第1章-2

《約束》その①

「弁当忘れた」


 明くる日の昼休み、そう言ったのは佐倉だった。


「どうするんだ?」

「購買で買ってから合流するわ」

「購買か。あれそこそこ列ぶぞ」


 阿部の教科書を買った日のことを思い出す。……あれ、そう言えばまだ金返して貰ってないぞ。


 日向ひむかいたちとも合流し、俺たちがホールへ向かうために教室を出たその時──。


「兄ちゃん、ちょっと」


 近くでそんな声がした。その声に佐倉が反応して振り返ったのに気がつき、俺もそれに合わせた。

 すると佐倉の方に、一人の女子生徒が近づいていた。

 兄ちゃん、とか聞こえた気がするので、佐倉の妹だろうか。


「弁当忘れたやろ?」


 何だか馴染みのある声とともに、彼女は手に持った弁当箱を佐倉に向けて突き出した。


「うお、弁当やん。ありがとうな」

「気ぃ付けてぇな、ほんまに」


 ふと佐倉の話し方が、いつもと違うのに気がついた。

 女子生徒の方もそうだが、懐かしいというか、以前住んでいた所で聞き馴染んでいた話し方に似ている。

 そして同時に、佐倉の妹と思わしき女子生徒に対して既視感を覚えた。


「あれ?」


 彼女の方も何かに気づいたようで俺に目線が向き、目が合った。


「もしかして、佐藤先輩?」

「……サクラちゃんか?」

「そうそう、お久しぶりです」


 彼女、サクラちゃんは、前に住んでいた所で所属していたフットサルクラブで知り合った子だ。

 確か去年、サクラちゃんが引っ越すからとクラブを抜けて、それ以来だ。

 ……ん? 去年引っ越して……サクラ……兄……?


「え、佐倉って、サクラちゃんの兄貴なのか?」

「お前の言うサクラちゃんがこいつのことなら、そうなるな」

「マジかよ。だいたいお前、喋り方全然違う……いや……」


 さっきの佐倉の話し方はともかくとして、普段の話し方は標準語のそれ、とは思ったものの、そう言えば時折、アクセントだとか口調に違和感はあったかもしれない。


「ってか、サクラって名前かと思ってたわ」

「ええー。ちょっと先輩それは酷ない?」

「悪い悪い」


 と、ここまで話している間に、かえでたちを待たせてしまっているのに気づいた。

 楓たちの方に目を向けると、ちょうど楓と目が合った。


「立ち話も何だし、一緒にお昼でもどうかな?」


 だからだろうか。楓の方から提案してきた。


「あ、ええの?」

「拓真くんたちも良いよね?」


 楓の問に、俺は「良いぞ」と二つ返事した。

 一方の佐倉は渋っていたものの、


「兄ちゃんの意見は気にせんでええよな」


 というサクラちゃんの言葉により、彼女も加わることとなった。


「じゃあウチの弁当も持ってくるで、先にホール行っといて下さい」


 サクラちゃんはそう言い残し俺たちの前から足早に去っていった。


「じゃあ行くか」


 サクラちゃんの後ろ姿を見送りながら、佐倉に声をかけた。


「俺も行くの?」

「そりゃそうだろ。お前昨日なんて言ってた?」


 自分からこの中に混ぜろと言って入ってきたわけだ。しかもそれなりの理由を持って。

 佐倉もそれを解ってはいるようで、俺が歩き出すと、佐倉はそれに続いてきた。


 * * *


 ホールは相変わらず人であふれている。

 流石に六人で一つのテーブルというわけにもいかないので、二つのテーブルを移動させてくっ付けることにした。

 そのために、近隣で空いてるテーブル二つを見つけなければならなかったのだが、結局は見つからず、頼み込んで席を譲ってもらうことでなんとかなった。


「今度から、この人数は場所変えた方がいいみたいだね」


 この結果に楓はそう言っていた。確かに六人となると、いやそもそもの五人でも狭かったわけだから、もっと広く机が使えた方がいいだろう。

 そんな風なことを話しながら待っていると、やがてサクラちゃんの姿が見えた。


「サクラちゃん、こっち」


 そう声をかけながら手を振ると、向こうも気がついたようで手を振り返して、こちらにやって来た。


「おまたせです」


 サクラちゃんはそう言うと席に着き、持ってきた弁当を広げ始めた。

 俺たちも食べずに待っていたので、彼女にならって弁当を広げた。


「じゃあまずは改めて自己紹介しますね。ウチは佐倉美羽みう、この人の妹です。」


 この人、と言いながらサクラちゃんは持っていた箸で佐倉を指した。


「おい、行儀悪いやろ、やめな」

「あ、すみません先輩方。はしたないところを」

「いや、謝る相手ちゃうやろ」


 佐倉がそう叱ったが、サクラちゃんは悪びれず舌を出した。


「拓真くんと美羽ちゃんはどこで知り合ったの?」

「先輩とは前に住んどった所で同じフットサルクラブやったんです」

「え、フットサルやってたの?」


 驚いたように日向が言った。

 それに続くように楓も「意外だよね」と続けた。

 昔の俺は、そんなにフットサルやりそうに無いキャラだったのかと思い返してみたが、記憶にある範囲でもその通りな気がしないでもない。


「まあ、付き合いでな」


 なんだかんだ、その頃の付き合いでやっていたに過ぎない。ただあまり詳しいことをこの場で言うつもりもなかった。


「でも、すごい偶然だね。引っ越し先が同じで、学校まで同じとか」

「ほんまに。これはもう、運命やんな?」


 運命は大げさにしても、見知らぬ(わけではないらしいが)土地にやって来て、こうした見知った人間が居るのは確かに奇跡的で、少し心強い。

 楓も似たようなものだけども、正直相手のことをあまり覚えていないので、若干その気持ちは薄まってしまう。


「そうだな。まさか佐倉の妹とは思わなかった。改めてよろしく頼む」


 するとサクラちゃんはニコリと笑って「こちらこそ」と答えた。


「あ、でも先輩。佐倉って呼び方、何かややこしいんやけど」

「それもそうだな……」


 確かにどちらも佐倉姓だ。名前で呼べば判りやすいだろう。えっと、確か名前は……。


大翔ひろと、でよかったか?」

「ぶふっ」「そっちなん!?」


 佐倉兄妹はほとんど同時に驚きの声を上げた。さらに兄の大翔の方は食べている最中だったために、気道の方に何かが入り込んだようで、ゲホゲホとむせ始めた。

 楓も、なんなら日向も顔を背けてはいるが笑っているのだろう。


「いや、そこは『美羽ちゃん』って言うとこやん」

「そう言われてもな……サクラちゃんは長いことサクラちゃんなわけだから、変えるなら出会って日も浅い大翔の方が違和感ないっていうか」

「そう言われるとなんか……兄ちゃんより大事にされとる感あって、いっぺん回ってアリやな。でもやっぱりちょっと納得いかんから、お母さんには離婚してもらおかな」

「アホか」


 大翔が突っ込むと、またもサクラちゃんはペロッと舌を出した。

 そしてサクラちゃんは楓、日向、阿部を順に見ると、「それにしても」と切り出してきた。


「兄ちゃんがこんな可愛い人たちと一緒なん、めっちゃ意外やわ」


 サクラちゃんはそこまで言ってから、「あっ」と声を漏らした。


「えっと、男の先輩に可愛いってのは失礼やったかな」

「大丈夫だよ美羽ちゃん、ありがとね。そういえば私たちの自己紹介、まだしてなかったね」


 楓はそう取りなすと、日向と阿部も含めて簡単に紹介をした。

 そしてその上で、自分の普段どういった格好をしているのかについても語った。


「写真とかないんです?」

「あるよー」

「てか、前にお前から借りた雑誌に載っとるぞ」

「雑誌って……あのファッション誌?」

「あー、あのときのかな? そうだよ、モデルもやってるんだ」

「ほんまに!? え、なんか読モの先輩がおるって噂聞いたことあるけど、それが穂積先輩なん?」

「そういうことになるね。はい、これ写真」


 サクラちゃんたち一年生が入学してから一ヶ月が経つ。決して短い期間ではないとは言え、新入生にまで噂が広まっているということに、楓の影響力を改めて実感した。


「めっちゃ凄いやん。穂積先輩、良かったら写真の撮り方とかいろいろ教えて貰っていいですか? ウチ最近スマホ買ぉたばっかで、全然上手く撮れやんのさ」

「いいよー。写真なんかはSNSフォローしてくれればいろいろ見れるから、そっちもよろしくね」

「はいはーい。あ、そういや佐藤先輩も連絡先教えて」

「ん? あ、そういやスマホ持ってないとかで教えてなかったか」


 俺もスマホを取り出して、サクラちゃんと連絡先を交換した。

 その後すぐに、メッセージの通知があった。開くと、変な猫が『よろしくお願いします。』と言っているスタンプが表示された。それに対して俺も、『OK』とスタンプで返しておいた。

 だったら自分もと、楓たちも連絡先を交換していた。


 * * *


 その日の夜、リビングでテレビを見ていると、スマホが通知を知らせるバイブレーションで震えた。

 通知の内容は、サクラちゃんからの新着メッセージだった。


『今日はありがとう。ところで坂城さかき先輩は元気そう?』


 やはりか。そう思うとため息が出た。

 正直なところ、あまり彼女のことに触れてほしくはない。

 ただ、昼休みのときに訊かれなかったことは、素直にサクラちゃんを褒めたい。あそこで訊かれていたら、どんな反応をしていたか判らない。

 でも、文章でやりとりするアプリでなら、ひと呼吸もふた呼吸もおける。

 なのでもう一度すうと息を吸い、はあと吐き出すと、手元のスマホにこう入力した。


『元気にやってるぞ。知らんけど』


 知らんけど、とは便利な言葉だ。先の言葉の信憑性を曖昧あいまいにしてくれる。

 ことサクラちゃんにとって、この言葉に意味は感じない。だから、何故知らないかを追及してくることは無いはずだ。

 そうであると願い、送信ボタンを押した。


『坂城先輩で思い出したけど、先輩は約束のことちゃんと覚えとる?』


 思惑通り、追及はなかった。ただその代わりに返ってきたのは、イマイチピンと来ない質問だった。

 彼女の言う約束について考える。

 最初、あっちで別れた際に言われたことかと思ったけれど、そんな話をしてはいないはずだ。

 しばらく思案していると、追加でメッセージを受信した。


『もしかして忘れとる?』


 と言うメッセージの後、昼と同じ猫が『嫌な予感…』と言っているスタンプが添えられた。

 前のメッセージから、同時に既読を付けてから5分が経過していた。どう取り繕っても、覚えていないことを誤魔化せそうにはないだろう。


『悪い、何だったっけ?』

『えー。じゃあ、思い出すまでの宿題で』

『何それめちゃくちゃ気になる』

『頑張って思い出してな』

『ヒントは?』

『そんなん無しやよ』


 約束が何であるか、サクラちゃんから聞き出すことは出来そうに無いようだ。

 そうなると、俺の記憶しか頼りになりそうにない。

 こっちに住んでいた頃の記憶はおろか、ここ数年の事が解らないのは、流石に記憶障害を疑いたくはなる。ただ、当時のことが全く思い出せない訳ではないことから、約束はもしかすると、ほんの些細なやり取りだったのかもしれない。

 サクラちゃんは『坂城先輩で思い出したけど』などと言っていた。そうなると、あいつ絡みの話になってくるわけだが……。

 そんなことを考えていて、この日見ていたテレビ番組の内容は、殆ど頭に残らなかった。

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