2−13 けんじゃってのは、もうかるんだろ?
獣道を引き返しようやく広場についた兄妹は、揃って小さな心臓を縮めた。
「これ、は……」
焼け焦げて曲がった木々に、いまだ火の粉を孕ませつつ吹く風。
今朝までは歓談に使われていた手作りの食卓に降り積もる、大量の煤。
そして形容しがたい姿となって辺りに転がっているのは、おぞましい臭いを放つ黒い塊たちだ。その一部は妙に大きな塊で、尖った長い口を有していた。まるで竜がヒトへ変化しようとする途中のような姿をしている。
そのすべての塊に、すでに命の息吹は感じられなかった。
初めて目にする光景のはずが、それらが激しい戦いの跡であることを子供ながらに悟ってしまう。
「うっ……!」
セイルは込み上げてきた吐き気を堪え、顔を歪ませた。せっかく入手した得物が肩から滑り落ち、重厚な音を立てて地面に突き刺さる。背後のエルシーは悲鳴を上げることもできず、ただ目を潤ませて口元を押さえていた。
「セイ、ル……」
「!」
弱々しい呼び声に、セイルは弾かれたように顔を上げる。声の主はすぐに見つかった。この場でもっとも大きな身体を有する者――すなわち、木立にもたれ掛かるようにして座している竜である。
「テオッ!!」
「もどって、きては……」
「どうなってる! なんで、こんなにたくさん――」
ますます傷を増やしている紺碧の竜に駆け寄り、セイルは大声を出した。テオギスは血が流れ込む目をこじ開け、広場の惨状を見渡す。
「増援、だ……。敵は、ひとりじゃなくて、ね……。すま、ない」
「そんなのいい! 父さんは」
「お兄ちゃん、こっちよ!」
少し離れたところで上がった緊迫した声に、セイルは急いで振り向いた。
蛍のように精霊が舞う中、妹が忙しく手招きを繰り返している。
「エルシー! 父さんか」
「ええ。気を失ってるけど、大丈夫よ。生きてるわ」
涙を拭ってそう告げると、エルシーは大きく息を吐いた。
「……そう、か。よかった」
座り込んだ妹の横で地面に大の字になり倒れている男――父ダーニルの顔を見、セイルも膝から脱力する。
「……」
父は疲労困憊といった様子で深い息をしつつ、固く目を閉じていた。これほどの増援を討ち払った後だ、全ての気力を使い果たし意識が飛んでしまったのだろう。
逞しい体のあちこちに血が滲んでいたが、致命的な傷は負っていないようだ。傍には血に濡れた長剣が放り出されている。
「……。しばらく、仕事はムリだな」
「そう、ね……。町にいって、なにかお手伝いさせてもらわなくちゃ」
どこか気の抜けた会話。しかし兄妹はそう振る舞うことで、決壊しそうな心をお互いに支えていた。
小さく微笑んでうなずきあったところで、バキバキと枝が折れる音に飛び上がる。
「く……!」
それは竜の賢者が巨躯を引きずり、木立からよろよろと身を起こす音であった。彼はそのまま、土埃を上げてゆっくりと進みはじめる。妹が青ざめて叫んだ。
「て、テオさん!? どこにいくのよ、そんなカラダで!」
「ここには、いられない……。本当に、きみたち一家にはすまないことを、した……ッう!」
みずからの傷がこしらえた血溜まりに足を滑らせ、竜の進軍はあっけなく終わる。セイルと妹は、急いでその巨体の足元に駆けつけた。
「テオ! とまれ」
「手当ての恩はきっと、いずれ……。しかし今は、行かせておくれ……」
「――“ヴァンブル探検隊と雲の島”」
「?」
セイルがぼそりと口にした言葉に、竜は青銀の瞳を瞬かせる。
「今、おまえからきいてる話だ。まださいごまで、はなしてないだろ」
「セイル……」
「あ、あたしもよ! “聖女に恋した亡者”――いいところなんだから! このままおしまいなんて、ゆるさないわよ」
「エルシー、まで……」
仁王立ちになって睨めつける自分たちに、竜は困惑の表情を浮かべる。
「けれど、僕のせいで……君たちの、森が」
「木なんか、またはえる。わるいとおもってるなら、“べんしょう”しろ――けんじゃってのは、もうかるんだろ?」
「……まいったな」
セイルが荒々しく鼻息を落として言い切ると、友は長い口を唖然と開く。
「清らかな木こりだった、君が……どこでそんな、邪悪な知識を得たんだい」
「だいたいおまえからだろ、テオギス。とにかくうごくな、そこにいろ」
「あたし、家から手当ての道具をとってくるわ!」
「たのんだ」
駆け出した妹を護衛するように精霊も続く。賑やかな色彩の塊が広場を出ていくのを見送り、セイルは煤けた空気で深呼吸した。
しばし忘れていた悪臭に肺を汚され、顔をしかめる。
「なあ……テオ。こいつら、なんなんだ」
「……」
「“竜人”って、なんなんだ? ヒトでも、竜でもないなんて……」
小難しい歴史の勉強よりも、ロマン溢れる冒険譚を聴く方が楽しい。しかしセイルは、この時ばかりは己の無知さを悔やんだ。
「……。“竜人”という、種族について……君はどう思う? セイル」
「どうって……」
不思議な問いだと思った。『何を知っている』ではないのか。
セイルは乏しい知識をかき集めて答えた。
「ヒトと竜がまざってうまれたヤツらだろ。それでむかし、あばれまわったっていう」
「“創世の大戦”だね……」
「さいごは“かみさま”がでてきて、竜人をみんな“せいばい”した」
「“偽りの強者は、白き炎に包まれ灰となる”……か」
もちろん“竜の賢者”が知らぬ話ではない。セイルに語らせることで、まるで己の中の認識を再確認しているかのようだった。
「……なあ、テオ」
黙り込んだ友を見、少年はふと浮かんだ疑問を口にする。
「じゃあその“かみさま”ってのは、今どこにいるんだ?」
「!」
他愛もない質問だと一蹴されることも予想していたが、意外にも竜は大きな反応を示した。
「……。それは――」
「この穢れた世界に“神”など居るように見えますか、幼子よ?」
「!」
突然降ってきた声に、セイルも賢者も顔を見合わせる。
同時に広場の上に広がる空――いつの間にか暮れつつある――を仰いだ。
氷のような瞳で自分たちを睥睨しているのは、羽ばたきのひとつもしない翼を持つ女。
「ああ、なんて――汚いこと」
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