3−3 ただの予想だ
小道を分け入った場所に広がっていたのは、昼食には最適な野原。
吹き抜ける風に黒髪を押さえつつ、王女は荷車の横に立つ青年に呼びかける。
「あ、あの……。セイルさん」
「何だ」
応じてくれるものの、その顔は馬車の座席に収まったままのフィールーンを見てはいない。彼は太い指を器用に駆使し、木の実の殻を取りのぞく作業に没頭している。
「わ、私もなにか、仕事を……」
「座っていろ」
「で、でも……」
フィールーンは居心地の悪さに表情を暗くした。
現在、昼食のためにそれぞれが準備に励んでいる。基本的な食糧は荷車にあったが、タルトトはこの季節しか実らないという果実を探しに森へ消えていった。
エルシーとリクスンは、水の補給に近くの川へと出向いている。
もちろん彼は自分の護衛に残ると言い張ったが、細腕のエルシーに重い水運びをさせるわけにもいかない。顔を輝かせたフィールーンはすかさず手伝いを名乗り出たが、それも彼女自身に却下されてしまったのだ。
“王女様にそんなことさせられないわ。お兄ちゃんは水の近くだと役に立たないし。まあいいわ、あたしだけで何とかできるから”
“で、でも……空の水樽は3つもありますし、お、お料理用にも”
“そうなのよね。少なくとも4往復はしなくっちゃだわ。精霊に飲み水を清めてもらわなきゃならないし、あたしこんな森で力尽きちゃうのかしら……?”
悲壮感たっぷりに嘆く少女。腕組みしていた側付は諦めたように息を吐いて大声を出した。
“……ッ、ああ分かった! そんな顔をするな、木こり妹。俺も手を貸す”
“あら、やっと親切な騎士さまらしく働くってわけね? 頼りになるわ。はい、じゃあこれとこれとこれ持って”
“なっ……、お、おい、樽以外が多すぎでは”
“ついでに朝使った道具類も洗っておきたいから”
“そこまでするとは――”
“護衛はお兄ちゃんがいれば安心よ。あ、プッコルの実の殻取っておいてね”
桶や料理道具を抱えた騎士を引き連れ、エルシーはあっという間に木立の奥へと姿を消した。
こうして残されたのがフィールーンたち、“お留守番”組である。そして王女はこの数日間、一度もその組から出たことはなかった。
どんな小さな手伝いに名乗りを上げようと、どの口から返ってくる言葉は同じ――“王女だから”の一点張りである。
「そ、その殻……私も取ります!」
「もう終わる。それにこいつは、見た目以上に硬い」
「私だって、り、竜人です」
「同じ存在相手に嘘をつくな。ヒト姿の時は怪力じゃないだろう」
「う……」
たじろいだフィールーンだったが、半ばヤケになって食い下がった。
「せ、セイルさんはそのお姿でも、あんなに大きなお、斧を――!」
「鍛錬した。ヒト時であっても、竜人の身体能力を少し引き出せるように」
自分は圧倒的にヒトの要素が強く、竜人姿に成らなければ普通の女と変わらない。心中に賢者を宿す青年には、とうに見抜かれていたようだ。
「そう、ですか……」
分かっていたことではあるが、声が掠れた。どう伝わったのか、木こりは一瞬こちらに目を向けて言う。
「テオギスが魔力制御に力を貸してくれるから出来ることだ。気にするな」
「は、はい……。でもやはり、皆さんが働いているのに、私だけ座っているのは……」
「無事でいることが、お前の仕事だ」
「……」
しばし落ちた沈黙に耐えきれず、フィールーンは奇妙に明るい声を出す。
「そ、そういえば城からの追手はありませんね! お、大きな騒ぎも」
「あの騎士隊長が上手くやってくれたんだろう。出発前に、お前がそう頼んだ」
それはそうなのだが、と返す間もなく会話が途切れる。王女はあたふたと次の話題を差し向けた。
「あ、えっと……そ、そうだ! セイルさんは竜人化すると、髪の色が黒になりますよね!」
「それが何だ。お前も黒髪だろう」
「う……。で、でも、セイルさんの地毛や、テオさまの鱗とも違う色ですし……」
「……。
茶色の瞳は相変わらず小さな木の実を見据えているが、一応会話相手になってくれるらしい。フィールーンはのたうつ心臓を押さえつつ身を乗り出した。
「オレが竜人になった経緯が特殊だからではないか、と言っていた」
「特殊?」
「血を混ぜられた“半端”たちと違って、自分の意思で竜の力――つまり“魂”を取り込んでいる。それにより強い竜人が出来たのではないか、とかなんとか」
「本来の竜人に近しい存在……ということでしょうか。では元々の彼らは、黒髪や白髪の出立ちをした者が多いという――?」
「ただの予想だ。大昔のことは分からない」
これ以上耳を貸すつもりはない、とばかりにセイルはプッコルの実を袋に詰めはじめる。殻を拾い集めると、のそりと立ち上がった。
「茂みに撒いてくる。“岩歯イタチ”なら食うだろう」
「そ、それなら私も」
「荷を見ていてくれ」
フィールーンが座席から尻を浮かすよりも早く、青年は背を向けスタスタと歩き去った。さすがに全員が荷から離れるわけにもいかない――そう理解しつつも、フィールーンは珍しく不平を口にした。
「こんなところ……誰も、いないじゃないですか……」
初めての旅で何を生意気な、と理性が警告する。それでもフィールーンの気分は重く沈んでいった。
「……」
城から出たというだけで、何かが変わった気でいた。しかし実際は水運びのひとつもこなさない、お荷物だ。
たしかに料理などしたことなどないし、手順も分からない。あらゆる本の知識を得たことが唯一の自慢であるというのに、そういった生活知識は皆無に近いことに落胆した。
「はあ……」
硬い座席の上で、旅装に包まれた両足を引き寄せる。まさに冒険のための軽装といったこの服にも心が躍ったものだが、こうして座っているだけでは格好がつかない。
「もっと、色々……聞いておけば、よかったな」
おいしい料理を用意してくれる使用人。服を洗い、シワを伸ばして持ってきてくれる侍女。広大な城の隅々まで清めてくれる清掃人たち。
そしてこの身に危険が迫らぬよう、絶えず気を張ってくれている側付――。
そういった人々に護られ、支えられて生きていたのだ。フィールーンは防塵マントの裾を弄りつつ、更なるため息をつく。
そこへ隙間風のように忍び込んできたのは、しわがれた声だった。
「もしもし、お嬢さん……よかったら、力を貸してはもらえないかねえ」
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