03:『星焔灯』ヴェネレ

 朝日が草木を照らせば、緑はまるで水を浴びたかのようにきらきらと輝く。

 しかしそれは、陽の当たるこの場所だけ。生い茂る木々の向こうを見れば、朝であるにもかかわらずどこか薄ら暗い――この森は、そういう場所だった。

 小屋の前。焚き火を起こした猟師は、そこで料理をしていた。古びた鍋に山菜を入れてスープを作る。普段ならばもっと簡単なものを作って適当に食べていた。だが今日は、少しでも栄養のあるものを作った方がいい気がしたのだ。

 量は二人分。いつもの二倍。焦げつかないよう中をぐるりと回せば、茸が鍋の中で踊る。

 ……が、果たして彼女は目を覚ますのだろうか。

 そう顔を上げたところで、小屋の中から物音が聞こえたような気がして、猟師は振り返った。

 扉を開けて中を覗けば。

 ――窓から差し込む光を受けて、ふわふわの銀髪が透き通るかのように輝いていた。

 小さな部屋の、奥にあるベッド。そこで身体を起こした『星焔灯』の彼女は、窓の外を見つめていた。と、猟師に気付いたのか、振り返る。

「……朝になってしまったね」

 決して、甘く優しい、純真な少女の声ではなかった。

 大きくも鋭さもあるような双眸は、髪と同じく銀色。

「ちょっと僕、よく憶えてないのだけど……あなたがあの時、撃ってくれたのかな?」

 彼女はテーブルの上の猟銃を見つければ首を傾げた。どこか、悟ったような喋り方だった。

「……『闇竜』の尾にぶん殴られて、あんたは空から落ちたんだ」

 彼女がその見た目の歳相応ではないような気がして、戸惑いながらも猟師は答えた――相手は『星焔灯』だ。ただの人間ではない。歳の取り方について、人間と違うとは聞いたことはないけれども。

 言われて彼女は、顎に手を当て少し記憶を辿った末に「ああ」と理解の声を漏らした。

「どうりで……身体がちょっと痛いわけだ」

 ――あの高さから落ちて「ちょっと痛い」で済むのか。

 淡々と、猟師は思ってしまった。いくら生い茂った木々の緑や枝がクッションになったといっても、普通の人間ならば、あの時、骨の何本かが折れても不思議ではなかったのだ。

 しかし拾った彼女は『星焔灯』だった。

「――あっ、僕の杖もある……おじさんが持ってきてくれたんだね」

 彼女は壁に立てかけてあった自身の杖を見つければ、目を細めた。

「『星焔灯』にとって、あの杖は大事って聞いたことがあったからな……」

 答えて猟師は、一度小屋の外に出た。朝食の準備にかかる。

 ――『星焔灯』。

 汁椀にスープをよそいながら、考える。

 ――星。それは夜空に輝く、人々の願いを叶えてくれるもの。

 ……本当に願いを叶えてくれるのかは、定かではないけれども。

 しかし星というのは、光を失うことがあって。

 ――だから『星焔灯』がいる。光を失った星にもう一度輝く力を与え、そして闇の魔物を払う力を持った一族が。

「……ガキん時に絵本で見ただけだったけどなぁ」

 つい猟師は言葉を漏らしてしまった。大きな街の方では、星がすぐに減るらしいからよくいるというものの、まさかこんな田舎の方にもいるなんて。

 それにしても美人だった。その髪色や瞳、神秘的な服装も相まって『星焔灯』は美しいと聞いていたものの。

 そして――まだ子供といっていい年頃であるのだろうに、あの『闇竜』と戦うなんて。

「いい匂いがすると思ってたんだ」

 汁椀二つを手に小屋に戻れば、ベッドから抜けだし自身の杖をまじまじと眺めていた『星焔灯』の少女が、無邪気そうにくるりと振り返った。

「僕の分も用意してくれたんだね、ありがとう、おじさん。お腹空いてたんだ」

 猟師がテーブルに汁椀を置けば、『星焔灯』の彼女は深い紺色の素足でぺたぺたとやってきた。ごく自然な様子で席に着く――まるでいままでここに住んでいたかの様子で、猟師は違和を覚えた。

 何か妙だ。不思議だ。

 飄々としている。悟っているというか――図々しいというか……遠慮がないというか。

 自分が彼女だったのならば、もう少し、戸惑ったり遠慮したりしないだろうか?

「早く食べようよ、おじさん。おじさんは立ったまま食べるの?」

 立ったままでいると、彼女にせかされた。言われてほぼ反射的に猟師は席に着いた。

 そうして朝食が始まった。『星焔灯』の少女はまるでいままでそうしてきたと言うように、ぱくぱくと食べ、反対にいままでこの小屋で生活してきた猟師は、あたかもよその家に来たかのように、戸惑いながら茸を咀嚼する。

「おじさん、僕が戦ってた『闇竜』、どこに行ったかわかる?」

 食事中、少女は尋ねてくる。

「そもそもおじさん、ここに住んでるみたいだけど……どのあたりに奴がいるっていうのは、わかる?」

「……いや、昨日初めて見た。まさか……この森にも出るなんて」

 都会でもないのに、と、素直に猟師は答えた。

 ふぅん、と少女は頬杖を片手でついた。そしてもう片方の手にしたスプーンで行儀悪くスープを食べ続けるのだった。そして。

「じゃあ、しばらくここに住まわせてよ」

「……えっ?」

 あまりにも唐突。そしてあまりにも……遠慮する様子がない。

「だっておじさん、あんなのいたら、困るでしょう?」

「そりゃあ……まあ……」

 『闇竜』は普通の人間ではどうにかできない。『星焔灯』の星焔でしか、払うことができない。

 もし払われないままだったなら、あの漆黒の竜は森を荒らし、枯らし、そして人も襲うかもしれない――。

 彼女の言うとおり、いると困る存在なのだ。

 少女は頬杖をついたまま、目を細め、口の端をつり上げた。

「じゃあ決まり。僕があいつをやっつけるまで、ここで面倒見てよ」

 まあ数日の間だけだろうけど、と、銀色の瞳が、きらりと輝く。拒否権はないといった様子。銀色の瞳であるものの、黄色や水色、そして赤色が見えた気がした。

 それでも「ちょっと待て」と猟師が声を上げようとすれば。

「僕があいつを払う。それが『星焔灯』の仕事だからね。その間、おじさんは僕の分も食事を作って、寝床も提供する……地面で寝るの痛いし、屋根がある方がやっぱりいいからね。わかるだろう?」

「……」

 猟師は少し、唖然としてしまった。

 一体何なのだろうか、こいつは。変なものを拾ってしまった。

 そう言い出さなければ、こちらも気持ちよく、手伝いができたというのに。

 勝手に舵を奪われてしまったかのような。

「あっ、寝床っていっても、僕、夜は外に出るからさ。昼に寝るよ。だから……ベッド使ってもいい? おじさん、普通の人みたいだから、問題ないだろう?」

 ベッドは一つしかない。夜に使わず、昼間に使うというのなら、彼女の言うとおり確かに問題はなかった。『闇竜』を払うというのなら、食事を提供するのも問題はなかった。

 しかし、だ。

「……お、お前、頼み事をするには、言い方ってもんがあるだろう」

 もしかすると、彼女はいままで、それで通してきたのかもしれなかった。

 彼女は『星焔灯』。おまけに……見た目も悪くない。

 不思議なことに、猟師は苛立ちを覚えなかった。

 ただ困惑するばかりだった。彼女に対しても、また苛立ちを覚えない自分自身に対しても。

 ――少し、一人で過ごしすぎたせいだろうか。

「――頼むよ、おじさん」

 と、彼女は目を細めて首を傾げた。銀の髪がふわりと揺れてきらきら輝いた。片手にしたスプーンを、くるりと回す。

「おじさんだって、あんなのがいたら嫌だろう? 僕だって、冷たい地面の上で寝るのは嫌だしあったかいごはんが食べられるのならそれがいい。どう? そんなに迷惑をかけるつもりはないよ」

 そんなに迷惑をかけるつもりはない、だなんて。

 すでにこちらは困惑しているというのに。

 猟師はただ、顔をひきつらせるほかなかった。

 ――それにしても、目の前の席に座る『星焔灯』は、かつて絵で見たそれよりも、美しくて。

 見つめれば見つめるほど、その輝きを見つめていたくなった。

 すると少女は、そのことに気付いたのか、微笑みを浮かべる。

 純粋な少女の笑みではなかった。細い目はどこか狐を思わせ、三日月を描いた口は冷ややかさを纏っているように思えた。

 しかしそれ故に――さらに見つめていたいと思ってしまう微笑だった。

「……」

 吸い込まれてしまいそうな感覚に襲われ、猟師ははっとして顔をそらした。

 それで負けてしまった。ふふ、と彼女が勝利の笑みをこぼした。

 彼女はまたくるりとスプーンを回し、指したのは彼女自身だった。

「僕はヴェネレ」

 気付けば彼女の汁椀は、空になっていた。垂れた銀髪を耳にかけながら、ヴェネレは猟師を見据えた。

「おじさんのことは……『おじさん』って呼ぶね」

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