07:星と願いと悪いものと

「星に、願いを……?」

 それはまるで、おとぎ話のような。確かに星は願いを叶えてくれる、なんて話があるけれども、いまいち理解できなくて、猟師は逆の方向にまた首を傾げた。

「言うだろう? 星は願いを叶えてくれるって……あの熊は、きっとうんとお願いしたんだろうね……動物でも、星に願う奴はいるって聞くからさ」

 じゃないと、と、彼は言う。

「じゃないと、あんな怪物にならないろうし『闇竜』がいるのも納得だ」

 つまり。

「――待て。それってつまり……熊が星に願って、怪物になったってことか……?」

 『闇竜』に関してはよくわからない。しかしいまのヴェネレの言葉から察するに、猟師にはそう理解できた。

 ヴェネレは確かに頷いた。

「多分ね。あの熊からは星の力を感じたし、夜空には光を失った星が多かった……あの熊、きっとすごく願って、それでたくさんの星が力を合わせて怪物にしたんだろう……で、光を失い空っぽになった星のどれかが悪意と穢れでいっぱいになって……まあいろいろあって結果的にこの森に『闇竜』が現れた、と……」

 若い『星焔灯』は夜空を見上げた。風が銀髪を、そして赤橙の星焔を撫でていく。

 しかし猟師には、わけがわからなかった。

「よくわからない……どういう、ことだ……熊と『闇竜』、何か関係があるのか……?」

 星が本当に願いを叶えるなんて、聞いたことがなかった。

 光を失うと、空っぽになる? そこに悪意や穢れが? 果てに『闇竜』が生まれる?

 ――そもそも『闇竜』がいるから、星が減っているのでは。

 星の減少と『闇竜』については、そう聞いてきた。そう学んできた。

「……都合が悪いからね。あんまりちゃんとしたことを知ってる人、少ないんだよ」

 背を向け夜空を見上げていたヴェネレは、たんっ、と地面を蹴ればそのまま宙に漂った。くるりと振り返れば、その衣の金銀の刺繍や装飾品がきらきらと輝く。

「おじさんに教えてあげるよ……星はね、願いが届けば、ちゃんと受け取ってくれるんだよ。そして光を返す――願いを叶えるんだよ、光を消耗してね」

 ヴェネレが杖を掲げれば、その先で燃える炎は大きく輝いた。

「光を消耗するからには、願いを叶えると、星は輝かなくなっちゃうんだ。ようするに、エネルギー切れさ。だから僕達『星焔灯』がもう一度光の種を入れてあげるんだけど……星って、光を失ってエネルギー切れになると、悪いものを取り込んじゃうんだ」

「……それが、悪意や穢れ?」

 猟師が聞けば、ヴェネレは薄く笑った。

「実は星ってね、悪意や穢れをすぐに溜めちゃうんだよ。だって……みんな、星に願うでしょ、欲望を」

 たとえば人の不幸を願ったり。

 たとえば恨み辛みが晴れるよう祈ったり。

 ただひたすらに、どろどろの欲望を聞かせたり。

 暗い感情のもの。

 自己中心的なもの。

「女神はそういうのが嫌いだったみたいでね。そういうのは穢れで、悪いもので……星がこれをため込みすぎると、『闇蛇』になるんだよ。果てに『闇竜』になる……純粋な願いなんて少ないよ。それだけじゃない、世界っていうのは……悪いものに満ちている。人間は欲深い生き物だからね。空っぽになった星は、空気中のそれすらも吸い込んでしまう……」

 闇の魔物がいるから、星が減るわけではない。

 星が闇の魔物になってしまうのだ。

 猟師にとって、それは一度も聞いたことがない話だった。そもそも具体的に星や闇の魔物について、聞いたことがなかった。

 最初にヴェネレが「都合が悪いから」と言った理由が、少しわかったような気がした。

 ――まさか自分達が、闇の魔物を生み出すことになるなんて。

 それだけではない。まるで願いや祈りを否定しているかのようだ。

 そして猟師は、すっと顔を青ざめさせた。

 ……「復讐したい」という自分の願いは「穢れ」だったのだろうか。

 星が願いを叶えるなんて、完全に信じていたわけではなかったけれども、願う夜がなかったわけではないのだ。

「全く、僕達は忙しいよ。人間サマのわがままのために、また星を輝かせなくちゃいけないし、『闇蛇』や『闇竜』が出たら僕達の星焔でしかやっつけられない、だからそっちも行かなくちゃいけないし」

 結構過酷だよ、これ。

 ヴェネレはそう、宙でけたけたと笑っていた。だがはっとする。

「あっ、今回の場合は熊サマなのかな……」

 考えて彼は再び笑った。

「それにしても、あの熊、一体どうして怪物なんかになりたいなんて願ったんだろうねぇ……森で一番強くなりたかったのかな? 熊って時点で、大分強いと思うけど」

 ――強くなりたかった熊。

 その言葉は、まるで銃弾のように猟師の脳を貫通した。目を見開き、視線を落としてしまう。

 だんだんと、わかってきたような気がしたのだ。

 ――『灰嵐』は、最初はあんな怪物熊ではなかったのだ。

 『灰嵐』と呼ばれる前。あの熊は、ただの熊だった……小熊一匹をつれた、母熊だった。

 その小熊を撃った。自分が。

 ――そして『灰嵐』となった母熊が、自分の家を、家族を襲った。

 復讐。

 あの怪物を生み出すことになったのは、そして家族を失うことになったのは、もしかして全て、自分が……。

 それだけではない。もし熊も復讐を願ったのなら、熊の穢れもあるかもしれないけれども……自分だって、星に復讐を願ったのだ。

 そのせいで『闇竜』が生まれた……?

 自然と、猟師の手は握り拳を作っていた。妙な汗が額を流れていた。

 にわかに信じたくなかった。

「……寝た方がいいよ、おじさん」

 まるで全てを見透かしているかのような銀の瞳が、下から覗いてくる。

 目が合えば、ヴェネレは軽く眉を上げて見せた。

「僕、おじさんがいま何を考えてるのかわからないけど……どうやら、いまの話の中で、何か心当たりがあるみたいだね?」

 わかりやすいね、と、彼は目を細めた。

 責められているかのような感覚に、猟師は息を詰まらせる。しかしヴェネレは言う。

「僕、おじさんが何を考えているのかわからないから、ちゃんとした言葉をかけられないけど、これだけは言えるから言ってあげるよ……」

 とんとん、と、彼は空に昇り始めながら。

「――過ぎちゃったことはどうしようもないよ。だから、難しく考えなくていいんじゃない?」

 その飄々とした発言は、まさに他人事と言った様子。そして無責任。

 だが――優しさからきたものだったのだろう。


 * * *


 その日、ヴェネレは明け方に小屋に戻ってきたものの、『闇竜』は見つけられなかったという。次の夜に探すと言って、食事をとった後、猟師と入れ替わるようにしてベッドで眠ってしまった。そして夕方近くになれば彼は目を覚まして、太陽がなくなり満天の星が広がった空へ駆けていくのだ。

 それが、何日か繰り返されて。

「そういえばおじさん……おじさんは熊を殺すために小屋で暮らしてたみたいだけど……どうしてまだいるの?」

 ヴェネレが小屋を宿代わりにし始めて、四日目が経とうとしていた夜のことだった。

 夕食中、ふと、ヴェネレが猟師に尋ねたのだった。

「そのうち、村に帰ったりするの? あっ、別に邪魔だから出て行くなら早く出てってもらいたいってわけじゃないよ? ごはん作ってくれるのありがたいし、おいしいしね」

 そうヴェネレは食事を続ける。

 彼と向かい合って座る猟師は、言われて、まるで確かに、とでも言うように一瞬手を止めた。だがウサギの肉にフォークを突き刺せば、

「……正直、『灰嵐』が死んだ実感が、なくてな。それに」

 窓の外、すっかり漆黒に染まった夜に、視線を向ける。

「『闇竜』のことが気になるし……あんたもいるしな」

「ふふ、僕、綺麗だからできれば長く一緒に過ごしたいって思ったんだね?」

「そうじゃない」

「冗談だよ……僕が美人なのは事実だけど」

 ヴェネレのこの態度や妙な自信に、猟師はすっかり慣れていた。

 だからと言っても、あまりにもじっと見つめてしまったり、また見られてしまったりすると、顔をそらしたくなってしまうものの。

 確かにヴェネレは麗人だ。過ごしていると、どういうわけか、少し羞恥を覚えるところもあって直視が難しい。だがそれだけではない。

 ――彼の銀色の瞳。

 『星焔灯』の特徴として、髪や瞳の色が薄い、というものがある。だから不思議な目だと猟師は思うものの、それだけではなく、ヴェネレはまるで、全てを見透かすかのような目をしているのだ。

「……」

 視線を料理に落として、猟師は食事を続けた。

 ――ここから動けないのは、『灰嵐』が死んだことを、実感できないというのもあるけれども。

 まだ全て、終わっていない。そんな気が激しくしたからだった。

 なぜならあの『闇竜』は、きっと自分が。そして『灰嵐』の願いが関わっているというのなら――その発端は間違いなく自分にある。

「なあ」

 猟師は食事の手を止めた。

「今晩……一緒に行ってもいいか?」

 『闇竜』は危険だ、森に潜んでいるのならば、普通の人間が夜に出歩くべきではない。

 それはヴェネレも十分にわかっているようだった。

 そもそも彼は『星焔灯』。彼が一番にわかっていた。

「危ないよ? 僕、普通の人が巻き込まれて怪我するの、好きじゃないんだけど」

 何より、何かあった際に、闇の魔物から人間を守らなくてはいけないのは、彼ら『星焔灯』だ。よくない提案と思われるのは、薄々予想はできていた。それでも猟師は。

「猟銃を持って行く……何かあったら、自分の身は守るし……自分の責任だ」

「おじさん、残念だけど、銃なんてきかないの、知ってる? あれはね、僕達『星焔灯』の星焔でしかどうにかできないんだ」

「前は追い払えたけど」

「あれは、銃声にびっくりしたんだよ。でも銃弾、通り抜けていったでしょ? それにもう、あいつ、銃弾にびっくりなんてしないよ……」

 気付けばヴェネレは食べ終わってしまっていた。皿を簡単に片付けると、彼は壁に立てかけてあった杖を手に取る。そしてそのまま外への扉を開ければ、一歩出たのだった。

 開いた杖の上部から、赤橙色の炎が溢れ出す。普通の炎のように見えるものの、金や銀の輝きを帯びた、神秘的な炎。

「でも、まあ」

 と、ヴェネレは振り返る。

 その星焔は、夜にあまり似合わない。そんな風に、猟師は感じていた。

 あれは、夜明けの色だ。

 しかしそう思えば、逆に似合っているような気もしてくるのだ。

 黄昏の色でもあるのだから。

 ヴェネレは微笑んでいた。

「一緒に来てみる? 危険だし、おじさん、優しい人だからあんまりおすすめできないけど……『闇竜』が消えるところを見て、気が済むっていうのなら、僕は頑張るよ、おじさん。すごく……つまらない仕事だけどね」

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