09:曇り空

 鳥のさえずりが聞こえる。

 ……いい匂いがする。

 ……いや少し焦げ臭い、ような。

 はっとして、猟師は目を開けた。床にシーツを広げて作っただけの寝床から起き上がれば、大きく開け放たれた扉から差し込む朝日に、目を焼かれた。

 うっ、と苦い顔をして、けれども猟師はその光を見つめ続けた。そこには、人影一つが立っていたから。

「あっ、おはよう、おじさん」

 立っていたのは、両手に汁椀を持ったヴェネレだった。

 ――昨日、『闇竜』の件が終わった後、小屋に帰ってきたヴェネレは何も言わずにベッドで眠ってしまったのだ。それで仕方なく、猟師も寝ることに決めて、床にシーツを敷いたのだった。

「見て見ておじさん、今日は、僕がごはんを作ってみたんだよ」

 昨日と様子が違って、『星焔灯』の美しい少年は、楽しそうに、それでいて調子良さそうに微笑んでいた。それを見て猟師は安心したけれども。

「……食料、勝手に使ったのか」

「いいでしょ、別に。僕の手料理が食べられるんだから。スプーンで運んで食べさせてあげようか?」

 相変わらずな態度。人をからかうような、飄々とした彼。しかし怒る気にはなれない。

 ヴェネレは汁椀をテーブルに並べた。猟師が席につけば、ヴェネレも席について、スープを食べ始める。猟師も食べてみる。

「……あんた、料理はそう、うまくできないんだな」

「何を。せっかく作ったのに」

 おいしいとは言えないスープだった。だが決してまずいとも言えなかった。

 朝食を終えた後、普段は外に行っていたものの、猟師は小屋で時間を過ごした――荷物をまとめようと思ったのだ。

 熊はいなくなった。『闇竜』もいなくなった。だから。

「おじさん、ここから出ていくんだね?」

 その様子を見ていたヴェネレが、ベッドの上で首を傾げた。猟師は片付けをしながら答える。

「ああ、村に戻ろうかと、思ってな……悪いけど、もうメシは作ってやらんぞ。そのベッドは、好きに使っていいけど」

「いいや、もうベッドは使わないし、ごはんも大丈夫だよ。僕もやることやったし、ここから出ていくから」

 ぴょんと彼はベッドから降りれば、紺色に染まった素足でぺたりと着地する。

 はっとして猟師が振り返れば、ヴェネレはもうすでに、旅立つ準備を終えていた。その背には小さくても旅の荷物を。そして手には杖をしっかりと握っていたのだ。

「それじゃあね、おじさん……楽しかったよ」

 ぺたぺたと、彼は扉へと歩いていく。あまりにも急なことで、猟師は「お、おい」と声を漏らしてしまったが、深く溜息を吐いて苦笑した。

「星は光を失い続け、『闇蛇』や『闇竜』はどんどん生まれてくるからね」

 ヴェネレは振り返って手をひらひらと振る。

「だから、行かないと」

 ――でもそれは、と猟師は思ってしまう。

 でもそれはきっと……人間の欲望の尻拭いなのではないか、と。

 あんまりではないかと、感じてしまったのだ。

 そして昨日、少女を殺したヴェネレの後ろ姿を思い出す。

 ……もしも、自分が子熊を撃たなかったら。もしも、星に復讐を願わなかったら。

 まわりにまわった運命というべきか。あの少女も。『灰嵐』だって。そしてヴェネレも。

 ――彼は「つまらない」と言っていた。

 きっと、彼は優しいのだ。

 それでも彼は、小屋の外に出ていくものだから、猟師には止められなかった。

「……ありがとうな、ヴェネレ」

 代わりに猟師は、追って外に出て。

「気をつけろよ……死ぬんじゃないぞ」

 そう言葉をかけた。

 美しい『星焔灯』は、銀の髪を陽の光に輝かせながら振り返る。

「寂しい夜は、僕のことを思い出してもいいんだからね?」

 そして再び背を向ければ、彼は言うのだ。

「――星に願うのなら、穢れのないものを」

 薄暗い森の中に、華奢な影は消えていった。

 残された猟師は、一人、空を仰いだ。

 いまはそこにない星に、ヴェネレの安全を願って。

 きっと、穢れのない願い。

 ……けれども雲の多い空は、時間が経つにつれ、さらに灰色の雲を増やしていくのだった。

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