05 劇中・奈落にて (1)

 ウザイン・ナリキンバーグが貴重な夏休みを実家の〝用事〟に費やしていた頃より、時は少しばかり戻っての一幕。


 場所は王都学院、その中庭。

 学生らが実戦を経験するための場所として学院が管理していたダンジョンの〝惨状の跡〟のこと。


 とある新入生の想定外の魔術行使による〝ダンジョン破壊現象〟は深層部の魔物の顕現を誘発し、同時にその新入生の活躍に寄り一時的な沈静化を確認。

 その後に上級生の有志による監視体制が置かれ、つい先日、その監視体制が解かれダンジョンは平常化したとの結論に至る。


 そこまでの流れには何ら……まぁ常識外の事態は散々と起きたが、異常を思わせるまでの異変は無い。

 だがしかし、異変が無かったと断じる判断は……実際においては、間違いであった。


 ダンジョンに開いた巨大な、その底すら見渡せない暗闇に沈む縦穴も、やがては調査に降りた者達により人工の明かりの魔道具の設置によりかなりの深度までを確認できるようになっていた。

 また崩落した外縁部には正式な昇降設備も設置され、エレベーターによる各階層への直行手段も確立し、一部の教師の間では生徒の実力に見合う階層への速やかな移動も可能となったと、喜ぶ意見なども上がっていた。


 ただダンジョンがその境界門も無い露天状態となり、再度深部より強力な魔物が上がってくる危険を懸念する意見は当然強く、その対応をと特設の結界や異常の兆候を知らせる機材を設置することは、学院の最新式の物を十全に用意することで決定したのは当然と呼べる処置となる。


 しかし結果は、その異変にそれら機材類は無力を晒す。


 ある日の事、魔物の魔力を検知する機材には何ら反応もせず、その黒い影は崩れた外壁をよじ登る。

 蛇のように長く伸びた影は、その輪郭を黒い塵として崩壊させつつも長く長く、枝分かれし穴の底から這いずりあがり、階層の中ほどからポッカリと開く回廊方向へも広がっていった。


 途中、調査に降りている生徒や教師とすれ違うモノもあるのだが、何故か誰もその存在には気づかず終わる。

 中にはその身体に巻き付くモノもあるというのに、髪の毛ほどにも細くなった黒い〝ソレ〟が例え顔面に幾本とかかろうとも当人は一切気づかず、また通常の動きで苦も無く引き千切ることで緩やかな拘束から解放されていった。


 しかし、それが無害な現象であった証明は、人知れず発せられた魔素の反応が否定する。


〝――なるほどなるほど。今の時代は大分想定より変化してるわけか〟


 仮にその場に、魔素の変化を音に変換できる術者が居たならば、そんな囁きに似た幻聴が聞けたかもしれない。

 だがその場に居た人員にはそんな技能を持つ者は居らず、よくて些細な滞留魔力の変化に違和感を覚えるのみに終わっていた小さな異常で済まされる。


 黒い影は移動する。

 一度は縦穴の地上の淵まで登りつめるも、元から存在する地上とダンジョンを隔てる境界や新たに敷かれた結界の効果か、そのまま地上へという行動は阻まれる。


 黒い影は思案した。

 何か……そうした理の裏をかく手段は無いものか、と。


 不可能ではない。

 そもそもこの世界における理とは、ある程度の変異や追加消失への柔軟性に富んでいる。

 もっとも重要で根源となる理にそう印してあるのだから、それより下位な理に関しては、それを認知したモノがどう試行錯誤し悪知恵を働かせるか次第で簡単に望む方向へと捻じ曲げられる部分もあるのだ。


 そうして影は思案し続けた。

 どれほどの時間を使ったのか、正確には解らないが、ある日、その思案は一つの機会によって途絶え、陰の思考は速やかなる行動へと切り替わる。


 その機会とは、ある男子学生との邂逅。

 存在感や実力としては学内でも上位にあり、その立場でダンジョンを定期的に調査する任務を請け負っていた――ブレイクン・アーレスだ。


 影は思う。

 本来であれば脳筋筆頭の彼は今の自分、自由な時間を可能な限りヒロインとの接点づくりに奔走している人物で、今この状況のように明確な解答の得られない問題に関与するような精神的な余裕を持てないはずの男子である。

 そして何より、この世界の主役に一番近い主要人物の一人でもある。

 それは〝影〟にとっても、非常に好都合な出遭いであった。


 影はその腕となるモノを伸ばし、より違和感を抱かせぬよう細心の注意を払い、接触する。それでも僅かな違和感は伝えたようで、ブレイクンの全身に一瞬、緊張の反応が起きるが影は静かだが全力の奮闘でそれをねじ伏せ、彼に己の存在を滲ませ〝同化〟に近い融合を遂げる。


 後はただ無難に、彼の一部としてダンジョンの境界さえ抜けてしまえばしめたもの。

 その間の暇つぶしにと、影はブレイクンの意識の表層までに浸食の糸を伸ばし記憶を読んでいく。


 するとまぁ、とある存在に関する望外の情報が溢れるように得られたこと。


 その情報のどれもが、予め影の用意していたモノとは微妙どころの差異を飛び越えた内容には変じていたが……だからこそ、〝アレ〟が新たな存在として変じているのだとも確信できたものだった。


 そして、無事にダンジョンから解放された、黒い影。


 黒い影は思う。

 行動の自由度は増した、と。


 黒い影は思案した。

 時の移ろいに対し、己の介入の度合について。


 また黒い影は懸念する。

 己の今の有り様は、なぜこうも異質に変容したかを。


 そして黒い影の試案は結論の出ぬまま、程なく半場、成り行き任せの行動をせねばならない方向へと進むのだが、今はまだこの世界でそれを知りえる物は存在しなかった。





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