第5話 最愛の人の、忘れる事が出来ない大切な人(4)

 彩の言葉に嘘は感じられない。本当に自分を愛してくれているのだと思えた。だが、拓馬はどうしても一つの疑問が頭から離れず、彩に聞いてみたい欲求に駆られる。聞いても望む答えが返って来るとは限らないし、彩の気持ちを考えると聞かない方が良い事は間違いない。でも今聞かないと、もう聞くタイミングは無いだろう。そう思うと、拓馬はどうしても聞かずにはいられなかった。


「もし、その彼が生きていたなら、彩は俺と付き合っていたかな? 今、こうして一緒に暮らしてくれたかな?」


 拓馬は欲求に負け、彩に聞いてしまった。

 彩の顔が青ざめた。中々言葉が出ず、小さく震えている。


「……ごめん……それは、わからない……わからないの……」


 彩は下を向き泣き出してしまった。

 彩の答えは想定内だったが、望むものとは違った。拓馬は腹が立った。彩にではなく、心の狭い自分自身に。


「そうか……」


 拓馬はそう言うのがやっとだった。心の中に芽生えた怒りのぶつけ所が無く気持ちが抑えきれない。


「最後に一つだけ言わせて……。私は拓ちゃんと付き合いだしてから、和也君が生きていたら良かったのにと思った事は一度も無いよ。付き合い出してからの三年間は、ずっと幸せな日々だった……。和也君は大切な人だけど今はもう心の奥の思い出なの」


 彩は涙に濡れた顔で席を立ち、拓馬に抱きついた。


「でも、今でも好きなんだろ? もし生きていたら、ここに居るのはそいつの筈なんだ……きっと俺よりもそいつの事が……」


 言うべきではないと心でわかっていながらも、拓馬の口は自分の意思とは裏腹に余計な言葉を吐き出す。


「違うの、どちらかが上じゃなくて、比べられないだけなの」

「もういい、彩は悪くない……俺の心が狭いだけなんだ」

「ごめんなさい……あなたを傷つけたくなかった……」

「じゃあなぜ、嘘でも俺の方が好きと言ってくれないんだ。そうすれば誰も傷付かなくて済むのに」


――最悪だ。とうとう持って行き場の無い怒りを彩にぶつけてしまった。


 言えば言う程、自分が小さく思え、拓馬は惨めな気持ちになった。


「あなたが大切だから……大好きで愛しているから嘘を吐きたくないの……」


 彩の気持ちは痛い程良くわかるのに、拓馬は自分を納得させる事が出来ない。


「もういいよ」


 拓馬は立ち上がり、涙を流す彩を残して一人で寝室に向かった。乱暴にスーツを脱ぎ捨てて、スウェットに着替えてベッドにもぐり込む。毎日二人で一緒に眠るセミダブルのベッドで、彩に背を向けるように横たわる。何をしても苛立ちが治まらない。只々、苦しかった。ドアの向こうから彩のすすり泣く声が聞こえたが、苦しみが増すだけで苛立ちを抑える事にはならなかった。

 時刻は深夜一時を回っているが、拓馬は寝ようと思っても中々寝付けなかった。ダイニングから彩のすすり泣きの声が聞こえなくなった事に気付き、起き上がって様子を見に行く。

 彩は泣き疲れて、テーブルに顔を伏せて眠っていた。寝室から毛布を持ってきて彩に掛ける。拓馬は開いたままの卒業アルバムを手に取った。そこに写る彩を拓馬は知らない。二人の出会いは、就職してから二年目、二十歳の頃だった。

 工業高校を卒業した拓馬は中堅電機機器メーカーに就職してサービスエンジニアとして働いていた。外回りの仕事をするうちに、関連会社の事務員をしている彩に出会う。

 初めて彩を見た瞬間に拓馬は一目惚れをしてしまう。華奢で、どこか陰のある表情をしていた彩は守ってあげたいと思わせる女性だった。何とか親しくなりたくて、拓馬は用事を作っては彩の会社に顔を出した。最初はなかなか笑顔も見せてくれないし、へこむ事も多かったのだが、徐々に親しくなり、ラインで連絡を取れるまでにこぎ着けた。デートの誘いを何度か断られたが、拓馬は諦めない。ようやく実現したドライブデートの別れ際に告白し、OKを貰えた時には天にも昇る気持ちになった。

 工業高校で男子校のような環境だった拓馬にとって、彩は初めて出来た彼女で、その全てが理想の女性そのものだ。生活が彩られたように楽しく、同棲を始めてからは、さらに幸せが増した。

 彩の涙の残る寝顔をみていると、絶対に手放したくないと思う。だが、その想いと同じくらいに、和也に対する嫉妬心も強かった。

 拓馬はシャワーを浴び、会社に行く身支度をして部屋を出た。頭を冷やす為に今夜はネットカフェで過ごす事にしたのだ。部屋を出るとすぐ(先に会社に行く)と彩にラインを送り、車に乗り込んだ。

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