5−15 承知しました
「こ、“心なき狼”……?」
物騒なふたつ名にフィールーンが戸惑っていると、観客席から熱気を孕んだ声が立ち昇る。
「おお、今夜はツイているな! この“遊戯”一番の
「最近出場したと聞いたけれど……さすが狼の獣人とあってタフねえ。あれで見目が伴っていたら、父上にねだってみても良いのですけれど」
「ハハハお嬢さん、そりゃあおすすめしませんよ。あの者はすでに、文字通りのケモノです。誰にも飼い慣らすことなど出来やしません」
称賛とも侮蔑ともとれるその声に、王女は固く指を結んで側付を見た。リクスンは長剣を軽く構え、じっと相対者を見つめている。
「良いのか、少年。俺は強いぞ」
威圧ではなく、実直な宣告。それに対し少年は、またもやフィールーンが後ずさりしたくなるような強い眼光を放ちながら答えた。
「良いも悪いもねェよ。ここに立ったら、勝つか死体になるかしなきゃ退がれねェんだ」
「……」
ヒュッと空気を撫でる音を響かせ、狼の獣人少年はダガーを構えた。痩せた両頬の脇で、サソリのハサミのように凶悪な刃物がきらめく。
「聞こえたぜ。あんた、王都の騎士なんだってな」
「それが何だ」
「あまり話す時間もないだろうから、最初に言っておく。オイラは騎士が嫌いだ」
擦り切れが目立つパンツから伸びる灰色の尾が、少年の気の高まりを如実に語っている。
「あんたらがその“大捜査”ってモンをきっちり成功させなかったお陰で、オイラはもっと深い闇に堕とされた。お天道様なんて、もう何年も見てねェ」
「……」
たん、たんと軽い足音を立て、獣人は左右に身体を揺すりはじめる。彼の足もとには、不思議と微塵の砂埃も舞ってはいない。
「だからここで――キッチリ落とし前つけてもらうぜ!」
牙を剥いてそう叫び、獣人は相対者――ではなく、身体を急転換させこちらへと斬りかってきた。
「――あ」
注視していても追えなかったその速さに、フィールーンはわずかに息を呑むことしか出来ない。肩を貸していた青年とその妹が何とか反応を示すのを察知するが、すでに獣人のダガーは3人の目前で鈍い輝きを放っていた――
「!」
ギンッ、と重い金属音が耳を貫く。強張らせた身体のどこに痛みが走るのかと怯えていたフィールーンだったが、いつまで経ってもその現実は訪れなかった。
恐る恐る目を開け、自分の前に立ちはだかるものを確認する。
「……?」
それは幼い頃から見てきた鎧姿でもなく、ようやく板についてきた旅装でもない。少し窮屈そうな紳士上着に包まれた――それでいて、やはり見慣れた広い背中だった。
「り――リンっ!」
「少年……!」
高さの違う2本のダガーを見事に長剣で受け切ったリクスンが、凄みを利かせた声でうなる。
「貴様、何のつもりだッ!? 相対者は俺だぞ」
「ハッ……やっぱそうか。この女、お前が仕えてる“ご主人様”なんだろ」
「!」
火花を散らして鍔迫り合いを弾き、獣人はひらりと後方へと飛ぶ。そのしなやかな動きに、会場からは興奮の声が上がった。
歓声には目もくれない様子の少年は、鼻の頭にシワを寄せてリクスンを睨んだ。
「そういうトコだよ、騎士野郎。どうせあんたらが守りたいのは、王都のお偉いさん方なんだろ」
「何……!」
「どうせオイラたち獣人の子供が何人か拐われたところで、何の問題も起こりゃしねェんだ」
フィールーンたちに壁際まで退がるよう手で示し、リクスンは闘気に満ちた少年を見返した。
「もちろんこの屋敷と街で起きていることは、すぐに騎士隊へと報告する。隊長……義兄上ならば、すぐに精鋭を引き連れて事態の収拾に乗り出し」
「――ッ、おっせェんだよ、もう!!」
咆哮とも言える激しい言葉。木こり兄妹や師匠と共に避難したフィールーンは、思わずびくりと飛び上がって壁に背をぶつける。
「この闘技場で、何回の“遊戯”が行われたと思ってんだッ! 何人死んだと思ってんだ、あァ!?」
今度は砂埃を巻き上げて地面を蹴り、獣人は剣士に向かって疾走をはじめる。彼の殺意に満ちた目はすでにフィールーンの姿を映してはいないらしい。
ふたたび金属音が重なり、広大な広場の中央で戦士たちが対峙する。
「オイラは絶対、ここを出るッ! 死体になんか、なってたまるか」
「俺も死ぬ気はない。大任を授かった身だ」
「ああそうかよ――んじゃあ心置きなく斬り合えんなァ、騎士さま! 手ェ抜くんじゃねェぞ。てめえが倒れたら、次は大事な“ご主人様”が指名されるかもだぜ!」
その煽りは側付にとっては効果大だったのか、彼の琥珀の瞳がスッと細くなる。獣人は満足げに鼻を鳴らしたあと、小柄な身体をさらに縮め――そして跳ねた。
「す、すごい……!」
まるで舞踏を思わせる、流れるような太刀筋。加えてフィールーンは、獣人が剣技だけに長けているのではないことに気づいた。時折、獣の脚力を乗せた蹴りが側付へと襲いかかる。
「く……!」
「
「同じにするなッ! 俺のほうが剣技は上だ!!」
律儀に反論する側付をハラハラとした心持ちで見ていたフィールーンのとなりから、「そもそもオレは剣士じゃない」とぼそりと呟く声が聞こえた。
「同じさ。どんなヤツが相手だって、オイラは負けなかった!」
「!」
残像を生み出すほどの速さを持ったダガーが踊り、ついにリクスンの肩口を切り裂く。パッと散った紅色に、フィールーンは思わず叫んだ。
「リン!!」
「……っ」
いつもならきちんと身体ごとこちらに向き直り一礼するだろう側付も、今はさすがに答えない。剣腕ではない手で傷口を圧迫しつつ、騎士は相対者から距離を取った。
「そういや突進ばっかり繰り返す牛の獣人も、あんたみたいな感じだったな。つまらねェ闘いだった」
「貴様……!」
「背中を守るしか能のねェハリネズミのガキも、やたら威嚇ばっかりしてくるネコの野郎も。どいつもこいつも、生き残るにゃ気概が足りねェ根性なしばっかりだった」
狼の獣人の殺気が膨れ上がり、素足から突き出した爪がガリリと地面を抉る。
「だから死ぬんだ。相手を殺すことに気後れしてっから、こんな洞穴で死んだんだ。オイラは絶対、そうはなんねェ……!」
研ぎ澄まされた刃を喉元に突きつけられたかのような気迫。フィールーンをはじめ、非戦闘員である観客たちもさすがに慄いたらしい。地下は妙な静けさに包まれていた。
「――リクスンッ!」
どうしてここでそんな声を出したのかは分からない。それでもフィールーンは、驚いた様子の仲間たちの視線を振り切り、一歩踏み出して叫んだ。
「ひ……フィル様?」
「リン、決して――死なないでください!」
「!」
唐突な自分の要求に、側付騎士は目を瞬かせる。相手の獣人も突然の声に怪訝そうな顔で動きを止めていた。
しばらくして、なぜか口の端を少し持ち上げたリクスンが問い返す。
「それは、御命令ですか?」
「いいえ!」
自分は父のように、胸を張って臣下に命を下すことなどできない。きっと実際にはそれらしい言葉ひとつでこの青年は従ってくれるだろうが、己はまだそんな“存在”ではないと感じていた。
それでも、今この場でわずかでも彼の力になりたい――フィールーンはその想いだけで次の言葉を放った。
「ゆ、友人としてのお願い、ですっ! 出来ませんか!?」
「!」
相手の獣人がピクリと耳を立てた気がしたが、それよりも王女は肩を上下させて側付の返答を待った。
両手で握った長剣を顔の正面にかざし、王国騎士は告げる。
「承知しました――我が“友”の、頼みとあらば」
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