ、ありがとうございます。少々時間がかかりましたがおかげでこうして、見事主人の“鞍替え”が済んだというわけですよ」


 言いながら、オルヴァは新たなる部下の頭部に手を伸ばす。金髪の間から突き出た角に細い指を這わすと、一瞬だけ橙色の鱗を持つ身体が跳ねた。しかし竜人リクスンは抵抗する素振りを見せず、やはりそのまま静止している。


「本当に……アイツの犬になっちまったってのか」


 セイルは密かに身震いした。仲間にも伝えていない事柄だが、実は竜人にとって角は大切な器官である。許可なく触れてほしくないし、他の部位とは違って損傷させたくないと感じる繊細な箇所だ。それを文字通り犬のように撫でられて平気なはずがない――ならば。


「さて、苦労して作り出した玩具ですが……時間がありませんね」

「?」


 使用人の言葉に、セイルは身を低くした。リクスンを連れて逃亡を図る気ならば、絶対に逃しはしないと思ったからだ。


 しかし灰色の竜人が告げたのは、まったく別の企みであった。


「言ったはずです。竜人の力に深く踏み込んだ者は、最早ヒトには戻れないと。それに、彼は完全なる適合者ではなかったようだ。内部では早くも、竜人の魔力との反発がはじまっています。残念ながら、私の拠点まで持ち帰る時間はなさそうですね」

「な……!?」


 主人の言葉に導かれるようにして、リクスンの口端に血の玉が浮かぶ。つうと垂れたその赤い一筋には本人は気づいていないようだったが、セイルは戦斧を構えたまま身を硬くした。


「時間がないだと」

「ええ。ですから、急いで仕事を済ませましょう。まずは貴方の揺るぎない忠誠を見せてください、リクスン。新たな主を戴いたとなれば――のはもう、要らないですよね?」


 冷たい光を浮かべた瞳が地上へと向けられるのを見たと同時、セイルの前から橙色をした竜人の姿が掻き消える。


「り……リン、なんですか……?」

「!」


 竜人化して格段に精度を増した聴力が捉えたのは、驚愕に震える女の声。ヒトの数倍はあろうかという視力が眼前の光景のように映し出したその虚ろな表情に、セイルは声の限り叫んだ。


「姫さんッ!!」


 ぐるんと戦斧を振って方向転換し、セイルは先に降下していく影を追う。しかし翼で空を打つ前に、がくんと身体が傾いた。


「うふふ。彼を追うのは無粋というものでしょう」


 敵に背を見せた一瞬が仇となった。腹部に巻きついた巨大な灰色の手を見下ろし、セイルは捕縛者に向かって吼える。


「くそッ――離しやがれ!」

「見守ってあげましょうよ。信じ合った元主従の、美しい別れなんですから」

「……っ、逃げろ姫さん! それか防御だ!」


 同族の耳が拾えない忠告ではなかったはずだ。それでも王女は硬い地面の一点から動かない。いや、動けないのだろう。その空色の瞳が混乱と絶望に陰っているのを悟り、セイルは全力で身を捩った。


「フィルッ――!!」

(フィル!)


 その叫びは自分のものか、賢者のものか。拘束から抜け出ようと無理に引っ張った筋肉がぎしりと悲鳴を上げるが、かまわず竜人は身を乗り出した。


「おい止まれ、騎士ッ! 後悔じゃ済まねェぞ!!」

「……」


 燃え盛る火の玉のように墜ちる、新たな竜人。

 しかしその瞳は今や氷よりも冷たく、目標物である女の頬を伝う涙も見てはいない。


 緋色の宝剣を脇から前方へ突き出すのを見た女の唇が、かすかに震える。


「リン」



 炎と閃光が炸裂し、火山を覆う赤土を照らし出した。


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