5−5 全員参加だ

 幾重にも蔓が絡まった、豪奢な鉄柵。


 その向こうから玄関へと伸びる長い小道の先に、隅々まで意匠を凝らした巨大な屋敷がそびえ立っていた。


「……」


 故郷の森では決して見ることのないその洒落た建物をしばし見上げた田舎者――セイルは、記念すべき第一印象を述べる。


「手入れに苦労する」

(現実的だねえ。まあ、もっとも――今のこの屋敷には、そんな苦労人もいなさそうだけどね)


 心中から返ってきた友テオギスの意見に、青年は静かにうなずく。


 カーテンを閉めた窓が多い屋敷からは、全体的に寂れている印象を受ける。かつては美しく鉄柵を飾っていただろう蔓もすべて褪せており、今や不気味ささえ演出していた。広大な庭も手入れされているようには見えず、噴水も枯れている。


(さぞ美しかっただろうに、勿体ないことだね)


 残念そうにため息をつく竜と同じく、背後に控えている仲間たちからも訝しげな声が上がる。


「本当にここなのかしら? 花の愛好家が住んでいるようには見えないけど」

「お、お屋敷を……間違えたのでしょうか」

「一本道だったし、この丘にある屋敷っつったらココしかないっしょ」

「うむ。尋ねてみるのが一番だ」


 どこか荒涼とした丘の景色を眺めていたセイルの横に進み出てきたのは、実直さの塊である騎士リクスンだった。彼は柵の端に立っている門番らしき男に手を挙げ、朗々とした声を投げる。


「門番よ。ここは“花盛屋敷”と呼ばれる建物で間違いないか?」

「……」


 黒い紳士服に身を包んでいるものの、その体躯は屈強で目つきも鋭い。まるで歓迎の意を示していない強い眼光に、騎士も負けじと睨みを利かす。


 やがて男は面倒くさそうにぼそりと応じた。


「見てのとおり、もう屋敷に花なんかねえよ」

「我々は花の見学に来たわけではない。ここを連れが――リス族の幼い獣人が通らなかったか?」

「……知らねえな。帰ってくれ」


 後ろ手のままの体勢だが、男の存在感が強くなる。隠す気のないその殺気を感じ取り、セイルはそっと背の戦斧へと手を伸ばしたが――。


「ほっ、本当にご存知ないで――あっ!」


 気を急いたのか一歩踏み出した王女フィールーンが、何もないところで盛大につまずいた。ここまでの道しるべとなってくれた宝石類が彼女の手からこぼれ落ち、乾いた道に色とりどりの雨を降らせる。


 くすんだ色の景色に突如舞い踊ったその色彩に、門番は目を剥いた。


「……!」


 体勢をくずした彼女を支えつつ、リクスンが気遣う。


「ひ――フィル様! お怪我は」

「だ、大丈夫です、リン……。すみません」

「あたしが持っておくわね」


 妹が開いた巾着袋の中に宝石を流し入れる光景をじっと見つめ、門番は先ほどとは真逆の丁寧な声になって言う。


「……“賭け遊戯”に参加をご希望でしたら、承りますが」

「賭け、だと?」


 目線は宝石類へと向けたまま、門番はセイルの問いにすらすらと答える。


「この屋敷は現在、賭け事を楽しむ場として“一部の方々”に提供しております」

「屋敷の所有者はどしたの? そゆのが趣味じゃないヒトだと思うんだけど」

「3年前から、南の富豪――バネディット家が所有権を得ています」

「“得ている”……ねえ」


 切れ長の瞳を細め、アーガントリウスが意味深な呟きを落とす。次はどう切り込むかとセイルが思案していると、さくさくと枯れ草を踏み締める足音が近づいてきた。


「まあ、新しいお客様かしらぁ。嬉しいですわねぇ」


 鉄柵の向こうに現れたのは、上等な黒いドレスに身を包んだ太った女だった。肉づきの良すぎる胸元や手指はすべて大粒の宝石で彩られ、化粧はひび割れないのが不思議なほどに厚く塗りたくられている。


 ぷんと鼻を突く香水の匂いに顔をしかめつつ、セイルが訊く。


「……屋敷の住人か」

「ドローザ・バネディットと申します。僭越ながら、今は亡き主人に代わりこの屋敷の当主を務めておりますわぁ」


 語尾を急上昇させるその猫なで声は、どこかセイルの嫌悪感を誘うものだった。


「リスの獣人を知っているか。オレンジ色の髪に、茶色の耳と尻尾だ。金の計算が速くて、品物を値切るのが好きで、あとは……よく喋る」

「セ、セイルさん……」

「うふふふ。もちろん、存じていましてよぉ」

「えっ!?」


 何かを言いかけた王女だが、バネディット夫人のあっさりとした返答に驚く。セイルが続きを促す目線を送ると、夫人は小さな目をにんまりと細めて屋敷を見た。


「ちょうど今、“準備”させているところですのよ。ほら、3階の部屋に」

「――いた! タルトちゃんだわっ!」 

「ど、どこだ!?」


 騒ぐ2人を置いて屋敷を見つめたセイルも、すぐに見慣れた小さな姿を発見する。


『!?』


 カーテンが束ねられた数少ない窓の中、こちらの視線に気付いたらしい獣人――タルトトが、くすんだ窓に張り付いた。


『――! ――ッ!』


 小さな手がガラスを叩くかすかな音が、静かな丘の風に乗ってセイルの耳を打つ。さすがに竜人の聴覚を持ってしても、その言葉は聞き取れないが――。


「た……タルトト、さん。どうして……?」

「何を言っているのか分かるのか、フィル」


 茫然と呟いたフィールーンに、セイルは短く訊く。王女は胸の前で固く両指を結び、震える声で答えた。


「“にげて”……と」

「なっ――! ほ、本当ですか、フィル様」

「た、タルトトさんとは、よく……口の動きだけで言葉を当てる遊びを、していたもので」

(他愛もない暇つぶしが、こんな形で役に立つとはね……)


 心配に青ざめていく王女に代わり、獣人ともっとも仲の良いエルシーが燃えるような瞳で言った。


「タルトちゃんを返しなさい! これは拉致よ、分かっているの!?」

「あらぁ可愛らしいお嬢さん、物騒なことを言わないで下さいまし。あの獣人は元々、わたくしたち夫婦の“所有物”ですのよぉ」

「!」


 当然といわんばかりの口調で放たれたその残酷な言葉に、全員が硬直する。


「あの獣人は、以前取引をしていた市場における“商品”でしたの。なのに無粋な邪魔者の介入によって、逃げ去られてしまって。大損でしたわぁ」

「だ……だとしても、もうタルトちゃんは自由な商人で――!」

「“商品”の役目は、売れること。はまだ、誰にも買われていません。だから変わらず、わたくしたちのモノなのですわぁ」

「貴様! 獣人の奴隷売買など、とうの昔にッ――」


 身を乗り出した騎士を見、夫人の目が鋭くくらい光を浮かべる。


(いけない、リンを止めるんだ。城の者だと知られるのはまずい)


 賢者の忠告を聞いたセイルが手を伸ばすよりも早く、騎士の怒れる肩に褐色の手がぽんと置かれた。


「まあまあリンちゃん、落ち着きなって。ご婦人の前でしょうが」

「し、しかしアガト殿!」

「麗しきミセス・バネディット――もちろん我々にも、その“商品”を手にする機会をお与えくださるでしょう?」


 わずかに会釈しつつアーガントリウスが笑顔を向けると一瞬、夫人は物欲しそうな表情を浮かべる。すぐに手持ちの扇子で口元を隠すと、一同を見回した。


「今宵の“遊戯”は午後9時より開始予定ですわぁ。一等景品はもちろん、あらゆる場面において使い勝手の良いリス族の獣人です」

「あ、あんたねえ……っ!」

「うふふふ、飛び入り参加も歓迎でしてよぉ。ただ、会場に入るならばそれなりの格好をして下さいましね。お越しになる皆様はいずれも、名のある富豪ばかりですから」


 憤りのあまり肩を震わせる妹を手で制しつつ、セイルは低い声で告げた。



「――全員参加だ」


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