間話:その宝石の名は
「えっ! リンさん、ひとりで街へ出て行ったの?」
そう広くはない宿の一室に、少女――エルシーのよく通る声が響き渡る。
「は、はい」
午後の日差しが降りそそぐ窓際の机にかじりついていた王女フィールーンが、どこか居心地の悪そうな顔でうなずく。机上に山と積まれた本や資料を眺め、エルシーは細い腰に手を当てて言った。
「シーザー家の地下室からもってきた本たちね」
「はい。騎士隊に城へ運んでもらう予定ですが、時間のかぎり読ませていただこうかと」
「で、主君は体良く部屋にひとり取り残されたってわけ。それって、側付騎士としてどうなのかしら?」
知らずと声に険が混じったのだろう、友でもある王女はますます縮こまっている。彼女に当たっても仕方ないとエルシーは大きく息を吐き、肩をすくめた。
「ごめんなさい。あの怪我でフラフラ歩き回ることにはまだ反対ってだけなの」
「わ、わかっています。その、私も止めたんですが……」
「あなたの制止を聞かずに? 珍しいわね」
あの堅物騎士が主君の言葉に足を止めないなど、はじめて耳にしたことだ。よほど急ぎの用でもあったのだろうか。
「明日にはこのサルーダスを発つと、先生が仰っていましたよね」
「ええ。もう事件から1週間だし、そろそろって思ってたわ」
「その発表を聞いた後から、なんだか落ち着きを欠いたようになっていて。今朝、どうしてもひとりで街へ出たいと申し出てきたんです」
窓の外に広がる空と同じ色をした瞳が、賑やかな大通りを見下ろす。脅威が去って平和を取り戻した通りは、明るい顔をした住人たちで埋め尽くされていた。
「必要物資の最終買い出しなら、昨日タルトちゃんと済ませたわよ? リンさんの装備に必要なものだって、リストでもらったし……何か買い忘れたのかしら」
「そうかもしれませんね。あるいは――」
そこで言葉を切った王女は、ちらとエルシーを見遣る。彼女の頭の傾きに合わせ、黒髪がさらりと揺れた。
「……。え、えっと! 私はこの部屋にこもっているので大丈夫です。セイルさんと先生とタルトトさんも、最後に軽く露店めぐりをして帰ってくるそうですし」
「あの3人、今回の騒動でやけに仲良くなったわね……」
「ふふ。ですからエルシーさんも、今日はお好きに過ごしてくださいね」
知的好奇心を目に宿らせた王女が腕まくりをして本へ手を伸ばすのを見、エルシーはドアノブに手をかけて微笑む。
「ありがとう。じゃ、そうさせてもらうわ」
*
誰かが絶え間なく飛散させる花弁が舞う、美しい“花の都”。しかしその熱気あふれる大通りの隅で、緑髪の少女はゆるゆると足を止める。
「つ、疲れた……」
森を歩くのとは違う疲労が蓄積された足をさすり、エルシーはげんなりとした声を落とした。すでに陽は傾きはじめているというのに、雑踏の賑わいは収まることを知らない。むしろ夜に向け、ますます熱気を増しているかのようだ。
「ちょっと休憩しなくちゃ」
露天の間から伸びる路地を見つけ、少女はふらりと足を向ける。大通りの声が遠くなり、心地よい夜気が頬を撫でた。
「まったく、こんなに会わないものかしら……」
ひしめく建物によって細長く切り取られた空を見上げ、知らずとこぼす。しかしみずからの呟きの意図に気づき、少女はひとり赤面した。
「だ、だれと会いたいって――!」
「もちろん、わたしですよね? お嬢さん」
「ッ!?」
まとわりつくような滑らかな声に、エルシーの心臓は飛び出しそうになった。気持ち悪いほどに丁寧な物言いに、従者のふりをしていたあの半端竜人の姿が浮かぶ。
「ふひひ! ようやくひとりになりましたね。“精霊の隣人”さん」
路地からさらに枝分かれした道に潜んでいたのだろう。薄汚れた風除けを羽織ったその男は、気味の悪い笑い声をあげてエルシーを見る――別人だ。
「あんた、夫人の手下?」
気丈な声を出しつつ、内心で胸を撫でおろす。自分ひとりではあの半端竜人の相手はできない。しかし疲れていても、こんなに不健康そうなならず者相手に負ける気はしなかった。
「お仲間はみんな街から逃げ出したはずだけど、置いていかれちゃったの?」
「辛辣ですねえ。もともと街に放たれていたヤツらは、わたしみたいな小悪党ばかりでしてね。統率もなにもあったもんじゃありません。夫人への忠誠も、報酬ありきのものでしたのでねぇ」
ふひひ、とまた独特の笑い声を漏らす男に、エルシーは遠慮のないひと睨みを送りつける。しかし腰のナイフに手をのばすと、男は意外にも早い口調で言い放った。
「待ってください。ここでドンパチはご遠慮くださいよお」
「! それは」
男が風除けの中から取り出したのは、くすんだ色のランプだった。いや、ただの灯具ではない。その中で戸惑うように跳ね回っているのは――
「風精霊を閉じ込めたの!? なんてことを」
「ふひひぃ、ごめんなさいねえ。でも力づくで奪うのはおすすめしませんよ。このランプには、わたしの愛するケーラの秘術がべっとりかかっています」
少女の細い眉が、不快感にぴくりと跳ねる。ケーラ魔術といえば、王都を出てすぐに遭遇したならず者一家の老婆が行使していた悪術だ。
「万が一容器が破損したり、わたしが魔力で合図を送れば、中の精霊さんは術に取り込まれ……本当の“ランプ”として素敵な光を放ってくれるでしょうねえ」
「あ、あんたッ――!」
ぎり、と噛み締めた奥歯が鳴る。怒りと同時に、自由を愛する風精霊たちの苦痛を思うと胸が締めつけられた。屋敷で用心棒をこなしていた屈強な男たちとは違う貧相な体躯に油断していたが、この男は魔術師なのだろう。よく観察すれば分かっただろうに、初手を取れなかった己にも腹が立つ。
「わたしあの夜、夫人の闘技場にいたんですよお」
「え?」
「少々荒事が起こるかもしれないとオルヴァ様に呼ばれた、増員のひとりでしてねえ。仲間を救うために素性を明かす貴女の姿は、とても勇ましかった……」
つう、と背筋を冷たい汗が流れる。捕らえた風精霊を見せつけてきた時から予感はしていたが、やはりこの男は自分が貴重な“精霊の隣人”であることを知っていて接近してきたのだ。
「魔術でなんとか街までは逃げおおせましたが、手ぶらでこの街を離れるのもなんでしょう? だから美しい“土産”のひとつでも欲しいと思いましてねえ」
「あたしも精霊も、モノじゃないわ! 今すぐその子を解放しなさい」
「おお、こわいこわい。お兄様と同じで、腕っぷしには自信がありそうですねえ。けど――」
男が血色の悪い手をランプにかざすと、中の精霊が激しく明滅して苦しみはじめた。エルシーは顔を歪め、悲痛な叫びを上げる。
「やめてっ! 声が聞こえなくても、苦しんでいるのがわかるでしょう!?」
「普通のヒトはねえ、お嬢さん。こんな目鼻のない光が跳ね回ってるのを見ても、なんの良心も痛まないものなんですよ」
「!」
心から楽しそうに言った男は、ランプを持ったままするするとこちらに近づいてくる。拠点にも戻れずにいるのだろう、不衛生な匂いが少女の鼻にシワを刻む。
「そうそう、大人しくするのが正解ですよ、お嬢さん。やはり賢い」
「……っ」
「ああ、とても悩んでいるんですよお、わたし。“精霊の隣人”を闇市場に流せば、とんでもない金になる。ですが」
衣擦れの音と共に、垢にまみれた手が伸びてくる。エルシーのブーツが無意識に半歩さがり、路地に打ち捨てられた空き瓶にコツンと触れた。
「こんなにも綺麗で貴重な存在を、そのような無粋なモノに変えてしまうなんてもったいないとも思うんです」
「同意するわ。じゃ、放っておいてくれるのよね?」
「いえいえ。そう、これは魔術師として……あくまで魔術師としての好奇心ですがねえ――美しい貴女のすみずみまで調べて、その秘密を暴きたい」
「!」
ねっとりとしたその声には、熱に浮かされたような興奮が混じっている。涎を垂らしそうなほど恍惚としているその顔に平手打ちを食らわせてやろうと、少女の指がピクリと跳ねた。
しかし見透かしたかのように、ならず者術師は緑色の“人質”を掲げてささやく。
「そのまま動かないでくださいよ。今日はすこし、さわるだけにしますから」
「あ……」
迫る指と、もがく精霊を交互に見る。いつも風のように動く足が、やけに重く感じた。まるで、冷たい路地に誰かが針と糸で縫いつけたかのような――
怖い。
「い……嫌ッ……! だれか」
「ふひひ、ようやく可愛らしくなりましたねえ。でも頼りになるお仲間は、ここにはだあれもいませんよ。ですので遠慮なく、良い声で泣き叫んで」
「そうか?」
みずからのセリフに酔っていたならず者の声を掻き消したのは、静かな怒りをたたえた低い男の声。聞き覚えのある――そして今この場で、もっとも聞きたいと思っていたその声に、エルシーは茶色の目を瞬かせた。
「肌の色と同じく目も悪いらしいな、賊よ。背中がガラ空きだぞ」
ならず者の背後からぬっと進み出たのは、紅の騎士服をまとった逞しい影。包帯を戴いた金髪の下で、琥珀の瞳が術師を見下ろして燃えている。
「ふへっ? あ、アナタは――!」
「リンさんっ!?」
エルシーの声に騎士リクスンはうなずいたが、すぐにならず者へと目を戻す。風除けマントを振り乱して杖を取り出した男よりも早く、仲間は腰の剣を煌めかせた。すぱん、とかまいたちのような音を響かせ、杖がただの木片へと変じる。
「このような小道具まで用意しおって」
「!」
ギクリと身体を硬らせた男の隙をつき、騎士は器用に剣を振った。その剣先に引っ掛けたのは、件のランプ――。
「あっ!?」
躊躇なくそれは路地に叩きつけられ、破壊される。エルシーは青ざめて仲間を見つめたが、リクスンは左右に首を振ってきっぱりと言った。
「心配するな、ホワード妹。これは三流の手品師が使う小道具だ」
「ええっ?」
「哀れみを誘う詐欺にも使われるので、騎士隊が所持者を取り締まっている」
「じゃあ、中の精霊は」
「羽虫に発光魔法をかけたものだ。現に、声は聞こえなかったのではないか?」
「あ……」
言われて初めて、少女は自分の動転ぶりに気づいた。たしかに苦しむ精霊の声を直接きいたわけではない。特殊な容れ物に遮断されているのではと思っていたのだが、どうにも今日の自分は油断しすぎていたようだ。
「きえぇっ!」
「! リンさん」
捨て鉢になったらしい術師がリクスンへと掴みかかろうとするが、彼は動じることなく足払いで応じる。無様な音を立てて尻餅をついた男の鼻先に、淀みなく王国製の長剣が突きつけられた。
「見苦しいぞ」
「ひ、ひぃっ! 早っ……」
「貴様こそ、早計な行動だったな」
冷たい金属音を落とし、誇り高く騎士は言い放つ。
「彼女は、決してひとりにはならん。窮地の際にはいつも仲間が――俺が必ず、駆けつける」
*
術師を手際よく昏倒させると、騎士は近場の露天商たちを呼び寄せた。街のしかるべき機関に送り届けてほしいと頼むと、新たな平和維持に燃える住人たちはうなずき、ならず者術師を引きずっていく。
「……」
その一団を見送る頃には、細長い空にも一番星が輝きはじめていた。ぼんやりと壁に背を預けていたエルシーの元に、早足で仲間が戻ってくる。
「遅くなった。怪我はないか? ホワード妹」
「え、ええ……。大丈夫よ」
「俺は見ての通りだ」
「?」
自身の額と騎士服の合間から覗く包帯を指差し、リクスンは真剣な顔をしている。エルシーはしばし呆けた後、ようやく彼が冗談を言ったことに気づいた。
「それ……もしかして、ジョークのつもり?」
「うむ。恐らく面白くないだろうとは思うのだが」
「珍しいわね。ならどうして」
好奇心だけでそう問うと、騎士は琥珀色の瞳を気まずそうに逸らして言う。
「君がまだ、その……いつもの調子を取り戻せていないようなのでな」
「えっ」
「本当にあの男に何もされなかったのだろうな?」
「ち、ちょっと!?」
エルシーの状態を確かめたいのか、リクスンはずいとこちらへ近寄ってくる。彼の大きな影にすっぽりと覆われながら、少女は壁に背を押し付けて慌てた。
「大丈夫だってば!」
近い。いや、屋敷の事件時にはもっと接近――むしろ密着したとも言える体勢をとったこともあった――したものだが、こうして改めて距離を詰められると何故だが妙に動揺してしまう。顔を背けると同時に、大きな声で言った。
「リンさんこそ大丈夫なの? ていうか剣、まだ振っちゃダメって」
「こ、これは――護身用のために帯刀しているのであって、断じて密かに鍛錬なぞしているわけでは」
「フィルに頼んで、明日から没収してもらうからねッ!」
ぴしゃりと言うと騎士はしおらしく金髪を垂れさせたが、とたんに小さく息を震わせる。
「ふふ。やはり君は、そうでなくてはな」
「っ!」
こちらを見下ろす顔に浮かんでいるのは、からりとした笑み。屋敷で重傷の彼が目覚めた時に見せてくれたものと似ている。薄闇の中、エルシーは耳まで赤くなった。
「もう。こっちが調子狂うったら……」
「む?」
「なんでもない! それよりリンさん、フィルを置いてひとりで出てきたのは、こっそり鍛錬するためだったの?」
今日一番の疑問をぶつけると、今度は騎士が緊張した様子を見せはじめる。
「い、いや。今日は本当に私用だ。姫様に御足労いただくことは出来ん」
「ふうん。で、用は済んだの?」
「ああ。宿に戻ると皆揃っていたが、君だけが戻っていなかった。姫様が、君は俺を探しているかもしれないと仰るから――」
「それで探しにきてくれたのね。ありがとう」
あまり帰りが遅くなれば、心配した兄や友たちが大捜索をはじめるかもしれない。ようやく強張りが薄れてきた身体を大きく伸ばし、エルシーは元気よく言った。
「じゃ、帰りましょ! 急がなきゃお兄ちゃんもフィルも、お腹が減りすぎて」
「待ってくれ、ホワード妹。まだ俺の用は、すべて完了したわけではないのだ」
「え?」
どこか真剣なその声に、大通りへ向けていた身体をくるりと回転させて仲間を見る。騎士はしばらく迷うように暮れ空を睨んでいたが、口を引き結ぶと腰の物入れから小さな袋を引っ張り出した。
「よければ、受け取ってほしい」
「!」
ぐいと差し出された手から袋を受け取り、エルシーは己の手の上に中身を出してみた。
「これは……!」
ころんと転がり出たのは、硬貨ほどの大きさを持つ丸い宝石。タルトトほど鉱物に詳しくないので種類は不明だが、艶のある深い朱色をしている。はめ込まれているのは控えめな金細工の台座で、左右から上品なリボンが伸びていた。
「髪留めね。とっても綺麗! これ、あたしに?」
「ああ。屋敷で世話になった礼にと」
「うれしいけど、すごく高価なんじゃない? よくタルトちゃんからお金もらえたわね」
「いや、これは俺が城で貯めた給金からだ。少し持ってきていたのでな」
照れ臭そうに言う騎士に、エルシーは胸の奥が温かくなるのを感じた。彼が個人的に――しかも自分を思って大事な金を使ってくれるなど、想像したこともなかったのだ。
「とはいえ、俺は婦女の装飾品のことなど分からん。気に入らなかったら売って、君が好きな仕様のものに買い替えてくれ」
「なっ、なんでそうなるのよ!? そんなことしないわ、絶対!」
贈り物をぎゅっと握ってそう声を荒げると、リクスンは琥珀の瞳を丸くする。そしてふたたび破顔した。
「そうか……なら、よかった!」
繊細な髪細工を手にしていることを忘れるくらい、少女の身に力がこもる。
同時に、痛いほどみずからの心の声を自覚した。
きっと自分は、もっと――この顔を。
「……」
いつも心を偽ることなく言葉にできることは、自分の得意とするところだと思ってきた。なのにこの想いだけは、まだ胸の内に留めておきたいと願ってしまう。
「任務完了だ。帰ろう」
「ええ。そうね」
晴々とした顔をしている仲間に微笑み、少女は暗い路地をあとにした。
<幕間:その宝石の名は 完>
****
5章完読、まことにありがとうございましたー!!
いつものあとがきですが、話が長くなってしまったので近況ノートにてまとめております。お知らせもありますので、よければお立ち寄りくださいませ♪
https://kakuyomu.jp/users/fumitobun/news/16816927862556263690
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