2−26 しばしお相手願おう
国と同じ名を冠する王都、ゴブリュード。
その昔に手を取り合い、巨悪――“竜人”――を討ったヒトと竜によって築かれた、平和の象徴とされる都である。
侵略戦争に晒されたことのない城は世界有数の歴史的建造物であり、賑やかな城下街には民の笑い声が絶えない。
――そんな華やかな大都会であるからこその闇もまた、色濃く存在する。
「あら、可愛いお兄さん。ちょっと遊んでいかない?」
「あ、いや……」
「うふふっ、ジョーダンよ。子供はこの先、入っちゃダメだからねぇ」
刺激と快楽を求める大人たちが吸い込まれていく、裏通りへの暗い入り口――そこに所在なく立っているのは、田舎者の兄妹がふたり。
「お兄ちゃん、目を合わせちゃダメだってば」
「……ほかに目の遣り場がない」
「ああもう、まだなのかしら! ヤークが言ってた待ち合わせ場所って、ここよね?」
落ち着きなく自分の袖を引っ張る妹に、セイルは無機質な表情でうなずいた。
露出の高い派手なドレスを着込んだ女たちに何度もからかわれていれば、王都に対する感動も薄れるというものである。
「ここ、本当に精霊が少ない。悪いモノも溜まってるみたいだし、イヤね……」
到着時は大通りの喧騒に興奮していたエルシーも、今は不安げに茶色の瞳を曇らせている。
「お城でヤークと仲良くしていた人なのよね、その人?」
「らしいな」
蔦が好き勝手に這うレンガの壁を見上げ、妹はこの場所で落ち合う予定になっている人物の姿を探していた。
「なんでこんな薄暗い場所で会わなきゃいけないのかしら」
「さあな……」
「もしかして、すっごく偉い人だとか? 表を歩いていたら、皆びっくりするような――ど、どうしようお兄ちゃん。あたし、こんな旅装のままで」
「オレだってそうだ。昨日は風呂にも入ってない」
「そうよ、大変だわ! ねえ、先に宿を探さない? お風呂くらい――」
身だしなみに気を遣う妹が半狂乱になるのも分かるが、もうほぼ約束の時刻に達している。すれ違えば一生、城に足を踏み入れる機会を得られなくなるかもしれない。
セイルが重々しく頭を振ると、妹はがっくりと肩を落とした。
「よし。こうなったら、早くお話を済ませて宿へ行くだけだわ」
切り替えの早いエルシーは、先ほどよりも目を皿にして路地を見回しはじめる。妹の視線がレンガ壁の上にまで飛ぶのを見、セイルは呆れたように言った。
「そんなに見上げなくても良いだろう……猫じゃないぞ」
「ま、そうなんだけ――ど……? え、あれって」
不思議そうに目を細めている妹が見つめる先。
そこにセイルが感じ取ったのは、糸のような細い殺気だ。
「! エルシー、伏せろ!!」
「きゃっ!」
妹の緑頭を掴んでぐいと押し下げつつ、青年は背中の斧に手を遣った。
瞬間、頭上に現れたのは――月が落ちてきたのかと思うほどの銀色。
「ッ!」
鈍い音を上げてその銀色を斧で受け止めたセイルは、腹と脚に力を入れて身体を捻った。空中から重力をまとい降ってきた襲撃者は、大きさの割に意外にも軽い。
「ほう! 気づいたか」
力技で弾き飛ばすと、相手はまさに猫のようなしなやかさでふたたび宙を舞った。
やがて人気のない路地裏に響いたのは、場違いなほどに明朗な声。
「うむ。重い得物を持ちながらも、良い動きをしている」
ほとんど足音を立てずに着地した襲撃者は、品の良い街着に身を包んだ背の高い男であった。しかも女たちが嫉妬するような滑らかな銀の長髪を持つ、美男――人の美醜に疎いセイルでも片眉を上げてしまうほど――だ。
セイルの大戦斧とぶつけあった長剣を顔の前にかざし、男は深い蒼の瞳を丸くする。
「新調したばかりの剣が刃こぼれとは。若くとも力は十分に備えていると見える」
「……誰だ」
「この国の治安を預かりし者、と言っておこう」
つまり鎧を着ていずとも衛兵、もしくは騎士といったところだろうか。セイルは小さく舌打ちし、エルシーに退がるよう手で示した。精霊が少なく狭いこの路地では、彼女が得意とする術や弓を活かすことができない。
共に苦しい修練を耐え抜いてきた戦斧を眼前に構え、セイルは身を低くした。状況を心中から見守っていたテオギスが、ふと何かに気付いたように呟く。
(おや、もしや彼は……?)
「街の見回りか何かだろう。悪いが、捕まっている時間はない」
子供がこのような場所に立っていることは、どれほどの罪になるのだろうか。セイルは面倒な待ち合わせ場所を選定した師を恨んだ。
一方、心中の賢者はどうにも不可解な提案を投げてくる。
(ふむ……ではセイル、真剣に相手をするといい。彼は強いよ)
「知り合いか?」
(まあね。けど、僕のことを説明できる時間はなさそうだ)
友の名を呟く暇もなく、ふたたび銀の煌めきが鼻先に現れる。やはり目を疑う速さだ。
「っ!」
「しばしお相手願おう!」
どこか愉快そうに言い放った襲撃者は、長剣を見事に操って次々と斬撃を生み出した。それらを避け、あるいは斧で受け流しつつセイルは反撃の隙を窺う。
「筋は良いが、やけにぎこちないのだな! ヒトと斬り結んだ経験は少ないか」
「!」
図星である。“半端竜人”たちによる襲撃とヤークとの修練を除けば、他人と戦うのはこれが初めてだった。
「く……っ」
自分の斧にが彼の身体を掠めれば、怪我では済まないかもしれない。セイルは汗ばむ手で斧の柄を握り直すが、その間も絶えることなく男は襲いかかってくる。
「埋められぬ経験の差というやつだ。さあどうする、青年? 降参するか」
「埋められない、なら……!」
「うん?」
余裕を含んだ声にセイルは唸り、ありったけの力を込めて鍔迫り合いを押し返した。
竜人の怪力を含んだその反撃を受け、手練れだろう男もさすがに後方へとよろめく。その隙に煉瓦にヒビをを刻みつつ左右の壁を蹴り、セイルは路地の宙空へと舞い上がった。
自身の脚力で到達できる最高地点へと昇ると、一瞬で魔力を胸に集約させる。
「この場で“盗む”ってのはどうだ、美男さんよ!」
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