日向友葵がたどり着いた《真実》

 彼との再会は最悪だった。


 始業式の日。

 私、日向友葵ひむかいゆきは慌てて登校していた。

 別に遅刻するような時間ではないのだけども、梨愛りあとの約束やかえでへの報告、やることがいくつかあった。

 だから私は、よく確認もせずに曲がり角へ踏み込んでしまった。


「うわっ」

「うおっ」


 何かにぶつかり、そのままの勢いで前倒しになってしまう。

 倒れながら、ぶつかった相手が自分と同じ学校の生徒だと気が付く。そして、彼を下敷きにするようにその場へと倒れてしまった。


 悪いことをしたわ。そう思って立ち上がろうとしたときに事件は起きた。

 彼の手が私の胸に押し当てられる。胸を触られてしまったと理解した瞬間、さらなる感覚が走った。

 揉まれた。その事実に対して恥ずかしさが勝って、顔が赤くなっていくのが自分でも判った。


「ッッッッ!!!!」


 何か言ってやりたい。でも何も言葉に出来なくて、私は自ら立ち上がり、この場から逃げ去ることにした。


 * * *


「あーっ!」


 驚いたのは、そんな彼と再び出会ったこと。

 しかも楓は、どこか親しげに彼と話していたように見えた。


「あ、昨日の」


 向こうも私のことを憶えていた。


「あなた、あの時はよくも──」


 ──私の胸を触ってくれたわね。なんてこの場で言うわけにはいかず、そこで言い淀んでしまった。

 あのときの出来事を口に出すことをはばかる気持ちは俺にも解る。なので俺もそれに対しては何も言わないことにした。


「あのときは悪かったな」


 と、彼の方から謝られてしまう。

 事の発端は私に非がある。ただあの事、胸を触られたことを言わなかったのに、その事で謝られてしまうと、こちらとしても困ってしまう。


「そうね、ちゃんと前見て歩きなさいよ」


 彼には悪いけれども、彼の謝罪の先をぶつかったこと自体へ転換させることにした。


「ちょっと待ってくれ。そっちからぶつかってきただろ?」

「何言ってるのよ。あのときは……何にしてもあなたは……その、あなたが悪いわ」

「そりゃ、あれは悪かったけどさ」

「そ、そのことは蒸し返さないでよ」


 後でいつか謝罪はする。でも今は、このまま飲み込んで欲しい。

 そんな願いは、やはり届きそうにはなかった。そう思った矢先、「友葵、お腹すいた」という梨愛の言葉で、なんとか逃げ切る道筋ができた。

 これで一旦この場は誤魔化せる。


「またあとでね、佐藤くん」


 楓は彼にそう言った。

 彼が佐藤という名前だとその時に知った。


 * * *


「……ねえ梨愛。何であの人まで居るのよ」


 佐藤にはいつどうやって謝罪をしようかとここ数日考えていた。そしたら彼は梨愛に連れてこられ、以来時折一緒に昼食を食べるようになった。

 でも、こうして取っかかりは出来たはずなのに、謝罪の言葉を言い出せなかった。怖かったからだ。


 そしてある日、昼休みに佐藤と二人になった。楓も梨愛も、何故か席を外している。

 私たち二人の間には沈黙しか無かった。

 せめて謝るなら今、楓も梨愛もいないタイミングが良いのかもしれない。

 でもそれが出来なくて、彼から目を背け続けていた。

 でも彼は違った。彼がじっと私のことを見ているのに気がついた。


「何?」


 つい、そんな無愛想な言葉が出てしまう。


「特撮とか見るの?」


 思ってもいないタイミングで、私のことを見透かしたような質問をされて、つい肩を跳ね上げた。

 彼の言うとおり、私は小さい頃から特撮は好きだった。これは多分、私のお兄ちゃんと、お兄ちゃんとも仲が良かった私の幼なじみの影響だったと私は思う。

 そして気が付くとこの歳になるまでずっと追いかけていた。

 もちろん、その事でひと悶着あった。だからこうして話題にされることは、嬉しくもある半面、怖くもあった。


「まあ……多少ね。そっちこそ、よく判ったわね」

「一時期見てなかったけど、前の学校のツレが好きで、勧められてまた見始めたんだよ」


 相手の出方を伺うつもりで訊ねてみたところ、自分も見ているとのことだった。

 だったら少なくとも馬鹿にはされない。少し安堵した。

 その後は楓たちが戻ってくるまでの間、彼とはこの話題で少し話をした。

 そして私はふと気が付いた。今度行く遊園地、彼も誘われているけれど、彼ならば私が行きたいヒーローショーに付き合ってくれるんじゃないか、と。


 * * *


 結果として彼はヒーローショーに付き合ってくれた。

 楓が二人での行動を提案してきたのはとても都合が良かった。


 しかし問題はその後のこと。

 彼とまたショーを見る約束をして、連絡先を教えてもらった。

 メッセージアプリで受け取った彼のアカウント情報にはこう書かれていた。


『佐藤拓真』


 私はフルネームで登録している。どう見ても、彼も同じだ。

 私は今まで、彼が『佐藤』だとは知っていたけれど、それは楓がそう呼ぶから知っていただけで、彼自身から自己紹介されたわけではなかった。

 だからまず、彼のフルネームが私の幼なじみと同じであることに驚いた。

 でも、よくよく考えるとおかしな事に気がついた。

 私の幼なじみの『たっくん』は、楓とも幼なじみだ。

 彼はこの春転校してきたと耳に挟んだけれど、何故早くも楓と仲がよかったのか。

 そして何故、今日駅で集合するときに、私たちと同じ最寄り駅で、楓と二人でやって来たのか。


 この事を楓から聞き出すために、観覧車を利用して楓と二人になった。


「ねえ楓。あなたたっくんの事憶えてる?」

「そりゃあもちろん」

「……単刀直入に訊くけど、彼がたっくんって事でいいの?」

「やっと気付いたんだ。……というよりは、偶然知っちゃった感じかな? 結構面影あると思うけど、判らなかった?」


 今になってみれば、彼から昔の面影を感じ取ることは出来る。

 ただ今までそれに気が付かなかったから、楓の質問に対して、判るとは言えなかった。


「どうして隠してたの?」


 楓はきっと隠していた。

 私に教えなかったことは、『気付いていると思った』とでも言えば説明がつく。

 でも、彼は楓が名前で自分を呼ぶと言っていた。でも私は楓が『佐藤くん』と呼んだことしか記憶にない。


「まあ……面白かったから、かな?」

「なっ」

「だって二人とも気付いてないんだもん。拓真くんに関しては、他のことも憶えてないみたいだけど」


 憶えていない。

 彼も私に気付いていないんじゃないかとは思ってたけれども、そもそも憶えていないというのは、想定外だった。

 私にとっては忘れ難いあの思い出も約束も、彼は忘れてしまったというのなら、あんまりだ。


「それにね」


 私の言葉を待つことなく、楓はなおも続ける。


「友葵ちゃんは昔のことに縛られすぎかなって。だって、今でも『たっくん』が好きなんだよね?」

「……それが、悪いってこと?」

「悪いとは言わないよ。でも……友葵ちゃんも、拓真くんも……私も、あの頃と同じじゃないんだよ。私は友葵ちゃんには、今の佐藤拓真を見て欲しかったんだよ」


 今の佐藤拓真。確かにここ最近で感じた彼の印象は、昔のたっくんとは違う。違うというのも違うかもしれないけれど、少なくとも同じではなかった。


「ところで友葵ちゃんは今の拓真くんはどう思う?」

「どうって……」

「好き?」


 いきなりの直球な質問に驚き、そして恥ずかしくて顔が赤くなったのが自分でも解った。

 でも……。


「あなたが言う『今の拓真くん』が好きかっていうと、まだそうじゃない」

「ま、そうだよね。でも、嫌いなわけでも、関心が無いわけでもないよね」

「……そう、ね」

「じゃあここまでの作戦は成功ってことで、フェーズ2に移行だね」

「ふぇ、フェーズ2?」

「まあ、こっちの話しなんだけど。とにかく友葵ちゃんがこれから『今の拓真くん』に対してどんな気持ちを抱いていくかは判らないけど、私たちは私たちなりに、それを応援させて貰うから」

「よ、余計なお世話よ」

「だって、友葵ちゃんは不器用だからね」


 こうやって私はいつも楓に助けられている。

 恋心ではないけれど、そんな楓のことも、きっと好きなんだと私は思う。


 * * *


 こうして、たっくんが何もかもを忘れてしまっていることを知った。

 だからきっと、あのことも忘れてしまっているのかもしれない。

 それでも私は、目標に向けて成さなければならない。


 今日は紗理奈の家で勉強会。

 紗理奈だけは違う高校へ行ってしまったけれど、今でもこうして私たちに付き合ってくれる。


 道中、見知った顔が見えた。佐藤くんだ。


「こんなところでどうしたのよ?」

「テスト勉強に疲れて、気分転換だ。そっちはどうした?」

「友達の家で勉強会よ。……あなたもどう?」


 紗理奈も佐藤くんのことを知っている。だから急に連れて行っても大丈夫だとは思う。


「うーん、いや、折角だけどやめておく。そもそも今手ぶらだしな」

「そう……。まあ勉強、頑張ってね」

「あぁ、じゃあまたな」


 こうして彼と別れ、お互い相手の来た道を辿っていく。

 もうすぐ紗理奈の家に到着する。そこでふと、気が付いた。


 そういえば、なぜ彼は楓と同じクラスにいるだろう。

 彼が忘れているというのなら、なぜ私はこうして頑張って食らいつかなければならないのか。

 ……いえ、私はやりたいことをやっているだけ。『今の拓真くん』にはもう、関係ない。

 それでもやっぱり、物寂しさは拭い去れなくて、ため息が漏れた。

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