5−10 斬ってみせてくださいまし
「今宵の遊戯は、地下にございます闘技場にて開催されます。腕に自信がおありの皆々様には、まさに光明とも言えましょう」
「……」
絨毯が敷き詰められた廊下を進む一同。その先頭を歩くセイルは、淡々と喋り続ける使用人の背を睨みつけた。
こちらの視線に気づいたオルヴァが、歩みを止めずに細面を見せる。
「質問がおありでしたら、何なりと」
「……毎日、こういうことをしているのか」
「はい。おかげで毎夜、館は盛り上がっておりますよ」
使用人の答えを裏付けるように、セイルの耳が近くの部屋から声を拾う。
「そんな……負けた、のか……⁉︎」
少し開いたドアの向こうに目を凝らせば、隅にうずくまって震える人影が見えた。
「ああ……黒に……黒色になっちまう……! いやだ……っ!」
擦り切れたシャツに身を包んだ男。激しく頭を掻きむしりつつ、もう一方の手は焦がれるように喉元をさすっている。タルトトほどでは無いにしろ、男のチョーカーはすでに曇天の空のように濁った色をしていた。
(……どうやら“遊戯”というだけあって、色々な種目があるみたいだね)
心中の賢者が観察したとおり、男がいる部屋にはカードが散乱している。今から挑む催しが武技の腕を問うものだというのなら、まだ自分たちは有利に立ち回れるかもしれない。
セイルは黒い紳士服の裾をなびかせて進む使用人に、低い声で訊く。
「引きちぎっていいか。首のやつ」
「無謀ですよ。敵意ある負荷がかけられた時点で、私が魔力を流しますので」
「へえ、ずいぶん素敵なからくりじゃん。ぜひとも分解してみたいねえ」
知恵竜が呟いた皮肉に一礼し、使用人は前方に向き直る。緩やかに下っていく石造りの階段を降りるたび、セイルの肌を嫌な空気が刺した。
*
おびただしい数の明かりに浮かび上がったのは、むわりとした熱気を孕んだ広大な空間。
真っ先に手をかざしたのは、狩人の目をもつ妹だった。
「わっ、明るい……! 何なの、この広い地下」
暗い通路を延々と歩かされたセイルたちが辿り着いたのは、その空間の中央に敷かれた広場だった。城に入り込んだ際にちらと見かけた、騎士たちの演習場にも似ている。
「す、すごい人の数です……!」
「観客かねえ。すると俺っち達のいるこの場所が、栄えある
「客だと……まさか、この全員がそうだというのか」
仲間達が見上げる観客席に、セイルも目を走らせた。広場を囲み上へと伸びる観覧席には、暗い色をした服に身を包んだ人々が空席なく詰めている。
『まあ、ご覧になって。今夜の“景品”は、若者ぞろいですわね』
『新しい獣人は……いないか。残念だ』
『あら良い男! キズモノにするには惜しいのじゃなくて』
『ふうむ。生意気そうだが、しつけ甲斐のありそうな小娘もいるじゃないか』
扇子や手袋の向こうから漏れ聞こえるその興奮したささやきに、セイルは心中で呻いた。全方位からの悪意ある視線にしばらくさらされていた一行の前に、ふたたび冷たい猫なで声が降ってくる。
「紳士淑女、そして自由な夜を心より愛する皆々様。大変お待たせいたしましたわぁ」
広場の端、高い石壁の上に据えられた豪奢な観覧席。2人分はあろうかという椅子を占領しているのは、もちろん館の女主人――バネディットである。
いつの間にそちらへ移動したのか、彼女のとなりに立つオルヴァが主人の顔付近に石製の燭台を近づけた。魔術が込められているらしい燭台は妖しく輝き、でっぷりとした顔に迫力を添えて照らし出す。
「いつもの“遊戯”を楽しみにして下さった方には申し訳ありません。ですが今宵は、さらなる興奮を提供できますことをお約束しますわぁ」
夫人が肉厚の手をパンと打ち鳴らすと、暗がりの中から小さな影がゆっくりと進み出る。金糸雀色のドレス、そして華奢な身体の線が明かりに浮かび上がった。
「……」
獣人の少女――タルトトは、セイルには見せたことのないぎこちない動きでもって会釈する。
『おお、メインの“景品”はリスか! 悪くないと思わないか、え?』
『賢そうな顔をしているな。侍女以外にも使い道がありそうだ』
『形の良い尻尾ですこと。引っ張りやすそうねえ』
観客席から容赦ない値踏みの視線が寄越され、少女の小さな肩を震わせた。
仏頂面で客席を睨むセイルの背後で、妹が苛立った声を漏らす。
「許せない、あんな見せ物みたいにして!」
「待ちな、エルシーちゃん。俺っちたちがあの物見席に駆けつけるより、例の従者が“首輪”を締めるほうが早い」
「わかってる。わかってるわ……!」
硬い地面にヒールで穴をこしらえつつ、エルシーは呻くように答える。同じ憤怒の表情を浮かべたリクスンや不安そうに空色の瞳を瞬かせるフィールーンにうなずき、セイルは遠くにいる夫人に振り向いた。
「聡明な皆様にはお察しのことでしょう。勇敢な顔つきをしたそこの5人の若者は、この獣人を“解放”したいとの意を主張しております。……まあわたくしとしては、彼らの主張自体が筋違いだとしか思えませんが」
声を拡大させる水晶を膝に置いた夫人が、甲高い声を響かせる。
「だってそうでしょう? まるでわたくしがこの獣人を拉致して捕らえ、違法と知りながらどなたかに売りつけようとしているようではありませんか。ねえ?」
観客席からどっと、笑いの波が打ち寄せる。狂気を孕んだその音に晒され、セイルたちはいっそう眉間にシワを刻んだ。
「わたくしはただ耳と尻尾をもったこの“愛玩具”たちを、馴染みのお客様にお渡しするお手伝いを生きがいにしているだけですわぁ。亡くなった夫が長い時をかけて築き上げた、立派な事業でございますから」
今度は熱烈な拍手が沸き起こる。胸に手を添えて満足げに会釈し、夫人は暗い客席を見回した。
「この闘技場は、みなさまの“品定め”が捗るようにと設けられた場所。オスの獣人は、どうしても無骨な見目になりがちでございます」
(……この時代にまだそんな呼び方をする者がいるなんてね。残念だよ)
獣人へ向けられた蔑称を聞いたテオギスが、苦々しい呟きを落とす。セイルも静かにうなずいたが、もちろんその嘆きが夫人に伝わることはない。
「ゆえに商品としての価値は、その肉体に宿るしなやかで強靭な力であると考えます。それならばやはり、力比べをご覧になっていただくのが一番ですわぁ」
夫人が2度手を打ち鳴らすと、セイルたちとは反対側に位置した出入り口の扉が開く。地獄の口のように暗いその中からふらふらと歩み出てきたのは、ボロ布をまとった痩せこけた獣人だった。
「というわけで――そこの戦士さん」
夫人の指名に、全観客がセイルたちを注視する。先頭でその視線を嫌というほど浴びつつ、セイルは唸るように言った。
「……何だ」
「あなたから回収した得物はたしか、斧でしたわね? 奇遇なことに、あなたの前にいる獣人も斧を扱うのが得意なんですのよぉ。なにせ森で細々と“木こり”なんかをやっていたそうですから」
観客たちの嘲笑を横目に、セイルは広場の中央へ到着した獣人を見遣った。たしかに彼の手にあるのは、ただの伐採用の斧だ。
しかしその道具の刃に見つけたのは――本来は付着するはずのない、赤黒い錆。
「死にたくない……」
「……!」
かすれた呟きと共に、獣人の痩けた頬を涙が伝う。それでも彼は、震える手で斧を構えた。
「こちらをお使いください」
近寄ってきた従者の1人が事務的に告げ、セイルへと小ぶりな斧を差し出す。
同時に、心から愉しそうに弾む夫人の声が背中を打った。
「どうぞ得意の斧で、その獣人を斬ってみせてくださいまし。斬り合いの果てに立っていた者――その者こそが、バネディットが求める“価値ある商品”なのですわぁ!」
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