1−2 私だけじゃなかった
「ど、どうして、木こりさんが……」
「姫様ああぁーッ!!」
動揺していたフィールーンの耳に、聞き慣れた声とガチャガチャと騒がしい金属質な足音が届く。ハッとして奥を見ると、城内へと続く扉が蹴破らんばかりに開かれたところだった。
「姫様ッ! ご無事ですか!?」
息を切らせて駆け込んできたのは、鈍色の鎧に身を包んだ青年である。
その姿を見た王女は、心の底から安堵した声を上げた。
「りっ……リクスン!」
「救出が遅くなり、申し訳ありません! お怪我は――」
短い金髪が似合う若く精悍な顔が、とたんに凍りつく。並んだ琥珀色の瞳は見開かれ、フィールーンの破けた袖に釘付けになっていた。
「あ……」
ものすごい早さで吊りあがっていく青年の目元を見、王女は慌てて赤く染まった袖を隠す。
「こ、これは、大丈夫です! か、掠っただけで」
「き、貴様ぁッ……! 許さん!!」
怒号と共に青年――
フィールーンは幼い頃に患った
「そそ、それに、この方が助けてくれて――!」
「おい騎士、王女を退がらせろ。邪魔だ」
「言われずともそうするッ! 何度も俺に命令するな、この賊めが!」
「!?」
騎士の突進先は化け物ではなく、フィールーンのようだった。
素早く自分の側に屈み込んだリクスンの手を取りながら、王女は目を白黒させて訊いた。
「し、知っているお方なのですか? リン」
「断じて存じません、姫様! このように不躾な輩など」
心外だという表情で否定する側付。しかし化け物の動きを封じてくれている謎の“木こり”青年は、落ち着いた声で意見した。
「さっき城の中で会っただろう。忘れたのか」
「旧知の仲ではないという意味だ!」
「喋ってないで、さっさと
「そちらが問うたのではないか! くそッ、貴様とは話が噛み合わん」
吠えながらもリクスンは丁寧な所作でフィールーンを支え、少し離れた場所へと導いた。彼の広い背に匿われると、王女の膝が今更ながら震え出す。
その様子に気づいた騎士は、まるで己が傷ついたかのように沈痛な面持ちになった。
「お辛いところ申し訳ありませんが、しばしご辛抱を……。まもなく騎士隊も到着します」
「は、はい……!」
フィールーンがなんとか頷いてみせると、騎士は少し安堵したように微笑む。しかしすぐに厳しい顔に戻った彼は、前方で交戦している者たちを睨みつけた。
「そもそも何なのだ、その化け物は! 貴様の仲間か」
「違う」
「ふん、俺にとってはどちらも敵だが――しかし、この場で斬り捨てるべきは!」
決然とした声と共に、リクスンは大盾を構えたまま駆け出す。鍔迫り合いをしていた化け物の巨体に重厚な盾ごと突っ込み、相手を数歩後退させた。
「グゥ、アッ!」
この行動にはフィールーンはもちろん、木こり青年も驚いたようだった。
彼は身を翻して距離を取ったあと、明るい茶色の瞳を少し大きくして隣に並んだ騎士を見遣る。
「何をしている」
「王族、そしてこのゴブリュード城の警備は
盾に占領されていない手で腰の剣を引き抜き、リクスンはまっすぐに刃を向ける。
「城内に侵入した貴様の仲間は、すでに我らが制した!」
「……もう、おれ、ひとり?」
「そうだ。よって、愚かな行動は控えろ」
「キヒッ、ヒヒィ!」
狼狽するどころか、その醜い顔が浮かべたのは笑み――それも誰もの臓腑を逆なでするような、悪意に満ちた笑みであった。
「じゃあ、ぜんぶ――おれの、ものだァっ!」
「貴様ッ!?」
フィールーンの胸が悪くなるような雄叫びを上げ、化け物はなんの前触れもなく宙へと跳ぶ。
「!」
歪な翼は飾りではなかったらしく、ぎこちなくだが羽ばたいていた。しかしたったそれだけで恐ろしいほどの勢いが付与され、太い踵が騎士へと墜ちる。
「ぐっ……!」
「リンっ!」
役立たずの膝を叱咤し、フィールーンは身を乗り出した。
日頃から鍛錬を怠らない側付の力は信頼しているが、なにせ相手は人外の化け物である。
その証拠に、敵の強力な攻撃を盾で受け止めたリクスンが徐々に
「な、なんの、これしき……ッ!」
「いたぞ! リクスン様をお救いしろーっ!」
「! き、騎士隊の皆さん」
騒がしい足音、それも大人数での到着にフィールーンの顔が輝いた。鎧をぶつけ合いながら城壁塔へと
先頭で一同を率いている男――ひと際立派な鎧に身を包んだ、兵士とは思えない美丈夫である――が、こちらの状況を見て叫んだ。
「リクスン! 無事か」
「あ、
食いしばった歯の隙間からそう漏らす側付と、頷きながらこちらへ駆けてくる彼の義兄。
心強い二人が揃ったことにフィールーンが安堵した途端、その声は降ってきた。
「あー、こりゃまた大人数でお出ましだな」
「えっ!?」
聞き覚えのある、それでいて新たな人物のものだとも感じる声。
フィールーンは慌てて声の主を探し、自分たちの頭上に浮かんだ“その存在”に気づいた。
「
闇夜に溶けてしまいそうな長髪――その色は、自分と同じ漆黒。
黄金色に輝く瞳は縦長で鋭いものの、どこか愉快そうな様子である。
全身の形状はおおよそヒトだったが、その肌が随所にまとうのは紺色の鱗だった。加えて、長い足のさらに下にまで伸びた筋肉質な尻尾が揺れている。
「そっ、その、姿は……!」
もっとも目を惹くのは、背から生えた一対の翼。
完璧な均整を保ったそれは忙しく羽ばたくわけでもなく、夜風を静かに捉えている。天使のような羽毛もなければ、おとぎ話の妖精のごとき透明さも持ち合わせてはいない。一見恐ろしげだが、しかし生物が持つ強靭な美しさがあった。
「なっ、貴様ッ……!?」
「大健闘を讃えるぜ、騎士さんよ。だがな、ここから先は“化け物”同士のお楽しみだ」
不敵に笑んだ口の端から、鋭利な牙が覗く。王女と側付が呆気に取られている間に、異形の青年は手にした巨大な戦斧を構えた。
その得物を見、やはりとフィールーンは確信する。
あの木こりと名乗った青年。彼がこの異形に“
そして、彼の存在を表す名は――
「“竜人”……!? そ、そんな」
長い爪を有する手が柄を握り締めた途端、戦斧の刃部分が血のように紅く染まる。
夜空に
その姿を見上げた王女は、震える唇で誰にも届かない呟きを落とす。
「私だけじゃ、なかった……!」
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