39 うきうき、店内視察 (1)

 さて、思いがけず自分に降りかかった不幸の元への復讐の機会を知ったというのは、存外気分の良いものだった。

 ……あれだね。貴族として他者に横暴が許される立場なのだと理解してても、前世によりそういった階級制度に思う根本的な忌避感が無いでもなわけで、自覚無しのストレスなんかがあったのかもな。

 まぁ、前世のころにも“お客様は神様”的なクレーマーはたくさん居たんだけどね。

 あと、ここ最近無茶振りしてくる存在が身近に湧いたとかのも。


 ともあれ、兄貴に渡したネタがどんな形で結果になるかが楽しみだ。

 一応、当人達に自ら引導を渡す様式が強いから、賢明なやつなら助かるかもなもんだし。


 紙巻きタバコの形にしたのがその良い例だ。

 戦意というか、心を砕くのに最適な毒ガス散布などの無差別BC兵器じゃなく、毒性の成分を利用者にのみ強烈に与えるという形。

 これから始まる強烈な誘引の魔香の魅力に呑まれる事無く、それが危険と理解できた奴らは、おのずと避けて生きるだろうくらいの温情つきだ。


 で、魔香とは言ったがその正体は……いわゆる楽しいトリップができちゃう麻薬では無い。地球の例に例えると、人類史に繁栄と狂気を同時にもたらした原始の泥。〈鉛〉である。

 人類は何処でどうしてこの金属と出会い、その魅力に溺れたのやら。そのあたりは俺も知らん。

 ただこの金属は人類に貴金属の魅力を伝え、鉄器文化の基礎を築き、そこから発展した電気の文化の繁栄も支えた。

 食の文化の発展にも必須のもので、こいつが無かったら大航海時代やら車や機関車などの大量物流の技術もどうなったやらだ。


 俺が利用したのはそのうちの一つ。鉛中毒に関してになる。

 時代の新しいものから逆上がりに言っての代表例は〈缶詰〉に由来する金属製の封密構造。

 食品を空気に触れさせなくしての腐敗防止用パッキン剤として初期は大変に重用された。ただし、鉛は水や油で熔解するものもあるので、それが食材に混ざり味の劣化や体内への過剰摂取となっての毒性も発揮した。


 こいつの特性は、一度でも摂取し過ぎたら解毒がほとんど効かない点だな。

 そして動物が持つ最大の防毒機構すら容易に突破する。

 動物の大半が何故脳という最大重量の臓器を、他の内臓から離し細い首の先に隔離してるのか? それは首の部分に防毒構造を置いて身体の最重要制御器官を守るためだ。

 ウィルスなど感染すれば耐えきって凌ぐしかないものさえ物理的に侵食を防ぐのだから、この構造の凄さが解る。

 だが体内に溶けた鉛はその防壁さえ突破し、容易に脳内に蓄積。それは蓄積する量に応じて神経を犯し、精神を破綻させ狂気的な行為に偏らせる。

 有名どころの話じゃベートーベンの聴覚を壊した。時のローマ皇帝を発狂させて大火の大惨事などもある。

 紀元前の古代から鉛は有名な“人工甘味料”でもあったからな。醸造技術が確立してなく、酸味の強いだけのワインの多かった頃には調味剤として普通に使われてて、人が意図的に摂取してた故の有名すぎる中毒例だ。


 くくくく、まぁ、鉛に限らんがミネラル類の過剰摂取は総じて薬を毒にな効果の大きいヤバい代物なのだ。

 現代ですらそういったバカは皆無じゃないので、流行言葉に乗って健康をうたう食品には充分注意を起きましょうという話。


 そんなわけで、現代のタバコに似せた〈昇蛇香シガンナーガ〉と名付けた紙巻きタバコには、ニコチンフィルターならぬ鉛添加の毒フィルターを仕込んでやった。

 甘味成分が強いので、タバコ吸いにはまった奴がこの部分を外すなんて心配は無いだろう。

 念のため、効果の確認は支店の地下の地下の地下にも置いたウチに害為す系譜の実験動物で要確認の予定。兄貴独自のブレンド案もあるようだし、たぶん、俺の想像の上を行く商品に仕上がるだろう。


 後はまぁ、兄貴が採算度外視でどれだけ隣国にバラ撒くか?

 こればかりはネズミを捕るのに罠を置くのと同じなんで、結果を見るまで効果も解らん。


 ただ、これで実家への直接の被害になる難民&野盗問題は改善かもと想像する。

 アレに脳を犯されたら遅かれ早かれ狂うのだ。

 到底、組織だった行動も難しくなるだろうし、例えば野盗と化したとしても、魔物を知恵で凌ぐ事が無理なら自然淘汰で消えてくれるだろうし。


 あれだよ、あれ。

 ホラー映画でパニック起こし、狂ったような悲鳴上げて真っ先に餌食になる役。

 瞬間的な恐慌で精神のバランスを保つのは動物の本能だけど、それをやって良い状況すら自覚せずやるのは、ただの自殺だ。

 実際に出会った危険の際にそんな行動をとった、または自制が利かなかったって経験のあるやつは、そういった爆弾を意識に抱えた……想定どおりに動いてくれるなら最高の撒き餌なのである。


 懸念としては、それであの地域の魔物までが鉛中毒になるかだが……実例を見るまでは何とも言えんね。

 まぁ、念のため隣国近くの森で魔物を狩る連中には注意報を出しとこう。“この付近の魔物の肉は毒持ち”とかな。


 で、実戦の場に末端の現地兵を徴兵できなくなった隣国は今後どういった方針をとるのか?

 まぁ、これも経過と観察次第でな話なんで、今は何とも、思案の域にも達していない。なんせ……貧乏子沢山ってのはこの世界でも変わらんからねぇ。減らす以上に増えられたらってやつだし。

 金属性の中毒はヤク中と違って繁殖防止の効果もあるから、そこは期待だな。



 ……そんな明るい未来を幻視しつつ、気分が良いので支店の中を視察していく。俺の案を聞いた兄貴はその活用方に集中しはじめて、もう面会どころじゃ無くなったので。


 専用の職人を確保したガラス工房は神珠液のボトル作成を中心に、精巧な板ガラスなどにも手を出していた。

 これは先の鉛の話じゃないが、融点の違いで液体化する金属を下敷きに、浮力で勝る溶け始めのガラスを流せば、簡単に平らで滑らかな板ガラスは作れる技術。

 水の上に油の層を貼るのと似た理屈だ。周囲で波立ちまくるような乱暴な扱いさえしなきゃいいだけの話。

 油を常温で固形化するラードとか使えば似た実験ができる。水を湯から常温に、さらに冷やせば冷水の上に固形のラードが乗るようになるから。 


 それと同じ技術をこの支店が街区一つを丸ごと占有したのを有効利用して再現っていうのか、数十メートルの長さをもつ溶けた金属ほ満たしてたプールは端と端でその温度を僅かに変えて、上を流れるガラスが泥状から硬く固まるようにしている。

 実際の現代ガラス製法の再現でもあるな。


 ……なるほど、支店のショーウィンドーみたいな大ガラスは自前だったんか。

 あれもちゃんとした店の宣伝材料だったわけね。


 ちなみに、そういったガラス製品はこの世界じゃ魔術の分野の特産品。

〈ローズマリーの聖女〉は女性の心理が絶対の規準の世界だ。化粧関係の器具が現代規準じゃないなんて理不尽は許されないらしい。

 ただし、無理を通す部分っぽいのは全部魔術が頑張ってるおかげって補正つきで。

 魔術士個人の頑張りで品質が変わる業界でもあるので、やはり綺麗なガラスや鏡とかサイズが大きいものなどは天文学的な高額品となるようだ。

 そんな業界に、こうも安易に市場乗っ取りできそうなものを兄貴が放っとくわけは無いわけで……、まぁ、良いんじゃナイカナ。

 これから、うちの商会も出費も激しくなりそうだし?


 蛇足だが、鏡関係でもう一つ。

 ガラスの透明性を高めるため、鏡面を仕上げるのに利用される銀皮膜加工のため、やはり鉛が多用される。

 この仕様での鉛は非常に気化しやすかったらしく、地球でとっても有名な〈鏡の間〉を持つ某宮殿は、長年そこを通る者すら汚染したとか何とか。

 当時は忙殺された者の怨念が宿る部屋とかとも呼ばれたとか……なんとか。




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