第17話 俺が彼女を知らない世界(2)

「あんなに仲の良かった彩ちゃんの事を忘れるなんて、このバカ息子が……」


 母も涙を浮かべる。


「ちょ、ちょっと、鏡を貸して貰える……」


 拓馬は二人の表情で尚更不安になり、声が震えている。母が自分の化粧ポーチから鏡を出してきてくれた。拓馬はドキドキしながら、鏡で自分の顔を確認する。


「なんで、こんなおっさんに……」


 そこには、二十代半ばの男が映っていた。記憶とは違うが、その男が自分だと拓馬はすぐにわかった。


「俺は本当に記憶を失ってしまったのか……」


――二十四歳と言う事は七年間の記憶がスッポリと抜けているのか。記憶は元に戻るのだろうか? 医師はすぐに戻る事も多いと言っていたが、大丈夫なのか?


 不安な表情で呆然としている拓馬を、彩は抱き締め続けている。拓馬はこの素敵な女性が自分の恋人らしいと知り、不安な気持ちの中でも光を感じた。

 その後、精密検査の為に一週間は入院を続ける事が決まった。入院していたのは市内で一番大きい総合病院で、拓馬は様々な検査を受ける事になった。



「あ、あの……彩さんは俺と付き合っていたんですか?」


 意識を取り戻して二日目の夜、病室で二人っきりになった時を見計らい、拓馬は見舞いに来ていた彩に確認した。男子校で女っ気無しで生活していた拓馬は、こんな素敵な女の人が自分の彼女だったなんて信じられないのだ。


「うん、そうだよ。拓ちゃんと私は二十歳の時に知り合って、二十一歳から付き合い始めたの。もう三年の付き合いで、籍は入れていないけど、去年から一緒に暮らしているのよ」

「えっ、同棲しているんですか?」

「うん……全然覚えてない?」

「……はい……すみません……」


――こんな素敵な女性と同棲? 同棲と言う事は当然……ああ、なんで記憶が無いんだよ、俺は……。


 拓馬は記憶が無い事を心底悔しがった。彩は暗い顔をしている拓馬を励ましたかったが、良い言葉が浮かばない。


「俺が記憶を失ったのを、彩さんは自分の所為だと言っていましたけど、どう言う意味ですか?」


 拓馬にそう聞かれて彩の顔色が変わる。


「ああ、あれは……」


 和也の事で喧嘩した所為で拓馬が記憶を失ってしまったと、正直に打ち明けるか彩は迷った。ここで拓馬にショックを与えるような話を聞かせて良いのかわからなかったから。

 ベッドの上で体を起こして座る拓馬の右手を、彩は両手で握りしめた。


「ごめん、秘密にするつもりはないんだけど、今の状態で話すのは怖いの。拓ちゃんにこれ以上何かあったらと思うと……」

「そうですか……」


――俺が大きなショックを受けるような話なのか。もしかして別れ話だったとか……。早く記憶が戻って欲しい。こんな不安定な状態が長く続くのは辛過ぎる。


 拓馬は記憶を失った今の状況に焦りを感じている。このまま記憶が戻らなければ、自分は上手く生活が送れるのか心配だった。何か些細な事でも記憶が戻る切っ掛けが欲しいと思っていたが、無理やり彩から聞き出す事も出来なかった。


「ごめんね……」


 言葉で上手く励ます事が出来ない代わりに、彩は拓馬の頭を抱きしめた。

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