第10話 彼女が俺を知らない世界(2)

「あれ? 拓馬、もう帰っているの?」


 拓馬は帰って来た母の声で起こされた。願いも空しく、目を覚ましても実家の部屋だった。高校時代に戻ったのは夢では無く現実だったのだ。


「うん、少し疲れたから部活の途中で帰ってきたんだ」


 拓馬は起き上がり部屋から出て、台所で買い物の荷物を冷蔵庫にしまっている母に返事をした。


「えっ、具合が悪いの? 大丈夫?」


 そう心配そうに話す母も若かった。


「大丈夫。寝たら気分が良くなったから」

「じゃあ、ご飯作る間にお風呂洗って洗濯物をたたんでくれる」

「うん、わかったよ」


 拓馬は家事を手伝いながら、今後どうするべきか考えた。


――元に戻りたいが、どうすれば戻れるのか見当もつかない。普通に考えれば若返ったのだから喜ぶべきなんだろう。これから未来に起こる出来事も知っているし、株でもやれば大儲けできるかも知れない。


 今の状況のメリットを考えながらも、拓馬は憂鬱そうにため息を吐いた。


――金なんかどうでも良い。仕事も満足してたし、贅沢しなきゃ十分に暮らして行けた。それより過去に戻った事で失ってしまった物が大き過ぎる。

――彩に会いたい。仲直り出来ずに会えなくなったのが一番の心残りだ。最後に会った時の泣いている彩の顔を思い出すだけで、胸が張り裂けそうになる。今の俺はまだ彩とは出会ってすらいない。もう彩には会えないのだろうか……。


 拓馬は思わず「あっ」と声に出してしまった。


――彩に会えない訳じゃない。この時代にも高校生の彩が居るはずだ。魂のタイムスリップがどう言った理論で発生したのかはわからない。俺の居た時代がそのまま続いているのか、タイムスリップしたことで消滅してしまったのかもわからない。あの時代の彩を幸せに出来なかった悲しみは、この時代の彩を幸せにして晴らそう。もし、元に戻れなくても、この時代の彩と一緒に歩んでいける。

――そうだ、彩はうちの学校の近所にある盛北の出身だ。実家は少し離れているが会えない訳じゃ無い。


 拓馬はもう一つ気になった事があったので、たたんでいた洗濯物もそのままに、自分の制服のズボンのポケットから生徒手帳と携帯電話を取り出した。生徒手帳には二年生と記載してあり、携帯の日付は二〇一二年六月二十六日の火曜日となっている。


――二年生か……もう彩は和也と付き合っているな……。どうやって彩に近付けば良いんだろう。今の彩は和也に心から恋している頃だ。俺が交際を迫っても受け付けず、下手をすればストーカーになってしまう。全く同じ立場であれば、和也に勝つ自信はある。だが、すでに大きく差を開けられた状況で、俺の方に振り向かせるのは簡単ではないだろう。

――いっその事、彩に自分は未来の恋人だと打ち明けるか?

――いや、だから彼氏と別れて俺と付き合えって言っても異常者扱いされるだろうな。

――和也が死ぬまで待つか……。

――いや、それでは彩の中で和也は永遠になり、結局俺はその美しい思い出と張り合って苦しくなる……。

――……そうだ!


 拓馬は最後に一つアイデアを思い付いた。上手く行くか自信がある訳じゃ無かったが、それを実行するしか無かった。



 翌日、拓馬は母校である、宿川(やどがわ)工業高校に行き、授業を受けた。七年間のブランクは埋めがたく、一度習っているとは思えないくらいに授業が理解出来ない。もうすぐある一学期の期末テストの事を考えると恐ろしかった。

 授業が終わると、部活に向かう。ここでも七年のブランクで調子が上がらず、昨日の影響かと心配された。

 久しぶりの事で戸惑いながらも、拓馬は学校生活の一日を終えた。部活仲間の誘いを断り、拓馬はすぐに、彩の通う盛田(もりた)北高校に向かった。

 自転車で五分の距離にある盛北に着いて、拓馬が探したのは彩では無い。目当ての人は板垣明菜だった。

 盛北の校門から部活終わりの学生が次々と出て来ていた。拓馬は少し離れた民家の陰から様子を窺っている。時々、拓馬の姿に気付いた盛北の生徒が、不思議そうな視線を送る。こそこそしている拓馬の姿は、盛北の生徒から見てかなり怪しく感じられたのだろう。

 と、その時、拓馬は校門から出てきた一人の女生徒が「盛北女子バレー部」と書かれたスポーツバッグを持っているのに気付く。眼鏡を掛けた活発そうな女子だ。

 明菜が元バレー部だと知っていた拓馬は、チャンスと思い女生徒の前に飛び出した。


「すみません。バレー部二年の板垣明菜って人を知っていますか? 出来れば呼んできて貰いたいんだけど」

「えっ、明菜ですか? 同じ部なので知っていますけど……」


 呼び止められた女生徒は、拓馬を疑いの表情で見ている。目の前の男子を信用して明菜を呼びに行って良いのか迷っているようだ。


――俺を警戒しているのか? すぐに呼んでくれそうもないな。


「じゃ、じゃあ明菜に、『好きな人がピンチだ』って言ってくれるかな」

「好きな人って明菜の?」

「そう、明菜の好きな人」

「えっ、明菜に好きな人がいるんですか? 誰ですか、明菜の好きな人って!」


 女子生徒は興味深々に喰い付いてきた。


「それは言えないよ。頼む、時間が無い。何とか明菜と話がしたいんだ」

「わかりました。明菜の一大事なら大問題ですね!」


 女子生徒は好奇心で目を輝かせて校内に戻って行った。

 しばらく待っていると、校門から女生徒に連れられて一人の美少女が出て来た。拓馬の記憶にある長い黒髪ではなく、ショートカットの明菜だ。

 拓馬に向かってくる明菜は、リップクリーム以外はスッピンの健康的な魅力あふれる美少女だった。


「明菜!」


 拓馬は思わず親しげに呼んでしまった。


「えっ? あなた誰?」


 明菜は怪訝そうな顔で拓馬を見る。

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