ドラグ・ロガーは嘘を斬るー不器用木こりとひきこもり姫に世界は救えるかー

文遠ぶん

第1章 ふたりの竜人

1−1 ただの“木こり”だ

 涼しい夜風が吹き抜ける、古めいた城――その屋上。


 空へと張り出した一画に優雅な名はなく、ただ城壁塔と呼ばれている。時おり王族たちが息抜きに訪れるほかには何の用途もない、広いがわびしい場所だった。


 年季の入ったレンガの隙間からたくましく生えた雑草に、慰めのような星の光が降りそそぐ。しかし今夜は珍しく、そんな場所を訪れた者たちの姿があった。


「わ、私を……食べるん、ですね」


 星灯りが届かない隅の暗がりで小さくなっているのは、ひとりの少女だ。肩上にかかる艶やかな黒髪を持ち、落ち着いた色合いの侍女服を着ている。長い前髪の下には知的な雰囲気を感じさせる整った顔が控えていたが、今はどの星々よりも青白く染まっていた。


 簡素なフリルに囲まれた豊かな胸元でぎゅっと指を握りこみ、少女は震える声で問いを重ねる。


「ど、どう、なるんですかっ……? た、食べると」

「キヒィッ」


 すぐに返答を寄越したのは、複数人の声を混ぜたかのような不快な音。力なく座り込んだ少女、その前方を塞ぐようにして立っている男が発した声だった。


「ギャはハ!」


 どうやら笑ったらしいと気づいて戦慄しながらも、少女は改めてその“異形”姿を見上げた。


 不自然に盛り上がった各部の筋肉に、岩のような鱗が張りついた硬質な肌。片目はヒトのものだがもう一方は飛び出さんばかりに押し出され、絶えず少女を値踏みしている。トカゲを思わせる太い尻尾は二又に分かれており、興奮のままにレンガを打ち鳴らしている。


 もっとも目を引くのは、背から突き出たコウモリのような翼だ。ただし形はひどく歪んでおり、とても飛べるようには見えない――実際この男は城内で少女を捕らえたのち、無様な足音を響かせながらこの場所まで登ってきたのだった。


「オマエ、食べる。もっと、ツヨく、なれる!」

「そう……です、か」


 恐ろしい宣告にもかかわらず、少女は叫び声のひとつも上げなかった。しかし夜空と同じ漆黒の髪は素直に震え、毛先は華奢な肩を擦っている。


「……」


 連れ回され埃っぽくなった侍女服のスカートを握り、少女はうつむいた。


――こんな自分でも、死に際くらいは。


 それは諦めでもあり、救われるような想いでもあった。

 優しい父、そして自分に親切にしてくれた城の者たちの顔を思い出せば、たしかに申し訳なさが込み上げてくる。


「ここ、で……」


 それでも少女は、17年という短い生をこの場で“終わり”にするのもひとつの手かとぼんやりと考えていた。


 少なくとも、愛する者たちにこれ以上の“迷惑”をかけることはなくなる。


「ギャハァッ! “シロノチ”、おれがもらったァ!!」


 おぞましい叫び声と共に、異形の口が大きく開かれる。ヒトには不可能であるはずの角度にまで開かれたそこには、少女の決意が揺らぎそうなほど鋭利な牙が立ち並んでいた。


 シロノチとは、“白の血”と書くのだろうか――不思議な言葉に疑問を抱いたが、もう辞書を引く時間は残されていない。少女は来たる痛みに備えて目を閉じ、身体を強張らせた。


「……ッ」

「アガぁッ?」


 大きな破砕音が鼓膜を震わせる。しかしそれは己の骨が砕かれる音ではなく、歴史あるレンガ床が抉られた音だった。


「コイツ――うごくな! 食えないっ」

「あ……」


 少女は肩で息をしながら地に伏せている自分に気づき、真昼の空と同じ色の瞳を瞬かせた。先ほど背をつけていた場所から剥がれ落ちるレンガを見てようやく、己が回避行動を取ったのだと知る。


「わ、私っ……?」


 途端に喉と鼻の奥が痛くなり、目の端に熱いものが浮かんだ。


――生きたい。


 化け物の異様に伸びた爪がすかさず振りかぶられるが、少女の身体はまたしても勝手に横ざまに転がった。騎士たちが持つ剣のような銀色の凶器が、侍女服を切り裂きながら腕を掠める。


 わずかな草の上に転々と散ったのは、鮮明な紅。

 腕を走るのは、灼熱の痛み。


「いた、い……。いや……ッ!」


 まだ生きている。

 まだ、自分は――生きていたい。


「だれ、か」


 細い喉から、掠れた声が絞り出される。それは物語に出てくる乙女のような、どこまでも伸びゆく見事な救援の叫びではない。少女の喉が自由に言葉を紡ぐことを忘れてしまってから、数年の時が経っていたためだった。


「たすけ、て……!」


 窮地で発する一声すら、満足に上げることのできない自分。

 それでも少女は、自覚してしまった生への渇望から目を逸らすことができなかった。


 寂れた場所だと分かっていても、このまま無残に引き裂かれることになっても――その瞬間まで、下手くそなこの叫びを発するしかないのだ。


「助けて……だれか――助けて、くださいっ!!」

「ああ。わかった」


 少女が生きてきた中で一番大きなその叫びに応えたのは、落ち着いたひとつの低い声だった。同時に異形の巨体が大きく震え、振り下ろされた爪が少女の脇へと逸れていく。


「!」


 再び砕かれたレンガから舞い上がった砂埃に咽せつつ、少女は呆けた声を上げた。


「えっ……!?」

「どうした。助けを呼んだのだろう、フィールーン」

「!」


 警戒し飛び退いた化け物、その向こうから悠々と歩み出たのはなんとヒト――しかも、自分と同じ年頃に見える若者だった。


「あ、あなたは……」


 月明かりに照らされた若者の顔は、無表情に近い。それに反し彼が手にしている巨大な戦斧せんぷは、戦意を主張するようにぎらぎらと輝いていた。


 少女と化け物に見つめられた若者は、空いている手で群青色の頭を掻いてぽつりと言った。


「オレは、ただの“木こり”だ」

「き、木こり……さん?」


 まったく場違いなその職の名に、王女――フィールーンの思考は一瞬停止する。

 そんな彼女より先に反応を示したのは化け物であった。


「オマエッ……ジャマ、するな!」

「あっ、あぶな――!」


 激昂した化け物の腕が風を裂き、若者へと襲いかかる。フィールーンのか細い警告は届かなかったのだろう、彼は回避の動きを見せなかった。


「グッ!?」


 それぞれがナイフほどもあろうかという太さの爪をまとめて受け止めたのは、若者が眼前に掲げた戦斧だった。どんな怪力の持ち主なのか、倍の背丈を持つ化け物の攻撃を受けても彼は一歩も後退する気配がない。


 かわりにより低さを増した声と共に、若者のするどい眼光が敵を射抜く。


「……お前こそ、するな」



 大樹を思わせる、ありふれた茶色の瞳。

 しかしその光が一瞬、異形の者と同じ金色を帯びたことを王女は見逃さなかった。


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