《正答》

「じゃあ勝負しようぜ」


 何が『じゃあ』なのか。

 前後関係の判らないまま、これが夢だと気がついた。


「いいよ。こっちが勝ったら──」


 少女は何か条件を出したが、肝心なその部分が頭に入ってこない。

 というよりは、恐らくこの夢は記憶。そこは思い出せなくて、誤魔化されているだけだろう。


「約束だぞ」


 ただ、何かを約束したという事実は覚えていたようだ。いや、こうして思い出したと言うべきか。


 そして、夢からめていく──。


 * * *


 目が覚めるとベッドの上にいた。

 部屋の中がやけに明るいと感じたのは、部屋の電気が点けっぱなしだったからだ。


 机の上には教科書やノートが広げたままになっていた。

 それを見て、昨夜は勉強をしていたこと、そして途中に休憩のつもりでベッドに横になって、そのまま寝てしまったことを察した。


 ゴールデンウィークが明けてすぐテスト期間となった。

 そしてそこから一週間テストに向けて勉強してきたわけだが、ついに今日からテストが始まる。

 だから少しこんを詰めてしまったようだ。なんとか起きれたからよかったものの、あまり無理をしない方がいいなと思う。


 * * *


「お前らテストどうよ」


 登校した後、悪あがきのように勉強していたところに大城戸おおきどが訊ねてきた。


「全然勉強してねぇわ」

「俺もやべー」


 大翔ひろと矢嶋やしまはそう答えながらも、最初の科目である数Ⅱの教科書を眺めている。

 もちろん『勉強してない』なんてのはテスト前の常套句じょうとうくで、だいたい勉強してきてるものなのだろう。


「気づいたら白海はっかいシアンの動画見て時が流れとったたわ」

「何だそれ」


 前言撤回。多分大翔はマジで勉強してない可能性が高い。


「佐藤お前知らんの? 今をときめくバーチャル配信者やぞ」

「悪い大翔、俺あんまり動画配信見てないんだ」

「正直俺も配信は見るけどバーチャルとかは知らん」

「俺も俺も」

「嘘やろお前ら。ってか矢嶋は嘘つくなや。お前が教えてきたんやろ」


 大翔がつっこみ、俺たちはヘラヘラと笑う。こうしたバカなやりとりで、テスト前の緊張感が和らいでいくのを感じた。


「で、佐藤はどうだ? 勉強の方」

「悪いがそれなりに勉強はしてきたぞ」


 勉強してないなんて二番煎じで答えるのもどうかと思い、真面目に答えた。


「何だこいつの自信」

「そういえば佐藤はここのテスト初めてか」

「あー。死ぬわあいつ」


 佐倉たちは口々に言った。

 彼らが何を言っているのか、この時は全く解らなかったが、その後すぐ理解することとなった。


 * * *


 なんだこれ……。

 冒頭の基礎問題はいい。公式に当てはめれば済む。

 中盤も計算量こそ多いが単純だ。

 問題は終盤、一見テスト範囲外と思えた。少なくとも、こんな問題を授業では取り扱っていない。もしかして、理系選択と共通のテストだろうか。

 そんな問題が一つならともかく、複数ある。このまま全部回答しないのはまずい。まずは一通り目を通して、捨て問を選ばなければ。

 よくよく見ていくと、これらはどれも試験範囲の中で十分回答可能な難問だとわかる。

 もしくは、授業ではスルーされたが教科書に載っていた公式の証明。テストに出すならスルーしないで欲しいし、テストに公式書いてあるのもヤバい。これで解ける冒頭の問題あるぞ。


 * * *


 試験終了のチャイムが鳴る。

 結局すべて解くことはできなかった。


「どうやった?」


 解答用紙が回収されると、早速大翔が訊ねてきた。


「死んだ」

「やっぱりか」

「お前は?」

「頭使いすぎて次の英語に向けて覚えた単語、いくつか忘れてそうや」

「なあ、英語もあんな感じなのか?」

「英語どころか全部な」


 そんな試験にほぼ無対策で挑む事になってしまったわけだが……。


 * * *


 結果として今日の試験は惨敗とまではいかないが、なかなか満足のいかない感じでもあった。

 大翔たちも、というかクラス中死屍累々といった感じであった。そしてそれに対し、足早に帰って行く者、吹っ切れて遊びに行こうと話す者、残って勉強をしていこうとする者と、その受け止め方は様々だった。

 なお、大城戸たちは帰って勉強すると足早に帰って行った。なんだかんだで真面目な奴らである。……まあ大翔だけは『シアンちゃんに癒やされてくる』とも言っていたので、その限りではないかもしれないのだが。

 一方で楓たちには駅前でコーヒーでも飲もうと声をかけられた。楓はテストの手応えを気にする様子もなかったので、ここは諦め組だろう。

 さすがにそんな誘いは断って、俺は図書室へやってきた。熱心に勉強する生徒の姿が散見される。


「あ、佐藤先輩」


 その中にサクラちゃんの姿があった。その隣には他にも二人の女子生徒がいる。おそらくサクラちゃんの友達だろう。


「サクラちゃんはテスト勉強?」

「そうやよ。先輩も?」

「あぁ。さすがにあのテストはヤバいからな」

「こっちもめっちゃヤバかった」


 と、ここまで言って他の二人もこちらを見ているのに気がついた。

 このままではサクラちゃんたちの勉強を邪魔してしまいそうだ。


「邪魔しちゃ悪いから、あっちで勉強してくる」


 そう言って去ろうとしたところ、「先輩」という声で引き留められた。声の主は意外にもサクラちゃんの友達だった。


「ここ、空いてますよ」


 彼女はサクラちゃんの対面を指して言った。


「いいのか?」

「先輩が良かったらどうぞ」


 少し考えて辺りを見回すと、空いている席はあるとはいえ、基本的に誰かと相席にはなる形だ。

 それならばここでも同じかと、勧められた席に腰を落とした。


「二人はサクラちゃんの友達?」

「そうやよ。こっちが──」

「私は利根島璃子とねしまりこっていいます。それでもう一人が千里香せんりかおりちゃん」


 先ほど俺を引き留めた子が、サクラちゃんの言葉を遮りながら自己紹介した。

 自己主張が強くてぐいぐい来る感じはかえでと阿部に近い感じだと思う。まあ、彼女に押されてはいるが、サクラちゃんもその系統ではあるのだが。

 一方でもう一人の千里ちゃんは、ここまで名前を紹介された後「よろしくお願いします」と静かに言ったくらいであり、おとなしい印象を受けた。

 なんだかこの三人は、少しだけ楓たち三人にも似ているなとも思った。


「よろしく。俺は──」

「佐藤先輩ですよね。美羽みうから話は聞いてます」

「ちょっと璃子」


 またも遮るように言った利根島ちゃんをサクラちゃんが制する。

 そんな二人に向けて、千里ちゃんが口を開く。


「二人とも、静かに勉強しませんか?」


 まっとうな意見である。しかもここは図書室。二人の声は大きかったわけでもなく、他にも勉強を教えるなど話をする生徒も多いのは確かだが、テストが始まって追い込まれている人には迷惑となってしまうだろう。

 その言葉に二人は黙って居直り、勉強を再開した。それを見て俺も、明日の試験に向けての勉強を始めた。


 * * *


「なぁなぁ香、ここ解る?」

「これは……」


 時折こうして、サクラちゃんと利根島ちゃんは千里ちゃんに教えを請うている。

 どうやら彼女がこの中では一番勉強が出来る感じらしい。


「ちょっと解らないです」


 だがもちろん、すべてが解るわけではないようだ。

 少し気になってそちらを見やる。科目は数学。確かに簡単な問題ではないようだが……さすがにこの内容なら解る。


「そこは──」


 二人に問題の解き方を教える。

 そういえば俺も去年、似たようなところでちょっとつまづいたのを思い出した。そのときは──。


「ありがとうございます」

「そういや佐藤先輩が前に行っとった学校って、結構偏差値高いんやっけ」

「あー、まあ、そうだな」

坂城さかき先輩も一緒やんな?」

「そう、だな」


 なんだかんだ、こっちに引っ越してきてもなお、あいつのことが頭にちらつく。

 もちろん、サクラちゃんがあいつのことを知っているからなのもあるし、彼女に悪気はない。

 しかし、一度話題に上がってしまうと、それは伝播でんぱんする。


「その坂城先輩って、どんな人?」


 そう訊ねたのは利根島ちゃんだ。この言葉を皮切りに、あいつに関する話題にシフトしていく。


「めっちゃ凄い人やったよ。頭良くてスポーツできる、憧れの存在って感じ」

「イケメン?」

「ある意味イケメンやけど、坂城先輩は女の人やよ」

「えっ。もしかして、佐藤先輩の彼女だったり?」


 その結論に至るに必要な情報が殆ど無い状況での、安直な発想だ。

 男女が二人でいれば付き合っているというのは、思春期の男子的な考えではある。

 だが、案外世の中はシンプルな構造でできていることもある。つまるところ、彼女の問いは正しい。いや、正しかった。


「あっ」


 答えあぐねていると、利根島ちゃんはそんな声を漏らした。核心を突いたことを察したのだろうか。

 違うと即答するのも怪しいが、ここまで間を開けて否定することも不自然である。


「悪い。まあ何だ、これを言うのもあれなんだけど……確かに付き合ってたんだけど……その……別れた」

「えっ!?」


 声を上げたのはサクラちゃんだった。彼女には陽菜と付き合っていたことすら話していなかった。だから驚いたのは無理はないだろう。


「先輩それは……」


 だからだろうか。何か言いかけ、そして──。


「何でも無いです」


 ──やめた。

 そして沈黙が訪れた。奏でられるのはシャーペンが走る音だけ。

 それでも、あまり勉強の内容が頭に入っている気はしなかった。それは彼女たちもまた、同じなのかもしれない。

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