6−17 試してみますか

 その昔。南の地からふらりと飛来し、大火山のすべてを自身の住まいと定め、気ままに火の雨を降らせていた不死鳥がいた。


 古くから火山の住人であった火竜たちはその横暴さに困り果て、薬の材料を探しに立ち寄ったという“知恵竜”と呼ばれる魔法使いに泣きつく。かの紫竜は遠慮なく不死鳥を地へと堕とし、山肌を穿って作り出した縦穴へとその身を封じ込めた。


“のう、我が悪かったって。良い子にする故、出してくれぬか?”

“俺っちが次にこの火山の近くを通った時、出してあげるよ”

“それ何十年、いや何百年先の話なんじゃ!? 頼む、火竜たちと仲良くするから”

“うーん。まあアイツらあんな厳ついのに、優しいからねえ。じゃ、お前が今日からこの火山の護り神になりなよ”


 以来、不死鳥ファレーアは火竜たちの守護者として働き、時折若者たちの修行に力を貸すことを定められた。


“くそう、ウロコじじいめ! いつかあの長い髪に火をつけてやろうぞ”


 しかし暮らしてみればそれはそれで心地よく、今ではすっかり火山に居ついた不死鳥なのだった。





「ええい、忌々しい! これほどの炎を浴びてなぜ屈さぬのだ」


 不死鳥にまつわるそんな歴史など知らぬ若者――リクスンは、いまだ炎の大楯を構えてしっかりと地面を踏み締めていた。


「はっ……!」


 もう何度の攻撃に耐えてきただろうか。魔法の炎から煙は発生しないものの喉は灼けるように痛み、重い魔法を受け続けてきた身体は悲鳴を上げている。


「手を出さず、耐えてきた甲斐があったようだな……。少し冷静さを取り戻したとお見受けする。不死鳥よ」

「む」


 火傷を負った頬を持ち上げて騎士が笑むと、不死鳥の目がすうと細くなった。怒りではなく、呆れのような色が覗いている。


「ふん。普段の儀式5人分ほどに相当する炎を吐き続ければ、そうもなってくるというものじゃ。それに」


 細い首を傾げ、ファレーアがリクスンから視線を移す。その先に揺蕩うのは、無数の紅き光だ。荒れ狂う火山の主を鎮めるためか、今はその多くがリクスンの楯に群がって輝いていた。


「山の精霊たちよ、なぜこの若造に味方する。“精霊の隣人”である娘の差し金か?」

「いいえ、あたしはなにもしていないわ」


 無言の精霊たちにかわって答えたのは、騎士の背後にいる少女だ。洞穴の暑さに汗を流しているものの、その白い四肢には傷ひとつついてはいない。


「精霊たちがみずからの意思で、リンさんに力を貸しているのよ」

「守護者である我に逆らってまでか? 自惚れるな!」


 真紅の翼を力任せに交差し、生み出された炎がまっすぐにリクスンの正面へと迫る。騎士は琥珀の瞳を開き、冷静に炎の軌道を見極めた。うねってはいるが、力試しという名の通り小細工は施されていない――ならば純粋に、力をもって跳ね返すのみ。


「火の粉ひとつも通さんと言ったはずだ!」


 気合の声と共に、宙空にそびえる壁のような楯に魔力を叩き込む。夕陽がさらに灼熱したかのごとき緋色に染まり、楯は見事に攻撃を打ち消した。


「ううむ……」


 こちらの堅牢さを見た不死鳥はしかし、悔しさも怒りも吐き出しはしない。するどいくちばしの隙間から、思考に沈む声が聞こえた。


「良い火じゃ。一瞬見えた、あの邪の気配も今は感じられなんだ……。若造、お主の潔白を信じて良いのか?」

「あなたが何を疑っているのかわからないけれど、今見ているのはリンさん自身の力よ。あたしも火の精霊たちがこれほど猛っているのは初めて見るわ。これでもまだ、力不足だっていうの?」


 背後からひょこと顔を覗かせた少女、その物言いは相変わらずの恐れ知らずである。リクスンは楯を保持したまま振り向こうとしたが、守護者のたじろいだ声が耳を打つ方が早かった。


「う、うぬぅ……あいわかった。お主の力は十分に示された。これにて儀式を終了する」

「!」


 ファレーアの声とともに、縦穴の温度が急降下する。地面の至るところでくすぶっていた不死鳥の炎も消え失せ、命を解かれた精霊たちも攻撃的な色を潜めてふわりと散開した。


「お……終わったのか?」

「うむ。楯を降ろすが良い、頑固なヒト――いや頑健なる王国騎士、リクスンよ」


 威厳高く放たれた終了宣言に、リクスンは知らずと詰めていた息を胸から吐き出す。集中が緩んで炎の大楯が闇に溶けると、どっと疲れが押し寄せた。思わずわずかによろめくと、すかさず背後から華奢な腕が伸びてきて支えてくれる。


「リンさん、やったわね! 儀式をやり遂げたんだわ」

「ああ……」

「楯があったとはいえ、少し火傷したでしょう。診せて」


 肩を支えてくれるエルシーがこちらを見上げ、白い指を伸ばしてくる。汗が光るその可憐な顔は、負傷の心配と儀式突破の喜びによって彩られていた。リクスンは胸の内が奇妙に揺さぶられるのを感じ、慌てて顔を背けて叫ぶ。


「こ――これくらい、何ともない! 先の治癒で十分だッ」


 頬の火傷はまだひりひりと傷んだが、エルシーに触れさせまいと首を伸ばしてその指を逃れる。“救護係”は諦めたようなため息をひとつ落とし、焼け焦げた袖がまとわりつく剣腕を勝手に調べはじめた。


「ええい、うるさい。我とて分かっておるわ」


 行き場のないリクスンの視線が辿り着いた先では、火山の精霊たちに群がられた不死鳥がなにやらぶつぶつと喋っている。


「この若者ほどの気概ならば、褒美を取らせるに値すると言いたいのじゃろ。選定せねばならんのじゃ、ちいと待て。あーめんどくさ……」


 精霊たちになかば追い立てられるようにして、不死鳥は見事な翼を広げふたたび宙へ昇った。その姿が縦穴の上部で輝く宝物群へ向かうのを見、リクスンと少女は揃って目を丸くする。


「すごいわ、何か貰えるみたい! お兄ちゃんたちに自慢できるわね」

「ありがとう。君のおかげだ、ホワード妹」

「えっ!?」


 洞穴を見上げていた大きな瞳が、驚いて自分を見つめ返す。それほど自分は彼女と日頃言い合っていたのだろうかと心中で苦笑しつつ、騎士は続けた。


「治癒はもちろんだが、その……道中での君の励ましがなければ、俺はこの場に辿り着くことさえ出来なかった。感謝している」

「そ、そう……かしら」

「同時に、あのような苦しい記憶を見せたことを申し訳なく思う」


 支えられたままでも自分のほうが背が高かったが、リクスンはできるだけ金髪頭を下げて謝罪の意を示した。しかしそれを跳ね除けるかのように、ぐっと少女は自分を押し上げて言い放つ。


「そんな風に思わないで! 自分で視るって決めたんだから」

「ホワード妹……」

「それに、あ、あたしだって……あなたのことを少しは知れて、嬉しかったし」


 この暑さが原因にしてはやけに強い朱色が、少女の頬を染めている。またしても不思議な胸の痛みを感じたリクスンだったが、仲間はすばやくキッとこちらを睨み返した。


「そうだわ。喜ぶのはいいけど、訊きたいことがあるのよ。分かってるわよね、騎士様?」

「う……」


 その眼光の強さに思わず後ずさりたくなったが、仲間はがっちりと背に手を回して離さない。リクスンは観念した息を落とし、少女を見返した。自分の失態のせいで彼女を危険に晒したことは事実だ、説明する責任もあるだろう。


「身体の異変を感じたのは、あのサルーダスの屋敷を出てからだ――」


 そう切り出してみても、身体の奥底から這い上がってくるあの冷気は感じられない。オルヴァはなぜか現在、完全に自分から目を離しているようだ。リクスンは包み隠さず、自分の状態を少女に伝えた。


「たっ、大変じゃない! どうしてすぐに言わなかったのよ。ああ分かった、自分のせいでフィルの旅路に遅れを出したくなかったんでしょう。もう、この任務馬鹿!」

「す、すまん。ここしばらくは、不思議と奴の支配が薄れた気がするのだが」

「それでも、このまま放置はできないわ」


 狼狽からの立ち直りは相変わらず早い。聡い少女は今後のことに思考を巡らせているのか、忙しく目を動かして続ける。


「リンさんの目を通して、あの元使用人にあたしたちの情報が漏れているかもしれない。それが一番怖いわ」

「そう、だな……。姫様に顔向けできん」

「一緒に言ってあげるから。フィルなら怒るんじゃなくて、まずあなたの身を心配すると思う。みんなそうよ。……あ、あたしだって」


 言葉の最後だけもごもごと口ごもった少女に首を傾げたリクスンの前方に、音もなく赤い影が降下してくる。


「あーどっこらしょ。ふう、か弱き美鳥の脚には重い一品じゃて」

「ファレーアさん!」

「邪魔して悪いの、若者ども。しかし冷えた地面を嫌がるわりに、こいつは重いんじゃ。取りに来い、騎士」


 エルシーにひとつうなずき、リクスンはひとり風を発生させずに羽ばたいている不死鳥の元へ歩み寄った。差し出した両手の上に、ずしりと重量を持つ長剣が授けられる。


「これは……!」


 美しい剣だった。年季の入った緋色の鞘は宝石のひとつも飾られてはいないのに、この火山が抱く熱を思わせる深みがある。不思議と手に馴染む柄を握って引き抜くと、淡い朝日色に輝く刀身が現れた。


「炎の宝剣“イグノシス”。お主の魔力に一番興味をのぞかせておる。攻めにも守りにも秀でた業物じゃ。すぐに使いこなせよう」


 ふんぞり返っている不死鳥の自信を裏切らない、紛れもない逸品。義兄が持つ宝剣に似た魔力を感じ、リクスンの胸は躍った。地に立てれば自身の首下にまで達しそうな大剣だが、それほど重さを感じない。木こりがもつ大戦斧と同じように、不可思議な力が働いているのかもしれなかった。

 

「ありがたく頂戴いたします」

「はーぁ、疲れた! 羽の手入れをするゆえ、迅速に引き返すがいい。族長にはこの羽をみせておけ。儀式終了の証を寄越してくれるはずじゃ」


 雑にそう言った不死鳥は翼からひとつ羽根をむしり、ぽいとこちらへ放った。剣を支えていたリクスンはぎょっとして手を伸ばしたが、風のように走ってきた少女が無事に“赤い証”を捕まえてくれる。


「うん。これで全部終わったのね」


 嬉しそうに証を物入れにしまうと、エルシーは緑髪を垂れて言った。


「色々と失礼なことを言ってごめんなさい、ファレーアさん。でもありがとう」

「いいや、お主のように燃える娘は好きじゃ。どうか健やかにの――身体も、心もな」

「どっ、どういう意味!? あたしはいつだって」

「そういうところじゃぞ。ま、これはふたりともと言うべきか。知恵竜にもよろしくな」

「会わないの? 今やってる作業が終わったら、呼んできましょうか」

「い、良いッ! 誰があんなくそじじいに」


 先ほどまで火花を散らして睨み合っていたとは思えない、和んだ会話。リクスンは脱力し、賜ったばかりの長剣の柄にこつんと額を預けた――その瞬間だった。


「うっ……!?」


 覚えのある悪寒が身体を駆け抜け、びくりと全身を強張らせる。その体勢のまま動けなくなり、首筋から嫌な汗が吹き出した。


「な、んだ……これは……!?」


 悪寒の正体は分かっていた。しかし今までのものとは、何やら違う感覚もある――まるで自身の四肢が失われたかのような、欠落感。


(おや、一番良い場面を見逃してしまったようですね)

「き、さまッ……!」

(うふふ、しかし良いでしょう。不死鳥が隠し持つ宝物とやらも無事入手できたようですし。ちょうど“こちら”にも、貴方が活躍できる場が整ったところです)


 予想に違わず聞こえてきたのは、あの元従者の声だった。今までより大きく聞こえるそれは、まるで耳元でささやかれたかのごとく鮮明なもの。同時に、洞穴のくすぶった岩の匂いばかりを吸い込んでいた鼻が、不思議な香りを察知する。


「あ……」


 連想させるのは、赤。

 頭に浮かんだのはあれほど見慣れた炎ではなく――もっと生々しく滴るもの。


 ぱきぱき、と小さなものが軋むような音がする。リクスンは唯一自由の利く目で、音の発生源である自身の腕を見た。


(ふむ、橙色ですか。貴方らしい色ですね)

「な」


 這うように手を侵食しているのは、鈍く輝く橙色をした鱗だった。氷が張りつくかのごとく広がりを見せるそれに目を奪われていると、頬や鼻梁にも同じ感覚が走る。次いで背中を痛みが突き抜け、一瞬息が止まった。


「か……ッ」


 首はひねれないが、視界の端に“それ”は否応なく映り込んでくる。血をまとって身から突き出したのは、同じ橙色をした翼。皮膜の中で脈打つ血管が見え騎士は身震いしたが、叫び出すこともできなかった。


(どうですか、新たな力は? 素晴らしい魔力の昂りでしょう――少し、試してみますか)

「! やめ」


 わずかにこぼれた抵抗の声を掻き消し、シャラと涼しげな音が耳を打つ。傷を治してもらったばかりの腕が、静かに褒美の剣を鞘から引き抜いた音だった。


「リンさん? どうかしたの」


 黙り込んでいる自分に気づいたらしいエルシーが、歓談の笑顔そのままにこちらに振り向く。いつの間にか一歩地を蹴っていたリクスンは、少女がきょとんとした表情へと変わる様を間近で見ることになった。


「え」


 優れた動体視力を持つはずの少女の目は、己の首に迫る白刃を見てはいなかった。大きな茶色に映り込んでいるのは、容赦無く剣を振りかぶる見覚えのある男の姿。


 これは――誰だ?


「何をしている、騎士ッ!」


 ガン、と大きな音と共に、リクスンの腕に衝撃が走る。鉄の扉に斬りかかったかのような痺れを感じたが、それは不自然なほど早々と消えていった。見ると、眼前を覆い尽くし少女を守っている真紅の壁がある。


「お主、どうしたのじゃその姿は!?」


 とっさに割って入ったファレーアが、己の翼を広げてエルシーを救ってくれたらしい。飛び退いたリクスンを確認した不死鳥は、わずかに声を震わせて呟いた。


「この力の胎動……ケーラではない。もっとふるく、強力な――まさか」

「リンさんっ! うそ……どうして」


 2人の驚きように、リクスンは立ち尽くした。理由を教えてくれと乞うよりも早く、見えない糸に吊り上げられるかのようにして剣腕が静かに上がる。しかし誰に斬りかかるわけでもなく、手入れの行き届いたその刀身は鏡の役割を果たして自身の姿を映した。


「……ッ!!」


 いつの間にか枝葉を伸ばすように伸びた金髪、その間から突き出した紅い角。

 引きつった頬に追従するのは、洞穴の暗さには不釣り合いな橙色の鱗。

 そして叫びすら消失した口から覗く、鋭利な牙。


(さあ、こちらへ……主人わたしの元へ駆けつけるのです。新たな“竜人”――リクスンよ)

「!」


 その声を聞くと、見慣れぬ身体から力が抜けるようだった。いや、抜け出ているのは物理的な力ではない。大波に呑まれる小枝のごとく、騎士の意識はとぷんと闇に沈んだ。


(ようやく意識を手放しましたか。さて、ついでにこの場の制圧もしておきましょうか。合流されると色々厄介そうですし)


 最後に耳にしたのは楽しげに話す涼しげな声と、それから――



「リンさん、やめて!」



 もう思い出すことも叶わないの、懇願の声だった。


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