5−8 もう始まっておりますよ

「ようこそお越しくださいました」

「……」


 昼間とは打って変わって丁寧な物腰を見せる門番に、セイルは無言の挨拶を返す。一行の若さを見下してか、門を通過する際に嘲るような小声が耳を掠めた。


「――どうぞ遊戯を“お楽しみ”くださいませ」


 セイルの脇を歩いていたエルシーがキッと睨み返すが、ここで問題を起こしては元も子もない。その細い肩を静かに押して促すと、聡明な少女はヒール音をタイルに響かせて歩を進めた。


「ええ分かってるわよ、“お兄さま”」

「……。話し方まで変える必要があるのか?」

「はぁ……もう、お兄ちゃんてば」


 鼻から息を吹いた妹だが、次の瞬間にはなぜか微笑んでいた。セイルは不可思議に思いつつも、ほかの仲間たちにならって広大な庭園に眺めることにする。


「……庭師の家か?」


 目を惹いたのは、ひとの背丈をゆうに超える高さをもつ植物の壁だった。


(あれは生垣を迷路風に仕立てたものだね)

「なんでそんなモノを庭に作る。一家は変人だったのか」


 率直な感想を述べると、心中の友はおかしそうにクスクス笑って答えた。


(ただの造形自慢だったり、子供の遊び場としてだったり、色んな意味があるようだよ。あるいは――秘密の財宝が隠されていたりしてね?)


 庭の半分を埋め尽くす庭園迷路の生垣はすでに褪せている。冒険心をくすぐるにはいささか物足りない代物であった。


「……探しに行くほど、もう子供じゃない」

(おや可愛げのない。まったく、ヒトの成長は早いね)


 からかうように言う賢者を無視し、セイルは正面玄関へと向かう。陰気なドア係によって巨大な扉が左右に開かれると、蝋燭の明かりに豪奢なホールが浮かび上がった。


 庭とは違い、来客のために隅々まで磨き上げられた室内。飴色の光が満たすホールは、暗い色をした社交着をまとった大人たちでごった返している。


 身元を明かさないのが暗黙の了解らしく、全員が顔の半分を覆う仮面を身につけていた。


「ごきげんよう。商いの調子はいかが?」

「あなたほどではありませんよ。しかし最近、良い素材を見つけましてね。ご興味があれば……」


 煌びやかな扇子がパイプから立ちのぼる煙をくすぐり、趣ある室内の景色を濁らせる。その向こうで交わされるのは、昏い熱気を帯びたささやき声だ。


「やあ、貴殿もまた懲りずに参加ですか! 私も前回ですっかり懐を軽くしてしまったのですけど、どうにもあの興奮が忘れられなくてねえ」

「近頃じゃこういった“お楽しみ”も、王都が厳しく目を光らせている。参加しない手はないじゃないか?」

「今夜の“景品”は何かしら? ぜひとも手に入れたいものね」


 残酷な響きを含んだその声に、セイルはいつもの無表情をわずかに歪めた。


「――こんばんは」

「!」


 急にすぐそばから声をかけられ、珍しく驚きに息が止まる。セイルはほぼ無意識に背に手を伸ばしたが、愛用の戦斧を掴むことはなかった。


「……」


 アーガントリウスの予想したとおり、敷地に踏み入る前に武器類が回収されてしまったことを思い出す。空ぶった手を下ろし、声の主へと身体を向けた。


「お待ちしておりました」


 優美な会釈をしてみせたのは、20代なかばに見える細面の青年であった。物騒な雰囲気を漂わせている用心棒たちとは違い、礼儀正しい使用人のような慎みを感じさせる。


「私はバネディット夫人より皆様の案内役を仰せつかりました、オルヴァと申します」


 きっちりと左右に撫でつけたシルバーブロンドの頭を上げ、オルヴァは紳士的な笑みを浮かべた。仮面をつけていないはずのその顔がどうにも嘘くさく見えるのは、この場所のせいだろうか。


「……名乗ったほうが良いか」

「いいえ。当屋敷内では皆様が昼間の役職や人格から解放され、好き好きにお過ごしになることを推奨しております」

「しかし、我々は仮面など用意しておらんぞ」


 不機嫌そうに申告するリクスンに、使用人は丁寧な笑みを向ける。


「あの仮面はすべて夫人が手配したもので、市場では手に入りません。ですから――」


 女のように繊細な指で示したのは、螺旋階段の脇にある小部屋であった。


「招待状をお持ちでない“飛び入り”のお客様には、仮面の代わりとなる身分証をお渡ししております。あちらへどうぞ」


 気乗りしないといった表情を隠さない騎士だったが、主君である王女に促されて小部屋へと大股で歩いていく。ぞろぞろと部屋に入る仲間たちに続いたセイルだったが、なにやら背に冷たいものを感じてふり向いた。


「!」


 ホールの奥に集まった客人――そのすべての視線が、じっとこちらを見つめていた。


「……」


 さきほどまでの興奮した様子が嘘のような静寂。

 仮面に穿たれた切れ目の奥にある瞳は、どれも物欲しさに血走っている。


 不気味な悪寒に同意するように、賢者が不敵な声で呟いた。



(……どうにも素敵な夜になりそうだね、友よ)


 



「こちらが身分証となるチョーカーです。どんなお召し物にも合う意匠だと自負しております」


 小部屋の中で全員に配布されたのは、質素な作りの首飾りだった。セイルの目にはただの白い紐にしか見えないが、かなり材質の良いものらしく丈夫そうである。


「ふーん……悪くないセンスじゃない?」


 アーガントリウスがしげしげと見つめたあと、セイルに小さくうなずいて見せる。魔法や魔術による細工はされていない、という意味だろう。


「むう。窮屈な上に、首輪のようで落ち着かんな……」

「た、耐えましょう。リン」

「そうよ。それにいつもフィルに尻尾を振っているようなものだし、良いじゃない」

「何だとッ!」


 いつもの言い合いをしつつも身分証を身につける仲間たちを横目に、セイルは静かに佇んでいる使用人へと詰め寄った。


「着けたぞ、さっさと案内しろ。遊戯とやらは、どこで始まるんだ」

「もう始まっておりますよ」

「何?」


 オルヴァは陶器人形のように無機質な笑みを浮かべ、平然と答えた。


「その“証”を身につけられた時点で、遊戯への参加エントリーはお済みとなっております」

「けど、ここは賭場なんでしょ。まずはチップへの換金じゃないの?」


 鏡でチョーカーの位置を吟味していたアーガントリウスが問うと、若者たち――とくに女性陣から、どこか冷ややかな視線が浴びせられる。


「……オトナって、こんなところばかり入り浸っているのね」

「あ、アガト先生……」

「ちょっと、すごい心が痛む目で見んのやめて!? たしなみだから、たしなみ!」


 しかし知恵竜の威厳は保たれた。使用人が誰の耳にも届く不思議な声で、誰も聞き逃しようもない内容を告げたからである。



「チップならもうお支払い済みでございます。皆々様の“お命”――そのもので」


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