6−16 寛いでくれ
「ああ、やっとその姿を見せてくれましたね! やはり美しい……心底羨ましいほどです」
「相変わらず気持ち悪ィ奴だな」
曇天を仰いだオルヴァが歓喜に震えるのを見、竜人セイルは牙の間から舌をのぞかせて呻いた。
「そもそもてめえも“成れば”いいじゃねえか、この変態使用人。その翼だけで
俺に勝つ気でいるんじゃねえだろうな?」
「ご冗談を、それほど自惚れてはおりませんよ。ただ、私たちの事情もご存知のはずでしょう? 私たち――貴方たちの言い方に沿えば、“半端竜人”でしたか――にとっては、この力は諸刃の剣であることを」
ぼきぼき、という不吉な音と共に敵の腕が隆起をはじめる。ヒト用のシャツを引き裂いて膨れ上がった片腕は、翼と同じ灰色。長い爪と荒々しい鱗が並ぶその腕が姿を表すと、場に満ちている魔力がいっそう重厚さを増した。
「ヒトと化け物の境界を踏み越えんとする、この狂気と歓喜……堪りませんね」
「そうか? 俺にゃ分かんねえ感覚だな」
「貴方と王女様は、とっくに踏み越えているのですよ。それがどんなに驚くべきことか、お分かりではないようですが」
凶悪な指を揺らめかせるオルヴァは、物欲しそうな視線をこちらへと寄越す。
「身体と精神のすべてを竜人の力に呑まれてしまえば、その者はもはやヒトや竜の
「だから出し惜しみしてんのか。不便だな」
「ええ、実に歯痒いことです。しかし私もまだ、果てたくはないものですから」
たしかにヒトの部分に相当な負荷がかかっているのだろう、能面の顔にはわずかな汗が浮かんでいる。取り繕うためか、元従者は新たな話題を提示した。
「そうそう。貴方たちが楽しく旅を続ける間にもその病、いや現象にもようやく名がつきましたよ――巷では、“竜人狂い”と呼ばれています」
「なっ!?」
この言葉に反応したのはフィールーンである。空中で抱えられているという状況も忘れ身をよじった彼女を、セイルは慌てて抱え直した。それにも気づかない様子で王女は呟く。
「お父様の手紙には、ここしばらく発生の報告は上がっていないと」
「調べが足りないのも当然です。王国とはつながりのない果ての小国や、まずしい土地に住まう部族のあいだで広がっているのですからね。この情報は、私からの贈り物だと思ってお受け取りください」
異形の腕をしなやかに垂らして腰を折る従者に、セイルは鼻にシワを寄せて唸った。
「その礼に大人しく捕まって、自分の実験材料になれってか? ふざけた野郎だ」
「光栄です」
「褒めてねえんだよ、だから」
「セイルさん、私は荷物になります! 降ろしてください」
そう懇願する仲間を見下ろし、竜人はツノを戴いた頭を左右に振る。
「駄目だ。こいつは1対1の勝負なんぞに興味はねえ。きっとお前さんを狙う」
「うふふ。囚われの姫がいるほうが燃えるじゃありませんか?」
「ほらな。だからこのまま戦う。ちっと体勢変えるぞ」
「そっ、そんな――きゃ!」
膝下に差し込んでいた手を離すと、フィールーンの下半身が伸びて宙に放り出される。たまらず首元に腕をまわしてしがみついてきた王女の背を支え、新たな身の置き場として片膝を立ててやった。
「上等な
素直にすとんと腰を落とした王女だが、目を白黒させたままセイルを見つめている。ニッと牙を見せて笑みを返すと、竜人は唯一自由な手で背に納めていた大戦斧を引き抜いた。
「無茶です。こ、こんな体勢で戦うなんて」
「向こうだって片腕と翼しか出しちゃいねえんだ、丁度いいハンデだろ。ちっと揺れるが、振り落とされるなよ!」
「ひゃっ!」
翼で空を打ち、ぐんと重力を引き延ばしながら加速する。紺碧の鱗に覆われた腕をしならせ、大戦斧を横ざまに振りかぶった。
「ふむ、本当に厄介な戦斧だ。屋敷ではこちらから掴んだだけだというのに、消えない傷になってしまいましたからね」
観察するように静止していたオルヴァは、銀の煌めきが迫るとひらりと身を翻した。半端竜人のほとんどは自我を失っており回避行動さえ取らぬ者も多いが、彼はやはりその枠には収まらないらしい。
「んじゃもっと食らって、自分のカラダで実験してみろよ!」
「遠慮しておきます。しかし回収はさせていただきたいですね。ただの戦斧ではないのでしょう?」
「こいつもてめえのことなんぞお断りだっつってんぜ!」
「それは残念」
すぐに逆手に持ち替え、ヒトには不可能な速さで次の攻撃を仕掛ける。相手の翼を狙って下から振り上げた得物が、熱っぽい空気の膜を裂く音が響いた。
「おっと」
「ちっ、ヒラヒラと――!」
「うふふ、失礼。では私からも一発」
紙一重でかわしたオルヴァが、振り向きざまにこちらに手をかざす。セイルも負けない速さで戦斧を握ったままの腕を突き出し、叫んだ。
「テオ、手が塞がってる! 力貸せ」
(もちろんさ)
半端竜人が火球を放つのと、セイルが防御壁を築くのはほぼ同時だった。ジュッという激しい蒸発音と共に、両魔法の力が霧散していく。
「見事な相殺です。貴方にこれほど細微な魔力操作ができるとは思えませんし、内に住まう“賢者”の助力でしょうか?」
「うるせえよ! 一発で仕留めたつもりか、変態使用人ッ」
蒸気を切り裂きながらセイルは飛び出した。引き留めるかのようにまとわりつく重力に身体が軋み、腕の中の王女も耐えるように身を硬くする。いっそう密着を果たした状況に、竜人の口角は素直に持ち上がっていった。
「そうだ、もっとしっかり首に腕回しとけよ、フィル! 滑り落ちっぞ」
「は、はいっ!」
(魔力が溶岩みたいに沸き立ってるねえ。まったく、君って男は……)
硬い胸板に押し当てられる豊かな柔らかさに、竜人の腕に自然と力が篭った。まだ戦斧を赤く輝かせるほどの魔力は流していないが、当てればこのまま相手の首を撥ねられそうだとさえ感じる。
「らぁッ!」
いつもよりも疾い一撃が、低い音を響かせて相対者へと肉薄する。魔法や魔術を得意とする者が至近距離で避けられる速さではない。取った、と思ったその刹那――
「なっ!?」
大戦斧が通過した場所には、気味の悪い笑みを引きながら薄まっていくオルヴァの姿だけがあった。ゆらりと一度瞬き、その姿は掻き消える。
「上です、セイルさんっ!」
「!」
王女の叫びと同時、頭上で閃光が炸裂する。魔力のぶつかり合いに下方へと押し戻されたセイルだったが、自分にも王女にも被弾はないようだった。肩越しに伸ばされた彼女を腕を見、竜人はほうと息を落とす。
「助かったぜ、フィル」
「い、いえ、そんな! えっと、さっきのは炎と風の魔力を使った蜃気楼のようなものだと思います。でも、あそこまで実体に近づけるなんて……」
「男の膝でも勉強たぁ熱心だな、姫さんよ? もっと楽しもうぜ」
「なっ、な、なにを楽しむって――!」
赤面して顔を背ける彼女が、あれほど強烈な反対魔法を放ったとは信じがたい。セイルは小さくなる王女を支え直し、上空からこちらを見下ろす相対者を再び睨んだ。
「澄ました顔してんじゃねえよ。当たってんだろ、腕」
「これは平素の顔ですが……ええ。魔法よりも速い振りがあるとは、驚きましたよ」
オルヴァはヒトの形を残している方の手で、異形の腕をさすっていた。1本の紅い筋が引かれ、ぼたぼたと血が滴っている。幻影を創り出すよりも、クレアシオがその身に噛みつくほうがわずかに早かったようだ。
「ふむ、治りが遅い。これはやはり、直に対峙するのは得策ではありませんね」
負傷箇所を冷静に見つめるその顔はやはり能面そのものだ。治癒力に長ける竜人は総じて自身の負傷に疎いものだが、痛いものはもちろん痛い。しかし相対者はまるで、他人の身体を見るような目でその傷を見下ろしている。
「王女様も予想以上の動きができるようですし、困りましたねえ」
「今さら弱気になったって遅ェぞ」
「いえいえ、喜びに震えているのですよ」
「……?」
強がりではない。言葉の中に潜む自信を嗅ぎ取り、セイルは金色の瞳を細めて敵を見た。能面の顔に浮かぶのは、たしかな悦び――まるで、欲しくてたまらなかった玩具を手に入れた子供のような。
「少し早いかもしれませんが、試してみますか」
「!」
言うなり元従者の男は、太い腕の傷口にずぶりとヒトの手を沈めた。小さく悲鳴を飲み込む王女を抱えたまま、セイルも目を見開く。
「うふふ。距離があろうと、これには抗えないはずですよ」
手首まで真っ赤に染まった腕を宙へと掲げ、半端竜人はにたりと口の端を持ち上げた。笑顔とは名ばかりのその表情を見、セイルの全身を覆う鱗が逆立つ。
「さあ、甘美なる主人の血と魔力を嗅ぎつけ、目覚めなさい――我が忠実なる
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます