2-28 懐かしいものだな

「……!」


 深々と下げられた濃い色の頭を見、セイルはぎょっとした。


 王冠が載っていれば――ただしこの国に王冠を戴く者はいない。絵本で見た他国の王たちの姿だ――ずれ落ちるところである。隣席の妹も硬直していた。


「謝るって、何を」

「8年前、賢者ルナニーナ・ヴァンロード殿を襲った凶事はもちろん……その後、帰還途中でテオギス殿の消息が途絶えた時のことだ」


 形だけの謝罪ではなく、ラビエルが心から申し訳なく思っていることをセイルは察した。


 若々しく見える顔に、たしかに苦悩を孕んだ小皺が浮き上がる。


「もちろん余も騎士隊も、力を尽くしてお探しした。だが発見には及ばず、結局は不幸の連鎖が起きたのだと決めつけてしまった……」


 コートに包まれた肩を落とす王を見、セイルの心中で賢者が応える。


(陛下……。僕は自身の魔法と精霊の加護でホワード家の森に隠れていたから、仕方ないことだけれど。お心を痛めてしまったな。セイル、気にしていないと伝えてくれるかい?)


 賢者の言葉を伝えると、ラビエルは少し救われたような微笑みを落とす。


「ああ、懐かしいものだな……。髪色もそうだが、たしかに君の瞳の奥にはあの賢者殿の聡明な輝きが見える」

「そうか? ……でしょうか」


 妹に肘で小突かれて不慣れな敬語を添えてみるも、王は親しげに笑って言った。


「自然にしてくれ。込み入った話をするには、その者らしさが必要なのでな」

「わかった。ラル」

「お兄ちゃん、適応早すぎ……。あたしは心臓に悪いから、このままで良いわ」


 妹は果実のジュースをあおり、重い息を落とした。緊張しているらしく、すでに杯の半分が消えている。


 優雅な所作で献杯の意を表し、今度はカイザスが魅力的な笑顔を浮かべた。


「では私からは、感謝を申し上げたい。負傷されたテオギス殿を森に匿ってくれたこと、そして――勇敢な志を持ってこの王都に赴いてくれた、2人の若者に」

「!」


 となりで妹が赤くなりながら小さく杯を掲げたのを見、セイルも自分の杯を少し持ち上げた。


 格式ばった儀式を終えると、騎士は途端に破顔して言った。


「セイル君の足さばきや得物の扱いは、まさにヤーク殿の動きを彷彿とさせた。その歳であれほど彼の動きを取り入れるとは……かなりしごかれたのだろう?」

「分かるのか」

「私も彼の弟子のようなものだ。隊長職を譲り受けた日の朝まで、身体中青アザだらけであったよ」


 茶目っ気を含ませながら語る騎士隊長も、セイルが思い描いていた“厳格な兵士”とはまた違った人物であった。


「……」


 兄弟子とも言える彼だが、武技の腕前はセイルの遥か先を行っている――思わずそう納得してしまう自分がいた。


「さて。まことに残念ながら、庶民として振る舞える時間は少なくてな。長旅疲れもあろうが、このまま本題に入らせてもらっても良いか?」

「は、はい。もちろんです」


 くだけた調子の中にも“王の威厳”とやらを感じ取ったのか、妹がぴんと背筋を伸ばす。机上の蝋燭が、彫りの深い王の顔にさらに濃い影を刻んだ。


「うむ。ヤクレイウス殿の書状は、余にも届いておる。内容は療養中であったテオギス殿を襲った者の細事や、竜の力を受け継いだ木こりの少年について――そして我が娘、フィールーンの今後についての提案であったな」

「!」


 賢者から何度も聞かされた名が耳を打つと、セイルの背をわずかな緊張が駆けた。


「王であっても、余もヒトの親だ。取り急ぎ、娘についての話をまとめたい」


 真剣な眼差しを浮かべる国王に、セイルもうなずく。


「王女の具合はどうだ? まだかなり苦しんでいるのか」

「いや。力を得た頃は身体への負荷が強く、伏せってばかりいたが。それも身体の成長に伴い、和らいでいった」

「よかった……。じゃあ今は、落ち着いていらっしゃるんですね?」

「そうとも言えんのだ」


 妹の問いにラビエルは暗い顔になり、ちらと側付を見る。

 説明役を譲り受けた騎士隊長が滑らかに言葉を継いだ。


「フィールーン様は書物や勉学に没頭し、なるべく心穏やかに毎日を過ごされている。だが時折、殺された賢者殿にまつわる記憶や、彼女と過ごした日々の思い出――ふたりは親しい友だった――がよぎり、竜人化のきっかけを作ってしまうのだ」

「……」        


 セイルは重々しくうなずき、目を伏せた。その状況には覚えがある。


 竜人化は魂や記憶と密接に絡む力であると友は推測していたが、まさにその通りなのだ。辛かった記憶や、煮えるような怒り――そういった激しい感情はとくに、意図せぬ竜人化を引き起こしやすい。


 幼かったセイルもしばらくの間は“あの日”の悪夢にうなされるたび、無意識に寝台や部屋を破壊していた。当時の――まるで嵐のようだった――自分の心情は、いまだに苦く記憶に残っている。


「オレも制御できるようになるまで、時間がかかった」

「うむ。賢者夫妻を欠いたあとの城では、竜人にまつわる知識が乏しくてな……。大臣をはじめとするエルフたちも知恵を絞ってはくれたが、いまだ彼女の身体にあの力は馴染んでいない」


 苦々しげに呟いたカイザスは静かに杯に口をつけ、ふたたびこちらを見遣った。


「そんな暗澹あんたんの中にあった城に差し込んだ、希望の光――それが君なのだ!」

「……」

「フィールーン様と同じ“竜人”の力を持ちながらも、自意識を保てる。さらには彼女の症状を克服、または消し去ることが出来るかもしれない――そんな申し出まであったとなれば、陛下も私も城で待っているわけにはいかぬというものだ」


 期待に目を輝かせ、騎士隊長と王はセイルを見つめた。

 男ふたりの熱っぽい視線から本能的に逃げ、木こりの青年はぼそりと言う。



「テオが――竜の賢者が、この世で一番頭の良い竜を知っている。そいつの知恵を借りに行く」


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