《途絶》
次の日の午後。昨日のサクラちゃんとの一件で少し疲れたのか、昼食を終えてから自堕落に漫画を読んでいた。
サクラちゃんの言うとおり、やっぱり運動不足かなと思いながらも、なんだか少し眠気も出てきて、体を動かそうと言う気にはならなかった。
そんな折、一通のメッセージが届いた。
メッセージの送り主を確認すると、『ひなP』こと
その途端眠気も消え、思わず気だるかった体を起こしていた。そしてトーク画面を開こうとするが、その手は少し震えていた。
『誤送信を謝罪しないのはキミらしくないね』
開いた画面に、そんなことが書かれているのを確認した。
誤送信から数日空いた今更の返信。それはそれで、彼女らしくはないと思う。こんな内容なら、当日のうちに送ってきそうなものだ。
そんな風なことを思ってから今になって、即既読を付けてしまったなと思い至る。
反射的に開いてしまったわけだが……もしかすると陽菜も同じだったのだろうか。
『悪い忘れてた』
『おや、てっきり既読スルーでもされるのかと思ったのに』
『それはお互い様だろ』
『そんなことは無いさ』
そんな風にメッセージのやり取りが続いた。なんだかこれで一区切り付いてしまった気がして、ここからどうしようかという気持ちになる。
何か話題でも見つけて話すのか、ここで打ち切るのかと。
すると突然画面の表示が変わった。着信だ。
先ほどから深く考える余裕もない展開が続いて、ここでも思わず通話に出てしまった。
『電話にまで出るなんて、どういう風の吹き回しだい』
第一声がその言葉だった。
数ヶ月ぶりに聞く声だったが、最後に聞いたのは遠い昔だったような気さえした。
「拒否するのも何か……あれだろ」
『くくっ、優しいねキミは相変わらず』
俺は優しくなんかない。だったらこんな関係にはなっていなかったはずだ。
そう心の中で思い、留めた。
『と言うことは、これからは通話を送れば話が出来るわけだ』
「二度目があるかは解らないぞ」
『そうかい? それは残念だ』
そう言いながらも、陽菜はまた『くくっ』と笑う。多分、俺が言ったことが強がりだと見透かされているのだろう。
『それはそうと、拓真クンは元気そうで何よりだ』
「元気そうか?」
『来週の土曜日は予定があるんだろう? 何なら昨日もかな? ボクのことを差し置いてデートかい? 何なら、返信相手も女の子かな?』
何もかも見透かしているぞと、陽菜は次々に問いかけてくる。そしてそれは、概ね正しかった。
「男だよ男。そう言うんじゃないから」
返信相手は
ただまるで、浮気がバレて誤魔化しているかのような気持ちにはなってしまう。そして同時に、あの時大翔に浮気だ何だと言われたことを思い出す。
「そう言うお前こそ、どうなんだ? サクラちゃんが気にしてたぞ」
『おや、佐倉クンと再会できたのかい?』
「あぁ。……あんまり驚いてないな?」
『キミが佐倉クンと同じ街へ引っ越したのは知っているからね』
「え、知ってたのかよ。教えてくれてもいいだろ」
『あの頃のキミにかい?』
「……」
引っ越しが決まったのは陽菜と別れるより後のことだ。別にこれがきっかけで別れたわけではない。
だからその頃の陽菜とは、殆ど会話をしていなかった。ただクラスメイトとして、多少の情報が入ってくる程度である。
『そこ分だと、佐倉クンも元気そうだね』
「……昨日、遊んできたところだ」
この事を言うか言わぬか迷ったものの、結局口にしてしまった。
『おや、デートの相手は佐倉クンだったのか。流石のボクも、知った顔に寝取られるのは辛いな』
「お前言い方」
『おや、違うのかい? でもあれかな。佐倉クンとの約束、果たしたのかい?』
サクラちゃんとの約束。そう言えばサクラちゃんも約束がどうとか前に言っていた。
その時陽菜の名前も出ていたから、約束について陽菜が知っていても不思議ではないわけだ。
「なあ、サクラちゃんとの約束って……」
『おや? ……それより、サクラちゃんは上手くなっていたかい?』
約束について陽菜に訊きたかったが、話を逸らされてしまう。まあ、陽菜から聞き出すのも無粋だとは思うので、これでいいのかもしれない。
「あぁ、俺と違って今でも続けてるみたいだしな」
『まさか、ボクのように完封されてないだろうね』
「ギリギリ最後に守り切ったぞ」
『つまりそれ以外はボロボロだと。随分
「まあ……否定はしないな」
『ボクのように、キミに完勝するのが彼女の目標の一つみたいだったからね。また何度か勝負を挑まれるだろうけど、付き合ってあげて欲しい』
完封での勝利にこだわった理由はそう言うことだったのか。確かに彼女は陽菜に憧れていたわけだから、それが道筋の一つなのかもしれない。
『そしてキミには負けないように努めてほしい』
「俺に負けて欲しくないと?」
『そうだね。元恋人とはいえ、キミが負けるのは悔しいよ。でもそれよりも、彼女の先輩として、最初の目標であるキミが不様であって欲しくないと願っているよ。そんなキミに勝っても、きっと嬉しくないだろう』
「そうか。……それもそうだな」
確かに昨日のサクラちゃんは、少し残念そうにしていたかもしれない。俺の運動不足がとうとかは、その思いをやんわり伝えていたのではと、今になって思う。
『あぁそうだ、ボクの近況について訊ねてくれたんだったね。まあ楽しくやってるよ。最近は動画配信を始めたんだ』
「配信? どんな?」
動画配信は時折話題にはなるが、陽菜に至っては自ら発信するに至っているとは。驚きはしたが、やはり彼女からすれば当然な気もした。
『バーチャル配信だよ。
なんとなく聞き覚えのあるフレーズだった。そういえば
「いや、俺そういうの見ないから」
『今をときめくバーチャル配信者だと思っていたけれど、キミに知られていないようじゃまだまだのようだね』
彼女は目指すとなれば高みを行く。興味が無くても知っているほどの知名度でも目指しているのだろう。
「今度気が向いたら調べておく」
『是非そうしてほしい。ところで拓真クン、君はプログラミングに興味は無いかな?』
「何を薮から棒に」
『実は配信で使ってるアバターでアダルトゲームを作ろうかと計画しているんだ』
「何言ってんだお前」
その配信で知名度を集めていくのかと思いきや、別のアプローチというわけだろうか。しかもその方法はあまりにも突飛である。
相変わらず、考えが斜め上で読めない奴だ。そういうところが嫌いではなかったが、彼女を本当に好きになれなかった所以ではないかと思わなくも無い。
『アイドルがAV堕ちするようなものさ。私自身が、もしくは界隈が下火になりそうになったところで世に出そうかと思ってね』
言わんとする内容は解るが、考え方が理解出来ない。
「アバターそのまま使った3Dのゲームでも作るのか? ある程度の自由度でも持たせて」
『くくっ、物分かりがいいね。しかもVRだ。ボイスはボクが自ら充てよう。そうすればただのAV堕ちじゃない、応援していたあの子を犯す体験が提供出来るんだよ。くくっ、依然バーチャルではあるけどね』
「お前一回病院行ってこい」
『心外だね。ボクは正常だよ。キミだって内心そう思ってるだろ?』
確かに彼女は病んでいるわけではないだろう。ただ貪欲に興味のあることに傾注し、その矛先が『バーチャル技術』と『配信者として売れる、または名を残すこと』に向いているだけだ。
「で、何で今さら俺にそんなことを頼もうとするんだ」
俺たちは終わった関係だ。今だって、うっかり連絡を取ってしまっただけで、本当なら今後二度と繋がることなんてないだろう。
『そんな解りきったことを』
陽菜はそこまで言うと一呼吸置き、さらにこう続けた。
『例えアバターでも、こんな恥ずかしいこと、他の誰にもお願いできないよ。だからお願い、拓真くん』
いつもとは違う
『くくっ、何ならボイスの収録も協力願いたいね』
いつもの声色に戻して陽菜はなおも続ける。
「お前何考えてるんだよホント」
『拓真クン、ボクはね……キミがどう思ってようがキミのことが──』
「それ以上はやめてくれ」
ここまで話す中で、彼女が俺をどう思っているのかは既に理解しているつもりだ。だけど、それを明確に言語化してはいけないと俺は思っている。
『……』
「……」
『ま、久しぶりに楽しかったよ。今の生活も、つまらないわけじゃないんだけどね』
「そうか。まあ悪かったな」
『いいよ、それじゃあ』
通話終了ボタンをタップし、終わらせた。その時スピーカーからは『またいつか』なんて聞こえたのは、気のせいだと思うことにした。
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