第19話 俺が彼女を知らない世界(4)

「なに? 私が相手じゃ不満?」

「いや、とんでもないです。明菜さんは凄く美人ですし、不満なんてある筈ないです」

「じゃあ、私と言う保険があると思って焦らないで。きっとすぐに記憶が戻って、今の不安が笑い話になるから」


 明菜は拓馬の肩に手を置き、微笑んだ。


「ありがとうございます」


 拓馬は明菜の励ましで、心が軽くなった気がした。

 自分が保険と言う言葉は、明菜に取って半分冗談で半分本気だったが、拓馬に本気の部分は伝わらなかった。もちろん、明菜には本気の部分を伝える気は無かったが、こんな形でしか自分の気持ちを表に出せないのは悲しかった。

 とその時、部屋のドアがノックされた。仕事が終わって彩が見舞いに来たのだ。


「ありがとう明菜。お見舞いに来てくれて」

「拓ちゃんが元気そうで安心したわ」


 彩は着替えの入った紙袋をベッドの脇に置いて、明菜の横に座った。


「今日は体調悪くなったりしなかった?」

「はい、検査は多いけど元気ですよ。いつでも退院できるくらいです」

「良かった」


 彩の笑顔を見ると拓馬は心が癒されるが、同時に強い焦燥感を覚える。彩と過ごした三年間の記憶を早く取り戻したいという焦りや、このまま記憶を失ったままだとしたらこれから仲良く過ごしていけるのかと言う不安が沸き起こってくるのだ。

 その日二人は面会時間ギリギリまで居て帰っていった。



 その後も彩は仕事終わりに毎日見舞いに訪れた。母親より多いくらいだ。他にも学生時代の友人や会社の同僚などが見舞いに来たが、拓馬が記憶を取り戻す事は無かった。

 検査が終了し、拓馬は金曜日の午後に退院する事となった。検査結果に異状は無く、退院して様子を見る事となったのだ。


「どうする? うちに帰って来るかい? それとも彩ちゃんと一緒に居る?」


 清算を済ませてすぐ、病院の玄関で母は拓馬に訊ねた。この日、彩は退院の付き添いの為に有休を取って病院まで来ていた。


「彩さんと一緒にいるよ、もちろん」


 拓馬は当たり前のように即答する。


「拓馬はこう言ってるけど、どう? 彩ちゃん」

「もちろん、私もそのつもりでしたよ。記憶を失った直前の環境の方が元に戻りやすいでしょうから」

「ありがとう、彩ちゃん。本当にあなたは拓馬に勿体ないくらいの良い娘だよ」


 こうして、二人は彩の運転でマンションに向かった。自家用車は大破した為に、乗っているのは代車だ。普段あまり運転せず、しかも慣れていない代車なので余計に彩は緊張している。


「ごめんね。危なっかしい運転で怖いでしょ?」

「えっ、そうですか? そんなに感じませんけど」

「そうなの? 良かった。拓ちゃんは上手いからいつも運転してくれて、私は助手席ばかりで慣れていないのよ」

「自分が車の運転上手いなんて、実感が湧かないな……」


 拓馬は自分の知らない、大人の自分の姿を知る度に心の中がざわめく。高校生の自分に出来ない事が大人の自分には出来ていた。その事実を知る度に、記憶を失い出来なくなった自分に焦りを感じるのだ。

 そうこう話をしているうちに二人はマンションに着いた。部屋に入ると拓馬は玄関の三和土で立ち止まる。


「どうしたの?」


 先に入った彩が不思議そうに訊ねる。


「いや、中に入っても良いのかと思って……」

「自分の家なんだから遠慮しないで入って」


 彩は拓馬の手を引き中に入れる。玄関を入るとすぐ左が寝室で右にトイレとバス。奥に行くと右側が小さなテーブルを置いたダイニングとキッチンで左側はリビングとして使っている洋室だ。どの部屋も片付いていて、家具や小物などもセンスが良いと拓馬は感じた。


「何か覚えている物はある?」

「あ、いや、もう少し見てみます」


 心配そうな顔をしている彩に全然記憶にある物がないとは言えず、拓馬はもう一度家の中を歩き回った。


「あっ」


 リビングを見回していると、拓馬は飾り棚の中に置いてあるかすりの着物を着た男の子の人形に目が留まる。一瞬その人形が小さく光った気がしたのだ。


「どうしたの? 何か思い出した?」


 拓馬の変化に気付き彩が訊ねる。


「いや、あの人形が光った気がして……」


 拓馬は飾り棚の中の人形を指さした。


「えっ、この人形が?」


 彩は飾り棚の扉を開け、拓馬が指さした人形を取り出す。その人形は拓馬の車のバックミラーに吊り下げてあった人形だ。

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