魔の交差点

 交差点が近づくにつれて美和の足は重くなり、ついには止まる。

「他の道から行こうか」

 恭介が気を回しても「遠回りになるし」と美和は煮え切らない。


「昨日あれから、その交差点のこと親父に訊いてみたんだ。魔の交差点なんて呼ばれたりしてるけど、昔は事故なんて全然なかったんだとさ」


 もともと、この辺りにはまばらにしか建物がなかった。

 状況が変わり始めたのは駅前の再開発が進められた頃。市街地の整備に伴い郊外に新興住宅地ができた煽りで、この区画でも新居が建つようになった。田畑は空き地として売却に出され、家と家の隙間を埋めるように新たな住居が構えられていく。大通りこそ道幅があったが区内には細い路地も多い。道路が拡張されないままに民家だけが増え交差点の見通しは悪化の一途を辿った。


 そして、あの十三年前のひき逃げが起こる。以前から接触事故は発生していたが大事に至ってはいなかった。人命が失われたのはそれが最初だ。


 深夜、激しいスキール音を聞きつけ飛び出してきた近隣住人が、道路に倒れている制服姿の少年を発見する。通報により駆けつけた救急車で市内の病院に搬送されたがまもなく死亡。塾帰りの男子中学生を撥ねた犯人はいまだ見つかっていない。


「事件をきっかけとするように、交差点は事故の多発地帯になったらしい。魔の交差点の名が広まり、死んだ中学生が事故を呼び寄せているんじゃって人々が噂をするようになった。一人寂しく死んでいった少年が仲間を求めているって」


 怯える美和を一瞥し、それから恭介はぼやくように漏らす。

「なぁ、この道狭いと思わないか」

 美和はこくりと頷く。

「たしかに。うちなんて、お父さんが車を出すときはわざわざ遠回りして反対の道を使ってるし」

「そうなんだよ。けど大通りを渡った先はそうじゃない。だいぶスペースに余裕があってゴミ収集場所になってるしな。だからなんだよ」


 一度言葉を切り、恭介は美和のほうに向き直った。

「大通りからは、こっちの道は見えづらい。一見すると丁字路で、道の出口は完全に死角なんだ。事故るのも当然だ。べつに幽霊が手招きしているんじゃない。環境の問題でしかないんだ」


「でも……。あんまりにも事故が多いから自治会でミラーつけたり飛び出し注意の看板置いたりしてるじゃん。それでも効果がないってのはやっぱり何かあるよ」

「俺らはそこに道があるって知ってるさ。けど、そこが十字路だって知らなきゃ見逃してしまうって。速度出してる車からだぞ。道があると認識できなきゃ、注意喚起も広いほうの道に対してだって思ってしまうだろ。幽霊なんて非科学的なものを持ち出さなくったって説明はつくんだ。幽霊の正体見たり枯れ尾花、案外そんなもんだ」


 冷静を装ってはいるが、恭介は自分にそう言い聞かせているかのようだった。その彼の態度は呼び水となり美和は反駁する。

「噂はそれだけじゃないし。呪い殺されって話もあるじゃん」

 未就学児が亡くなった事件だ。加害者はのちに自殺している。亡くなった女の子が取り憑いて呪い殺したのだと一部で囁かれたいた。


「それも説明できる。事故死ってだけでも辛いのに、幼い子供の命が失われたとなれば遺族の精神的ダメージは相当なものになる。仲睦まじかった夫婦が責任を押しつけあい、些細なことで衝突しあうように。幸せだった家庭が一転して不幸のどん底へ、なんてことがあったって不思議ではない。ただ命を奪っただけではなく、一つの家庭を壊した、そう知ればどうだろう。良心の呵責に耐えかねた犯人は自死を選択するかもな。呪いなんて必要ない」

 美和の反応は薄い。理解はできるが納得まではできないという様子だった。


「幽霊なんていないんだよ。俺が証明してやる。着いてこい」

 顎をしゃくり交差点のほうを示すと、恭介はそのまま歩き始めた。美和も慌ててその背中に続く。


 まだ通勤ラッシュが終わるには早い。しかし、不思議なほど車通りが少なかった。

 二人は寄り添うようにして交差点を進んでいく。隣に並ぶと、自ずと恭介が進行方向右手、美和が左手を確認する形となる。


 ほんの短な道のりを慎重な足取りで歩み、やがて二人は対岸へと到着する。どちらからともなく顔を見合わせた。

「な、大丈夫だっただろ。幽霊なんていない」

 首肯こそしなかったが、美和の顔にもう怯えはない。


「だいたい、仮に聡子が幽霊になってたとして誰かを道連れにすると思うか? そんな性格じゃないだろ。むしろ地縛霊から守ろうとするんじゃないのか」

「たしかに、そっちのほうが聡子らしいね。そう考えてみると昨日の猛スピードの車はまさにそんな感じだったかも。結構危なかったもん」


「霊はいないし、いたとしても聡子が守ってくれる」

 いつも一緒に登校するんだ。なんなら、さっきみたいに俺が。

 地面を見つめてそう口にして恭介は美和へと手をのばす。

 その手を美和は反射的に払いのけていた。

「あ、ごめん。べつに恭ちゃんが嫌ってわけじゃないんだ。ただ急だったから」

「いや、こっちこそごめん。まだそういうんじゃないよな。さっきのは忘れてくれ」

 気まずさを漂わせたまま二人は学校へと向かっていった。

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