俺が彼女を知らない世界
第16話 俺が彼女を知らない世界(1)
拓馬が目を覚ますと、そこは病室のベッドの上だった。入院などした事のない拓馬だったが、自分に取り付けられている点滴や機器などを見てここが病室だとわかった。拓馬はつながれたチューブを外さないように気を付けながら体を起こし、部屋の中を見る。部屋は狭く、ベッドは自分の寝ている一つだけの個室だった。
と、その時、部屋のドアが開き、人が入ってくる。
「あ、母さん」
「拓馬! 気が付いたの?」
部屋に入ってきたのは拓馬の母だった。母は起き上がっている拓馬を見て驚いている。
「母さん……なんか、老けた?」
「いきなり何言うのよ、この親不孝者! あんたが心配させるからでしょ!」
拓馬は母の姿に違和感を覚えた。母親本人に間違いはないのだが、急に老け込んだように見えたのだ。
「母さん、ここは病室だよね? 俺はどうしてここにいるの?」
「ちょっと待って、先生と彩ちゃんを呼んで来るから動いちゃ駄目よ」
母は拓馬の質問には答えずに病室を出て行った。
「彩ちゃん?……」
――彩ちゃんとは一体誰の事だろうか? もしかして、母さんが仲良くなった看護師だろうか?
自分が病室で寝ている事といい、拓馬は訳がわからず戸惑った。
「拓ちゃん!」
すぐに一人の女性が拓馬の病室に飛び込んできた。肩まで伸びた黒髪。スッキリとして透明感のある顔は人によっては「可愛い」とも「美人」とも評するだろう。細身で華奢なスタイルも含めて拓馬の理想そのままだった。年齢は二十代半ばぐらいだろうか、年上の女性に興味を覚えた事の無い拓馬だったが、彼女には一目で心を奪われた。
「良かった」
その魅力的な女性は、泣きながら拓馬に抱きついてきた。
「あ、いや、あの……」
彼女が居た事も無く、キスすらした事の無い拓馬は、いきなり理想の美女が抱きついてきて、どうする事も出来ずに固まってしまう。
「彩ちゃん、先生を連れてきたよ」
母が、四十代ぐらいの眼鏡を掛けた男性医師と、中年女性の看護師を一人連れて病室に入ってきた。医師と看護師は拓馬の横に来ると、脈や体温を計ったり、触診などをして念入りに体を診る。
「うーん、あれだけの交通事故に遭ったのに大きな傷一つ無く、見たところ異常も無い。精密検査はしますが、奇跡ですよ」
――事故に遭った?
拓馬は全く身に覚えがないので驚く。自分はどうしてここに居るのか、意識を失う直前の記憶を探った。
――俺は柔道部の練習で、一年生に絞め技を教えていた筈だ。練習台になっていたが、締め落とされて気を失ったんじゃなかったのか? あれだけの事故って……俺は一体どうしてここに居るんだ?
「すみません、俺はどうしてここに居るんですか?」
「事故の記憶が無いのかい?」
医師が覗き込むように、拓馬の目を見ながらそう聞く。
「事故って何の事ですか? 俺は高校の柔道部で練習していたんで、事故になんて遭っていない筈です」
拓馬以外の全員が顔色を変えた。
「高校の柔道部?」
母の声が若干上ずっている。
「拓馬さんは高校時代に柔道部だったんですか?」
医師が母に聞く。
「はい、柔道部でしたが、最近ではOB会ぐらいでしか行っていない筈なんですが……」
「そうなんですか……」
返事を聞いて医師は拓馬の方を向く。
「拓馬さん、今何歳ですか?」
「えっ? 十七歳ですけど……」
当然過ぎる医師の質問が、逆に拓馬は不気味に感じた。
――わざわざ確認すると言う事は、俺の認識と周りの認識が違う可能性があると言う事だろうか?
母が心配そうに拓馬の肩に手を置く。
「子供の頃などの十七歳以前の記憶はありますか?」
「……は、はい、それはあります」
「逆に十七歳以降の記憶は?」
「いや、それは……」
「無い?」
「……はい、無いです」
――これで間違い無いだろう。俺は十七歳ではなく、もっと大人なんだ。俺を見るみんなの顔に不安が浮かんでいる……。
「俺は今、何歳なんですか?」
「落ち着いて、聞いて下さい。あなたは今、二十四歳です。車を運転していて事故に遭い、三日間意識を失っていました。奇跡的に外傷は見られないですが、記憶に障害が出ているようです。まあ、一過性の可能性もあるので、明日から精密検査をしましょう。なので、もう少し入院して頂く事になります」
そう説明すると、医師と看護師は病室から出て行った。
――俺が二十四歳? 何かの冗談だろ……。
拓馬は医師から説明を受けても、自分の置かれている状況に現実感が無かった。
「ごめん、私の所為だ」
今まで心配そうな表情で聞いていた彩が、拓馬にしがみついて泣き出す。
「あの……あなたは誰ですか?」
「あんた、彩ちゃんの記憶も無いって言うの?」
「彩ちゃんって、この女の人は彩って言うの?」
その言葉を聞き、さらに激しく彩は泣き出す。
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