02:夕暮れ

 あの熊を見つけ出すのなら、たとえ危険であっても、夜も山の中を歩いた方がいい。

 そうとわかってはいたものの、その日の夕方、猟師は帰路についていた。

 どうも最近の夜は、以前に比べて暗いのだ。星が減っているような気がした。

 だからこれ以上危険を冒すことをやめて、小屋へと向かっている最中だった。

「……あ?」

 妙な鳴き声に足が止まった。反射的に空を見た。

 橙色に染まったどこまでも高い空。

 まるで穴でもあいているかのような、黒い影があった。

 『闇蛇やみへび』だ。

 とっさに猟師は木陰に姿を隠した。

 もしかするといるかもしれない――その程度に思っていたものの、まさか本当にいるなんて。その上、まだ夜ではない、夕方だ。沈みかかってはいるものの、太陽は空の端にあるのだ。そうであるのに、もう闇の魔物が空を飛んでいるなんて。

 何にせよ「星が減っている」と思ったのは、気のせいではなかったらしい。『闇蛇』がいると、星が減るというのだから。

 見つかる前に小屋に帰らないと。『闇蛇』は熊よりも恐ろしい相手だ。しばらく『闇蛇』を眺めて、猟師は木陰から木陰に移るように、再び歩き出した。そしてもう一度、気付かれていないか空を見上げれば。

 ――赤橙の炎が、空を漂っていた。

 猟師は目を凝らした。『闇蛇』と違い、もう一つ、空に影があったのだ。

 それは人の形をしていた。少し長い銀髪が、夕日を受けてきらきらと輝いていた。手には長い杖のようなものを持っていて、ぶんと振るえば、その上部から炎が噴き出し、波のように『闇蛇』へと襲いかかった――炎は赤や橙。ごく普通の炎の色に見えたものの、輝きには金や銀が混じっている。

 その輝きを前に『闇蛇』は巨大な翼を広げた。

 『闇蛇』かと思ったが、あれは『闇蛇』ではない――蛇に翼なんてないのだから。

 ――『闇竜やみりゅう』だ。

 『闇竜』は大きく羽ばたけば、その風で神秘的な炎を吹き飛ばしてしまった。そして鋭い爪を人影へ振り下ろす。人影は宙でステップを踏むようにして避けたが、『闇竜』は続けて黒い炎を吐き出す。

 人影は黒い炎に包まれることはなかった。しかし煽られたのか、宙でぐらりと体勢が怪しくなる。すると『闇竜』は口を大きく開けて――。

 その瞬間、猟師は背負っていた猟銃を、無意識に構えていた。

 考えるよりも先に狙いを定めて、引き金を引く。

 ……本来『闇蛇』や『闇竜』に、普通の武器は意味をなさないという。

 だからこそ、空を昇るように突き進んでいった銃弾は、『闇竜』の首に命中したものの、まさに影を撃ったかのようにそのまま抜けていってしまった。

 けれども『闇竜』は、銃弾に驚いたのか。はたまた響いた銃声に驚いたのか。どの生き物の声とも似つかない悲鳴を上げれば、宙に浮いた人影にくるりと背を向けたのだった。すると人影は、手にした炎の杖を構えるが。

 ――ああっ、と声が聞こえた。まだ若い声だった。

 翻るように背を向けた『闇竜』の尾。それが人影を凪ぎ払った。それまで宙に立つようにしてあった人影は、重力に従って落ちてくる。

「やっべ……!」

 思わず猟師は声を漏らしてしまった。果たしてあの高さから人間が落ちて、助かるのか、助からないのか。

 『闇竜』は大きく羽ばたいてどこかへと飛び去ってしまっていた。猟師は走れば、あの人影が落ちたであろう場所へと向かった。

 そうして何枚の木の葉が舞い落ちた地面に、やっとその人影を見つけた。

 歳は十代半ばほど。肩まで伸びた、銀の柔らかそうな髪。独特な服装で、金や銀の刺繍模様がきらきらと輝いていた。ほかにも金や銀、そして宝石を用いた様々なアクセサリーが夕日を受けて赤橙に染まっている。足は裸足。だが膝下あたりから肌色が黒にも見間違える紺色に染まっていて、まるで色が沈み込んでいるかのようだった。そして手は陶器のように白く、滑らかで、墜落したにもかかわらず、その手はあの杖を握っていた――白銀の杖だった。宙に浮いていた際はまるでトーチのように先端から不思議な炎が溢れていたが、いまはない。

 顔を見れば、目を瞑っていた。死んではいない。どうやら気絶しているらしかった。

 それにしても、よく整った顔。まるで作り物のよう。描かれたかのよう。こうして目を瞑っていると、儚く思えるほど美しく、猟師は生唾を呑んでしまった。

 空から落ちてきたのは、美しい少女だった。それも、ただの少女でない。

 ――『星焔灯せいえんとう』。星焔せいえんと呼ばれる炎を操る一族。

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