5−17 はじめてお会いした時のように

「アッハハハ! まあまあ皆様、お聴きになりまして!?」


 血に飢えた客たちを代表して手を叩いたのは、やはりバネディット夫人だった。妙に頭の奥底まで届くその声に、フィールーンはのろのろと顔を向ける。


「わたくし、もちろん騎士たちとではありませんが……今夜ばかりはこの出会いに感謝せねばと思ってしまいましたわ!」


 残忍な興奮にせり出した目玉がぐるぐると動き、無防備な姿を晒しているリクスンへと流れ着く。


「若き騎士よ、見事な心がけです。この地下においてはじめての展開ですけれど、ご覧なさい。お客様の高まった期待を!」

「貴様らのくだらん“遊び”のためではない。目の前の民――その心を護るためだ」

「あぁーら、お寂しい。どこまでもお前たちとは相入れぬ運命のようですわぁ」


 恐怖した様子を微塵も感じさせない騎士を見、夫人は細い目をさらに線へと近づける。


「あ……」


 ここからでは目の色さえ判別できぬというのに、フィールーンはその奥にある業火の光を見た気がして身を強張らせた。憎しみと侮蔑が混ざり合った、禍々しい光だ。


「我が醜き狼よ。希望通り、その騎士を斬りなさい。しかし、一太刀で勝負をつけてはなりません」

「……」

「なぶるように、削ぐように。お前のすべての恨みをもって、少しずつ命を抉っていくのですわぁ!」


 裏返りそうなほどの猫なで声に、近くにいた師が小さく嘆きの声を落とす。


「……悪趣味。どうしてヒトは、そこまで歪めるのかねえ」


 しかしフィールーンには、その声さえどこか遠いものに感じた。


「い、いや……! いやです、リン」


 どくどくと、身体中の血管が熱を帯びはじめる。

 切り取った絵画のような思い出が、頭の中で勝手に呼び起こされた。


“こんにちは、カイ! ……と、あれ? どなたですか”


 まだ書庫塔に軟禁される前の、日差しが降りそそぐ城の長廊下。


 騎士隊長に紹介されたのは、明るい金髪をもつ少年だった。緊張をにじませた顔を勢いよく下げ、遠くにいた侍女が振り向くような大声でもって彼は名乗ったものだ。


“り、リクスンともうしますッ、フィールーン姫さま! このたび、カイザスさまにお拾いいただきました”

“仲良くしてやってくれ、フィル。訳あって、私の義弟おとうとになったのでな”

“はい! よろしくおねがいしますね、リンっ!”

“り、リン……?”


 真面目な少年をからかうのが面白くて、いたずらに姿をくらましたこともあった。


“姫さまーっ! どこですかー!?”

“ふふふ、さがしてますね。でもまだリンには見つけられっこありません。この置きヨロイの中に入れることなんて――きゃっ!?”

“フィールーンさま! ああ、やっと見つけました”

“な、なんで……ここが”

“かしこいあなたさまなら、きっとおれを観察できるところに隠れられると思ったのです。大あたりでしたね”

“むー、うれしそうに……。そこは怒るところですよ、リン”


 穏やかにきらめく思い出とは裏腹に、眼前から漂ってくる血の匂いはどんどん濃さを増していく。


「ふざけんじゃねえよ、甘ったれ騎士! おら、おらあッ!!」

「……ッ、ぐ……!」


 狼の獣人はすでに何度もリクスンの身体にダガーを走らせていた。そのひと振りのたび、防具のひとつも付けていない側付の身体が紅く染め上げられる。


「リンさん! やめて――やめなさいよッ!! 卑怯者!」

「退がれ。乱入した時点で、お仲間の敗北が決まるぞ」

「!」


 悲鳴を上げて駆け出そうとしたエルシーをはじめ、自分を含めたすべての仲間たちの前に夫人の用心棒たちが並び立つ。

 彼らの手には、隠す気もないらしい抜き身のナイフや棍棒が携えられていた。

 

「とくに斧青年と、そこの魔法使いらしい優男。てめえら妙な素振り見せんじゃねえぞ? 女たちの“商品価値”を落としたくなきゃな」

「……」


 セイルとアーガントリウスの前に立つ男たちが、下卑た笑みと共に牽制を飛ばす。彼らを睨みつつも、2人はなかば浮かせていた利き手を静かに下げた。


「う……っ!」


 女たちが――いや、主にひ弱そうな自分が人質になっていることが腹立たしい。その怒りは体内の熱に油を注ぎ、それに伴ってさらなる思い出が蘇ってくる。


“フィル様っ! 大丈夫ですか”

“……リク、スン”


 先ほどの温かい記憶と違い、こちらの場面には色がない。

 フィールーンの人生において“最悪”の日――その夜のことだ。


“大臣め! こんな地下牢に、あなたを閉じこめてしまうなんて”

“……あばれる……から。あぶない、から……って”

“心配ありません。おれがすぐに”

“あなた、も……は、はなれてください”

“な――”

“おねがい。ひとりに……して”


 その言葉を突きつけられて浮かべた彼の表情は、今になっても忘れられない。


「が――はっ!」

「痛いかよ……苦しいかよ!? たんと味わえよ、それがお前ェらヒトが獣人オイラたちに塗り込んだ痛みなんだからなァ!」


 血と脂で斬れ味が落ちたのか、獣人は得物を後方へと投げ捨てた。


「チッ、安モンが。まあいい、今度はこの爪と牙で相手してやるぜ。あいつらの望みどおり、“ケモノ”らしくな!」

「……っ、自棄に、なるな……少年……!」

「この期に及んで説教かァ、騎士どの」


 ゴキリと関節を鳴らし、獣人は鋭利な爪を有する手を振り上げる。道具を使った斬撃に劣るものの、一気に数本の傷跡が刻まれるそれは凶器に違いなかった。


「ぐッ、う――!」

「頑丈さだけは称賛するぜ。ここまで斬っても悲鳴を上げなかったのは、ヒヒの野郎だけだったっけか? ま、あのデカブツも最後はやっぱりオイラに殺されたけどな!」


 身体があまりにも血に濡れ、裂傷箇所が見えにくくなったからだろうか。しばらくののち獣人は大きく肩を上下させ、やっと斬撃を休止した。


「はぁ、はあ……クソっ……。いつまで、そうやって立ってやがんだ……!」


 荒い息を落としながら騎士へと近寄り、背の高い彼の胸ぐらを掴んで引き寄せる。それでも仁王立ちの姿勢を崩さないヒトを睨み、一本の爪をその額に横ざまに走らせた。


「貴様の気が済む、までと……言った、だろう」


 金髪の下の額から流れ出た血が、リクスンの片目へと流れ込む。それでももう片方の瞳はしっかりと開かれ、牙を向く相対者を静かに見据えていた。


「ッ、バカが……さっさと死ねよ! 最初の何撃かで倒れてりゃ良いだろうが!? そのあと横になってるだけでも死ねんだ。意地張ってんじゃねえよ、この頑固もん!」

「よく、誰かにも……言われる……な」


 その返答に、緑髪の少女がぱっと手で口を覆う。大きな茶色の瞳がさらに丸くなり、涙があふれ出ていた。フィールーンは胸元を押さえ、かすれた声で言った。


「だめです、リン……っ! もう、これ以上は」


“フィールーン様。本日より正式に、お側付の命を授かりました”


 静かな、そしてどこか安堵したような声。

 古びた本から昏い目を上げたフィールーンの前にひざまずいて首を垂れたのは、真新しい騎士隊の上職鎧に身を包んだ少年だった。15となった彼は、今までよりもずっと大人びて見えたのを覚えている。


“わ、私の……側付人に?”

“はい。今回だけは少々、義兄上のお力添えをいただきました”

“ど、どうしてっ!?”


 本の山を崩しながら立ち上がった自分を、彼が驚いて見つめる。


“こ、こんな幽閉人を、護衛する必要なんて……! それにリクスン、あなたはもっと力をつけて、義兄を支える、き、騎士になると――!”

“もちろん、その目標も捨ててはおりません。しかし俺は一番に、貴女の心をお護りしたいのです”

“心、を……?”


 冷たい石床に直角に膝を立てたまま、若き騎士は続ける。


“はい。俺に居場所を与えてくださった、ゴブリュード王家……その大恩は、奉仕なぞで返しきれるものではありません”

“リク、スン……”

“であればなおさら今は、深く傷ついている『恩人』のお側に控え、その心をお護りする――それこそ、騎士たる我が信義と存じます”


 堅苦しい言葉に戸惑っていたフィールーンが再度見つめると、やがてリクスンはやや照れ臭そうにこぼした。


“はは……慣れぬものですね、騎士言葉は。義兄上のようにはいきません”

“び、びっくりしました……。別人、みたいで”

“いいえ、俺は俺です。肩書きはあくまで、貴女のお側に堂々と立つために得たもの”


 そこで彼はやっと身を起こし、革手袋から抜いた手をフィールーンへと差し出した。


“ですからはじめてお会いした時のように、また気軽に『リン』と呼んでは頂けませんか? もう長いこと、そう呼ばれておりません”

“……っ、リン……!”

“はい、フィールーン様。これより先は、この命尽きるまで――貴女と共に”


 その優しい言葉に、軟禁生活で張りつめていた自分はどれだけ救われたか。そのあとしばらく泣きじゃくり、見張りからの報告を受けた父王と騎士隊長が飛んできて新任の側付に雷を落としたものだ。


「く、うぅ……っ!」


 現実の色彩を塗りつぶし、強制的に思い出が差し込まれる。激しく精神が乱れているのは認識していたが、どうしようもなかった。目まぐるしく入れ替わる色彩に耐えるフィールーンに、師から小さな励ましが届く。


「落ち着いて、フィル。俺っちが教えた魔力制御を試して」

「はっ……で、でも、先生……っ」


 涙と熱で歪んだ視界の中央に据えられたのは、鮮やかな赤。その足元でどんどん広がりを見せる同色の水たまりを見、フィールーンはますます制御の術を失っていく。


「勝手に拐って、モノ扱いされて――オイラは絶対、ヒトを許さないッ!」

「少年、よ……」

「!?」


 フィールーンがすべての熱を解き放とうとした瞬間。

 その衝動を抑え込んだのは、心配の渦中にあるはずの声だった。



「許せないのは……自分自身ではないのか」


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