第6章 炎の還る場所

6−1 大変なことになるわよ

炎が、わらっている。


「父上ッ! 母上――だれか、だれかいないのか!?」


 無力な少年が救いを乞う声を聴いても、その緋色の壁は揺るがない。喉に舞い込む煤に咽せながら叫んでいた少年は、溶けないのが不思議なほどに熱されたブーツの足を止めた。


「……っ!」


 ごうごうと燃え盛る家の戸口。そこに見慣れた背丈の人間がふたり、折り重なるようにして倒れていた。血と灰にまみれてもなお優しい色をした、長い髪。それを抱くように回されているのは、いつも自分を鍛えてくれた逞しい腕。


「あ……」


 探し人が見つかったというのに、言葉が出てこない。いや、少年――リクスンには、すべてが正しく理解できていた。


 もう取り返しのつかぬことが起こったのだということ。

 そして。


「おれの……おれの、せいで」


 すべてのきっかけが、自分の愚かさにあったということ。


「あ、ああ……うあああぁーーーーッ!!」


 少年の絶叫を聴いても、やはり炎は嗤うばかりだった。

 そこへもうひとつ、妙に嬉しそうな声が重なる。



(うふふ。何度見ても、良い場面ですね)





「――さん。リンさんっ!」

「ッ!」


 高い声と共に激しく肩を揺さぶられ、リクスン・ライトグレンは目を覚ました。先ほどまであれだけの炎に囲まれていたはずなのに、今はひどく寒い。


「大丈夫? すごくうなされていたけど」

「ホワード、妹……」


 声に導かれて顔を上げれば、心配そうに覗き込む少女――エルシーの姿が目に映る。彼女の明るい緑髪が、早朝の陽に透けて輝いた。それを眺めていると、寒さが少し薄らいだ気がする。


「すごい汗だわ。具合が悪いの?」

「……いや、問題ない。見張りの交代もしなくていいぞ。眠ってしまった怠慢の埋め合わせをせねば」

「ううん、ちゃんと横になって寝たほうがいいわ。最近、あまり眠ってないんでしょう」


 少女の口調はいつも通りきびきびとしていたが、咎めるつもりではないらしい。リクスンは汗で濡れた腕を握り、その真っ直ぐな瞳から逃れた。この聡明な少女を前に嘘などつけないのは、仲間のだれもが知るところだ。


「旅には影響を出さん。姫様には……」

「伝えるなって言うんでしょ。じゃあ、ここで良いからちゃんと寝ること。あたしは朝食を作りながら、精霊と見張りをするから」

「しかし」

「今朝はお兄ちゃんと一緒に、アガトさんと手合わせするって意気込んでたじゃない。珍しい機会なんだし、頑張らなきゃ。寝不足じゃ大変なことになるわよ、きっと」


 反論の言葉を探す前に、小ぶりの毛布が飛んでくる。反射で受け取ったリクスンが目を丸くした時には、少女はすらりとした背を見せて立ち去るところだった。


「……」


 暖かな手触りの毛布からほんのりと、花のような香りが立ちのぼる。主君が眠れない時に持たせてやっているという、手製ポプリのものだろう。少女の気遣いに、リクスンは強張っていた口元を少し緩めた。


 鼻にこびりつくような煤の匂いは、もう感じられなかった。





「はあ、はあっ……。くっ……!」


 朝陽の存在に誰もが気づく時刻。リクスンは愛剣を杖代わりに、地面に膝をつけて唸っていた。身体のあちこちにこしらえた火傷が、ひりひりと痛む。


『グルルル』


 怪我を負わせた犯人――火の魔力で創り出された獣は、余裕を見せつけるように長い尾をゆらりと煌めかせた。おそろしい速さと力、そして圧倒的な火の魔力の勢い。それらに手も足も出なかった自分を振り返り、リクスンは苦い気持ちになる。


 動き続けて悲鳴を上げている身体を叱咤して立ち上がり、剣を構えた。


「も――もう一本っ!」

「はいはい、そこまでー」


 指先に宿していた炎をフッと吹き消して告げたのは、獣の創造者――知恵竜アーガントリウスだ。彼が雅なローブの袖をはためかせると、獣は嬉しそうにひと鳴きして朝空へと消える。


「あのさあ。俺っちが愛弟子との大事なお勉強会をとばして、こっちのむさくるしい鍛錬に足を運んだ理由、わかってる? リンちゃん」


 紫色の目に浮かぶ呆れを見てとり、若き騎士は唇を噛んだ。


「も……申し訳、ありません。アーガントリウス殿」

「この魔法への対処は、そんなに難しいもんじゃないよ? むしろ同じ火の魔力を持つ者からすれば、ラッキーな相手だと言ってもいいくらい」

「う――」

「ま、お説教が必要なのは、お前だけじゃないんだけどね」


 呆れの光はそのままに、知恵竜はちらと横を見た。そこには水の魔法で作り出された獣に下敷きにされ、しっかりと気絶している木こり青年セイルの姿がある。


「ホワード……」

「こっちはもっと酷いねえ。起きたら、ちょーっと小言を贈ってやらないと」


 ね、と大魔法使いが爽やかな笑みを送ると、セイルを組み敷いている獣が上機嫌に喉を鳴らした。二人揃っての惨敗を、せめて女性陣に見られなかったことだけは幸運だろう。遠くから、楽しそうに朝食の準備をする彼女たちの笑い声が聞こえる。


「セイちゃんの水嫌いはもう別次元だとして。リンちゃんのほうは何とかなると思ってんのよね、俺っち」

「本当ですか!」

「火の存在を察知すると、どうしても動きがぎこちなくなるけど――まったく対処できないってわけじゃないでしょ? 剣に魔力をまとわすこともできる」


 その渾身の一閃は、あくびをしていた炎の獣の前脚によって簡単に弾き飛ばされてしまったのだが。情けない場面を思い出して落ち込むリクスンを見、相対者が線の細い肩をすくめた。


「生来の魔力傾向は変えられない。お前が火を苦手としてんのはご愁傷様だけど、何にせよ乗り越えるしかないの」

「……はい」

「しっかりしなよ。自分の主君や細腕の女の子に、前線で戦わせるつもり?」

「いいえッ! そのようなことは、絶対に」


 下がっていた視線を引き上げ、リクスンは噛み付くように言った。また釘を刺されることも覚悟するが、知恵竜はふうと小さなため息を落として答える。


「んじゃ、その石頭をもっと柔らかくして考えてみること。剣に巻いて振り回すだけが、火の使い道じゃない」

「それは、どういう――」

「“思考せぬバンデルヌにミョリムなし”。意味が知りたきゃ、そこの木こりを起こして中の賢者にでも訊いてみたら?」


 ぐっと伸びをし、アーガントリウスは良い匂いが漂いはじめた野営地へと足を向ける。まったく成果が上げられなかった無力感と疲弊の重みに、騎士はついに野原に尻をつけた。意識を失っているとなりの仲間が、羨ましいとさえ思う。


「あ、そうそう。次の目的地、決まったから」

「?」


 なんとか顔を持ち上げたリクスンは、火で少々焦げた前髪の隙間から知恵竜を見る。褐色の頬を妖しく持ち上げたその笑顔に、どこか嫌な予感がよぎった。



「楽しみにしててよ。熱血騎士くん?」


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