《香り》
建屋に入り、応接間に通された。家の
「お飲み物はいかがされますか?」
使用人とおぼしき女性がやってきて、そう
「拓真は紅茶でおけ?」
「え、あ、いや、お気遣い無く」
「んじゃ紅茶で。アタシも紅茶でいいよ。よろしくね、
「かしこまりました」
桔花さんと呼ばれた女性は一度部屋から出て行った。
「すげぇなこの部屋。俗な言い方だけど、金持ちって感じ」
あまりこういうことを言うべきではないのだろうが、
「大したことねーよ。どれも古くからあるもんだし、単に物持ちがいいだけじゃん?」
「使用人が居るってのも金持ちポイント高くないか?」
俺の問いに紗理奈はケラケラと笑う。
「桔花さんはアタシの叔母だよ」
「は? 叔母?」
「そ。あの人一家もうちに住んでてさ、趣味でああやってんだよ」
「マジかよ……。いや、それにしては顎で使いすぎ感ないか?」
「あーその辺はその……」
紗理奈が言いかけたところで、「失礼します」と彼女の叔母、桔花さんが応接間に入ってきた。
彼女は運んできたティーセットを俺と紗理奈が向かい合って座るテーブルの上に置くと、再び部屋から去って行った。
しかしティーセットも高級品なんじゃないかと思ってしまうと、うかつに手を出せない。そんな風に思う俺のことをよそに、紗理奈は早速カップに口を付けた。
「んじゃま、改めて自己紹介すんねー」
先ほど言いかけていたことは何だったのか。彼女はまるで何もなかったかのようにそう言った。
「アタシは
彼女の言うことは、ここまでの流れで知っていることだったが、彼女の口から改めて聞かされることで、若干半信半疑であったそれらが事実となった。
そしてここは俺も自己紹介すべきだろうかと一瞬考えたが、向こうは俺のことを知っているので、その必要は無いとやめることにした。
少しの間はあったものの、それを察したのか紗理奈は話を続けた。
「何で来て貰ったかってーと、実は明日から椿本学園に転入するわけ」
転入という言葉から、彼女が理事長の孫でありながら、うちの学校に通っていないということが解る。
こんな奴が学校にいたら目立って絶対印象に残っているのに、とは思っていたがそこは腑に落ちた。
しかしながら、彼女が椿本学園に通っていなかったということについては、少し腑に落ちずにいる。理由があるとすれば、今度は転入してくる理由が解らなくなる。
「何でなんだ?」
「何でって、何。転入する理由? それとも、今まで通っていなかった理由? それか……拓真を呼んだ理由か?」
「全部だな」
「まぁ慌てんなって。いずれ全部解るから、そのうち。とりま、幼なじみなんだからよろしく、ってのがここに呼んだ理由なんね」
至極単純で真っ当な理由である。だが、それならば
「って言い出しっぺは楓なんだけど、思いついたことがあって、あんたに頼み事があるとだけ楓に言ったわけ」
「頼み事?」
わざわざ俺に対して頼み事とは何だろうか。
俺が紗理奈のことを覚えていないとは知っているし、楓や、おそらくは日向とも面識があるだろうからそっちではダメなのだろうか。
「あー、その前に拓真って彼女いる?」
不躾な質問である。その意図を図り兼ねながら、俺は答えた。
「今はいないな」
「うわ出た。『今は』とか言っちゃうやつ」
そう言って紗理奈はケラケラと笑う。
「そう言うのっていろいろタイプあるらしいじゃん? あんたはどうなの? 過去には居たっていうモテるアピール? もうすぐ出来そうっていう希望的観測? それとも……その場に居る人間への好意のアピール?」
「それは……」
確かに彼女が挙げた『過去には居た』には当てはまる。ただ、別にモテるアピールがしたいわけではない。
ただ、そんなことを言ったところで、強がりだと言われるのがオチだと思えてしまう。
「あとは、そもそも居たことがないってパターンもあるっけ。もはや何でもありじゃん。ぜってーどれか当たるっしょ」
再び彼女は一人ケラケラと笑った。なんとなく、彼女にとって真意はどうでもいいのではと感じた。
「まあそう言うことなら大丈夫っしょ。アタシの彼氏になってくんない?」
「は?」
あまりの唐突な依頼に、俺は返す言葉が出てこなかった。
一方の紗理奈はというと、言うことは言い切ったといった感じで、クッキーを食べ始めていた。
「なんで」
「またそれ? 知りたいのは、何故そんなことを頼むか? それとも何故あんたなのか?」
「……どっちもだ」
俺がそう言うと、紗理奈は食べかけのクッキーを口に入れ、それを押し込むように紅茶を飲んだ。
「簡単に言うと、アタシが椿本学園で過ごすってことは、少なからず影響力があるわけ。だから、打算でアタシに近づこうとする奴もきっといる。だから付き合う人間は選びたい」
「それとこれとどういう関係があるんだよ」
「大ありっしょ? あんたは彼女と友達どっちを優先すんの? それに『理事長の孫の恋人』って、将来どうなる可能性があると思う?」
前者の質問は難しい話だが、恋人のウェイトはやはり大きいだろう。
後者は、その後何もなければやがて結婚し、学校の関係者となるわけで。教師からはこびを売って損はないというわけか。
「そんなポジションを狙う人間も少なくない。だもんで先に、そこを埋めておこうって魂胆なわけ」
「……言いたいことは解った。でも、なんで俺なんだ? いや、そこまでしてなんで転入してくる」
俺がそう訊ねると、またも紗理奈はケラケラと笑った。
「それをアタシに言わせてるようじゃ、あんたはしばらく
「どういう意味だよ」
「さあね。とりま、そういうわけで明日からよろしくな」
もはや断る余地もないといった具合に押し切ってくる。いや、断ったとして俺が今後学校で平穏に暮らせる保証がない。
「……わかったよ」
仕方が無いので、この依頼を受けることにした。
流石に喉が渇いて口にした紅茶は、香りがよくわからなかった。
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