5−18 すべてを失っても、また
騎士の言葉に、戦いの場は静まり返った。残酷な仕打ちの手が止まっている間に、フィールーンはすばやく口の中で師に教わった“制御法”を実行する。
『怒りの炎よ、散るが良い。哀しみの雨よ、乾くが良い……』
いきり立ち、ぐちゃぐちゃに混ざり合って乱れてしまった体内の魔力の安定化をはかる
少し離れたところにいるアーガントリウスが、ヒトには到底聞き取れないほどの声量で導くように声を紡ぐ。
『焦りの嵐よ、凪ぐが良い。嘆きの墓よ、眠るが良い。はざまの光と闇に抱かれ――』
『――我がこころを、在るべき地へと還さん』
まるで心地よい冷たさの湖に浸かったかのような冷気を感じ、高まっていた竜人化への熱が霧散する。フィールーンはドレスの胸元を押さえ、大きく息をついた。
「……っ、はあ……はぁ……!」
「うん、よくできた」
見張りが闘技場の動きに目を奪われている隙に、師がそっと親指を立ててみせる。その労いにうなずきだけを返し、フィールーンは首筋の汗をぬぐった。なんとか大衆の前で秘密をさらすことは免れたらしい。
しかしその瞬間、不気味なほど静かになった獣人の声がはっきりと耳を打つ。
「今……なんつった? 騎士野郎」
「真に許せないのは、ヒトではなく……貴様自身であろう、と……言ったのだ」
まるで真っ赤な紳士服に身を包んでいるかのような青年――リクスンが、低い声で答える。その身を流れ落ちるおびただしい量の血に、さすがに観客たちも圧倒されているようだった。
「オイラ自身だって? ハッ、なに言ってやがんだ。血ィ出しすぎて、頭でも」
「少年……貴様の剣、には……深い後悔が、みえた」
「!」
騎士の言葉に、狼の獣人少年は大きく目を見開いた。フィールーンはすでに放棄された彼の得物を見る。血と脂にまみれたダガーはもちろん、静かに黙したままだ。
「“剣は嘘を吐かぬ”――俺の義兄上から、教えていただいた、言葉だ……。だからこそ、刃はあれほど……真っ直ぐに在れるのだ、と……」
「こ、小難しい話すんじゃねえ! オイラのどこに後悔なんてモンがあんだよ!? 」
せっかちなのか図星なのか、獣人は血まみれの爪を振り回して叫んだ。
「見りゃわかんだろ、オイラはこの地下の王者だぜ? 今じゃどんなヤツが相手でも、オイラの姿を見るだけで覚悟を決める。そういうスゲー存在なんだ!」
リクスンはじっと動かず、しかししっかりと顔を上げて少年を見つめた。きっと刃を受けた側付にしかわからない話なのだろう、フィールーンも唇を噛んで臣下の言葉を待つ。
「その行為に、悔いを持たぬ者が……
「ッ!!」
流れ込む血にも構わず開かれた琥珀の瞳に射られ、獣人はびくりと身を震わす。強い眼光はそのままに、しかしリクスンは語りかけるように続けた。
「刃で俺を斬りつけるたびに、貴様は“敗者”たち……いや、同胞たちのことを、語るな……。それは、いまだ心に巣食う後悔……そのものだ」
「なっ――!」
獣人自身が気付いているかは不明だが、彼の薄汚れた裸足の足がわずかに後退した。追いかけるように相対者の言葉が響く。
「すべて……憶えて、いるのだろう……? みずからの手で屠った者たちの……ことを」
「……」
「生きたいという願いは、同じであれ……この場に立った貴様は、同族を手にかけねばならな、かった……。そうするしかなかった、己が……許せないのでは、ないか?」
「!」
つり気味の瞳を丸くし、さらに獣人は半歩退がる。フィールーンも声を上げて驚く――側付騎士がなんと、血の尾を引くような身体で前進しはじめたからだった。
「く、来んな……ッ」
「俺も……偉そうには、言えん。ただ“幼かった”というだけでは、片付けられぬ……底の見えない、後悔が……ある」
フィールーンの胸の奥で、たしかに心が軋むような音を立てる。となりに並び立つ木こり兄妹が、互いに顔を見合わせて不可解だという表情を作っていた。
「リン……」
この青年が故郷を――そして家族を失い、フィールーンたちの城へやってくるまでの物語。それはいつか彼の口から語られるべき話だろうと、フィールーンは臣下の出自については仲間たちに黙してきた。
「何を言ってるのかしら、リンさん?」
「……さあな」
歯痒そうな表情を浮かべたエルシーが、回復を終えつつある兄を見上げてささやく。
「でもあんなに悠長に喋ってる時間なんてないわ! お兄ちゃん、やっぱり今すぐ助けに」
「待ってください!」
「なっ――またなの、フィル!?」
「も、申し訳ありません。けれど……!」
少しの心苦しさも浮かぶが、この場で彼の心中に寄り添えるのはおそらく自分だけだろう。フィールーンは臣下と同じく瞳の光を強め、仲間たちを見た。
「彼は……リクスンは一度として、私の頼みを遂行しなかったことはないんです。ですから、思うようにやらせてあげたくて」
「……。わかった」
「お兄ちゃん!」
盛大な呻き声をあげる妹を制し、木こり青年はフィールーンへと目を落とす。
「お前の願いは
「ああ、もう! それはわかってるわよ……テオさんはなんて?」
「“王女というものは本来、このくらいわがままなものだ”――と」
竜の賢者の言葉に、フィールーンの頬が熱くなる。しかしそれでエルシーは諦めたのか、ドレス姿には似合わぬ腕組みをしてフンと鼻を鳴らした。あとで小言を投げられるかもしれないが、ひとまず仲間たちの制止は上手くいったようだ。
ずり、ずりりと土を擦る音と共に、ゆっくりと騎士は少年へと近づく。
「油断していた、己……弱く、力の伴わない己。たしかに、突然の悲劇を嘆く権利は、あろう――……だがな!」
「!」
リクスンはゆっくりと身を屈め――途中で一度大きくふらつき、フィールーンの心臓を締め上げた――獣人と目線の高さを合わせた。片膝をつき、血と土埃にまみれてくすんだ金髪頭を持ち上げる。
「生きている限り、終わりではないのだ。すべてを失っても、また……与えられる時が、くる。胸に空いた穴を埋めてくれる、存在が――必ず、貴様を見つける」
「……っ」
遠目にも分かるほど、獣人の小さなあごは震えている。彼はいつでも相対者に爪を振るえる距離にいながら、その凶器を宙に浮かせたまま固まっていた。
「忘れるわけ……ねェだろが……!?」
やがて獣人は爪が食い込みそうな勢いを持って拳を作り、吐き出すように言った。
「一緒に拐われてきたヤツも。せまい牢屋で、きたねえ飯を取り合ったヤツも。明日の“遊戯”に出ることが決まって、絶望してたヤツも――ひとり残らず、耳や尻尾のかたちまで、ぜんぶ憶えてるッ! 忘れられねェんだよ、どうやったって!!」
「……ああ」
リクスンのうなずきを見た獣人は、振り上げた拳を力なくその広い肩に落とした。
「オイラの強さが広まると、終いにゃ“送り狼”なんてあだ名がついた。相手になったら一撃で殺してくれる。一瞬で“天ノ国”に送ってくれっからって……な」
「見事な腕前……だからな」
臣下が軽口ではなく本心から称賛しているのだと分かり、フィールーンは涙ぐむ。
「それで、よ……いつの間にか、“遊戯”の前にオイラに遺言を預けとくのが通例みたいになっちまった。家族へとか、兄妹へ、とかだ。きっとこの地下を抜け出せるのはお前だけだから、とか言ってよ」
「……」
「迷惑だろ? だって、みんな
獣人は再び拳を開き、ギリリと音を立ててリクスンの肩に爪を食い込ませた。
「だからオイラは、勝って勝って、殺して殺して。このクソみてェな穴から抜け出さなきゃなんねェんだ!」
「少年……」
「何言ったって、罪は罪だ。けどな、オイラが“
獣人は涙の粒を撒き散らしながら、ベルトに挟んであったらしい短剣を取り出す。小さな手が祈るようにその柄をしっかりと握りしめ、そして刃が臣下の肩へと深々と沈むさまが、フィールーンの瞳にやけに鮮明に映り込んだ。
「リ――」
「……ッ、ああ、それで良い」
「!」
肩口から溢れる血に構わず、リクスンは少年の跳ねた髪をくしゃりと撫でた。
「だから、その時まで……腐るな。託された、想いを……穢すな。逝った者たちは……貴様が貴様でなくなることを、願ったりなど……しない」
「っ!」
「心は、失くすことなど出来んのだ……。いくら、そう望んでもな」
そのまま小さな頭を広い胸に引き寄せる。獣人の手が力なく得物から滑り落ちた。
「幼き身には重すぎる荷を、抱え……ひとりで、よく頑張ってきた。貴様には、十分……昇る朝日を見る資格が、ある……はずだ」
「あ……あっ、あぁ……!」
騎士の広い胸元で、幼い獣人は吠えた。
「うあ……あああぁーっ!!」
“心なき狼”とほど遠いその慟哭は、フィールーンの耳にはヒトと変わりない――ただの子供の泣き声に聞こえた。
「姫、さま……。ご期待に、応えられず……申しわけ、ありませ……」
胸を突くような泣き声の最中、臣下の大きな身体は横ざまに倒れていった。
***
<おしらせ>
本作『ドラ嘘』の番外編を描いた短編集『りゅうじんのぼうけんしょ。』ができましたー!本編では掲載できなかったセイルたち一行の旅の断片です。ぜひお気軽にお読みくださいませ♪(不定期更新
『りゅうじんのぼうけんしょ。』https://kakuyomu.jp/works/16816700428531984510
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