3−14 “森男”の心得だ
「姫様ッ!」
「お兄ちゃん!」
「あっしの旅荷ちゃん!」
異なる目的の名を叫ぶ3人が、肩をぶつけ合いつつこちらへと駆けてくる。
「待たせた」
木立から歩み出たセイル――本当は近くまで空を飛んできたが、近くの茂みでヒトの姿になっておいた――の後ろにはフィールーン、そして帰路で回収した荷袋を抱えている黒い魔獣の姿があった。
「そ、そいつは!?」
蛇頭の尾を持つ魔獣を見、リクスンの手が素早く腰の剣へと飛ぶ。
セイルの隣に並んだ王女が慌ててそれを制した。
「リン、こ、このひと――ヒトじゃないですけど――は、大丈夫です!」
「しかし貴女を連れ去った狼藉が」
「十分、償いはしたはずです」
そう言うと、王女は大人しくしている魔獣を見た。その黒い瞳には明らかな心配が浮かんでいる。魔獣も――そしてセイルもまた、生傷だらけであった。
首輪を破壊するという行為は結局、口で言うほど容易いものではなかった。
魔獣は本気を出してセイルに襲いかかり、首輪への攻撃を阻もうとした。知性がある獣との戦いがあれほど困難なものだとは知らず、セイルは浅くも多数の傷を負っていた。
それら戦いの痕に目敏く気付いた妹が、セイルと同じ色の瞳を瞬かせる。
「お兄ちゃん、そいつと戦ったの? 大丈夫」
「問題ない」
「あるでしょう! 傷、見せて。……竜人って言っても、痛くないわけじゃないんだから」
後半の言葉は罪人たちに聞こえないよう、呟きめいたものだった。真剣な顔で腕や顔の傷を検分するエルシーの足元では、セイルが運んできた荷袋にひしと抱きついている商人の姿がある。
「もう取り返してくだすったなんて! 感謝しやすぜ、セイルの旦那ぁ!」
「オレが見つけたわけじゃない。あいつが隠し場所を教えてくれた」
「え。えーと……この真っ黒いお方が?」
影のように静かに佇んでいる魔獣を見上げ、タルトトは目を丸くした。その後方、いまだ一括りに拘束されているならず者一家から恐ろしく低い声が上がる。
「ドゥムル! あんた、裏切ったってのかい」
『……』
セイルの背後から動こうとしない魔獣だが、その剛毛に覆われた肩が一瞬震えた気がした。しかし青年の隣から、はっきりとした声が飛ぶ。
「この方は、そんな名前ではありません!」
「あん?」
「それは――ケーラ魔術語で“けもの”なんていう意味の名前は、あなたが勝手に押し付けた、ものです!」
セイルを含め、王女の言葉に驚いた一同がぽかんと口を開ける。
(おや、そんな知識も持っているなんてね)
のんびりとしたテオギスの声が、セイルの心に流れてきた。
(まったく、いくつの書物を読み込んだのだか。術師にならないのが惜しまれるよ)
「……嫌な意味の名前なら、名乗らなきゃ良いだろう」
(首輪を付けられた際に、本来の名を失わされたんだろう。隷属魔術の常套手段だ)
軽蔑するような友の声に、セイルもうなずいた。一方、自分の仕掛けた術がすべて台無しにされたことを悟ったらしい老婆ゼニィは、黄色い歯を見せて嫌らしく笑う。
「ほーお? それじゃあ、今度はあんたが可愛い名前をつけてあげるってのかい、お姫様。テディか、それともキティだとか? まあ雄か雌かも、知らないけどね」
「……」
「ああ、もしかしてあんたのペットにしてくれるのかい? よかったねえ、これで夢のお城暮らしじゃないか。羨ましいねえ」
ヒヒヒと皮肉を押し出した老婆の笑みは、胸が悪くなるような画だった。明らかな嘲りに、緑と金の頭が同時に動く。
「あんたねえ、調子乗ってんじゃ――!」
「貴様ッ、己の置かれている状況を――!」
「待て。エルシー」
「待ってください。リクスン」
勇み足を踏み出そうとした2人が、ぴたりと止まる。呼び止めた主たちは互いに視線を合わせ、深くうなずいた。
「く、首輪を外すの……とても、大変だったんです」
「そりゃそうだろうさ! 留め具もなにもない、特注だからねえ」
「ああ。綺麗に取り去るのは、たしかに至難の技だった」
「そいつはお褒めいただき――なんだって? 壊したんじゃ」
セイルが腰の物入れからくたびれた“それ”を取り出してみせると、老婆の顔色が変わった。彼女だけではなく夫や孫たちの目も、妖しげに光る紅い宝石に釘付けになっている。
「使えるものは、最後まで使い切る。“森男”の心得だ」
「なんだい、ま、まさか」
ならず者の顔から血の気が引くが、若者たちの前で無様は晒すまいと思ったのだろう、なんとか引きつった笑みを浮かべる。
「ハッ! あたしとしたことが、そもそも怯える必要なんか無かったねえ。魔術のことを少しかじってるぐらいじゃ、隷属術を発動させる文言なんか唱えられっこないさ」
『“
「!?」
王女の口から滑らかに流れ出たその不思議な言語は、場の誰もを仰天させた。
意味を理解しているのは老婆と竜の賢者――そして彼からほぼ遅れのない通訳を受けているセイルだけだろう。
「なっ、なんで、あんたみたいな小娘がケーラ語を! けど、それっぽっちじゃ」
『“
フィールーンの視線に促され、セイルはつかつかと一家に歩み寄る。
「動くな」
「なにを! や、やめな森男ッ!」
縄の中で身を捩る老婆の正面に屈み、その首に鈍く輝く輪を掛ける。何十倍も素早く動く魔獣と戦っていたのだ、これくらいは造作もない。
「うぁっ!?」
「もう魔力を流して接着した。簡単には外せない――知っているだろう」
青年の言葉通り老婆の首に嵌った輪は、干からびた枝のような彼女の首にぴったりと巻きついていた。テオギスの魔力制御を加えつつの試みだったが、上手くいったようだ。
あとは任せたとばかりに視線を投げると、いつもよりどこか冷ややかな光を灯した空色の瞳が受け止めた。
形の良い唇から紡がれはじめたのは、臓腑の底を撫でられるようなおぞましい響きの言葉――。
『“地底に住まう昏き同胞よ。我、其の腹を満たさんがため贄を捧げん”』
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