《わだかまり》

 次の日本史の授業の時である。

 この日も阿部は俺の隣の席に座った。


「何故だ?」

「大体みんな前と同じ」


 言われて辺りを見回してみたが、そもそも前回の配置を覚えていなかった。ただ少なくともクラスメイトは大半が自分の席にいるのは解る。


「それより阿部。貸しのこと忘れてないだろうな?」

「貸しはいざという時に取っておくのがオススメ」

「借りた側が言うと信用ならないんだが」

「貸しを盾にして私に頼みごとをすることも出来る」


 もしかして、説得の件を手伝うということだろうか。


「何でもいいのか?」

「やめて私に乱暴するつもりでしょ。エロ同人みたいに」

「……」


 直後チャイムが鳴り、間もなく先生がやって来て授業が始まった。


 * * *


 翌朝。支度を終えた頃にインターホンが鳴った。

 直接玄関へ行きドアを開けると、そこにはかえでの姿があった。

 楓とは家が近いこともあり、近頃は毎朝こうして一緒に登校することになっている。


「ところで、まだ友葵ゆきちゃんから許してもらえてないみたいだね」


 雑談にひと区切りついて、楓がそう切り出した。

 ここで言う許すとは、遊園地の件だろうか。それとも出会ったときの事なのか。いや、後者が許されない限り、前者もまた許されないのだろう。

 ただやはり、逆の立場で考えてみれば、初対面の男に胸を触られただけではなく、しかもその相手が度々目の前に現れるというのは、耐えがたいのかもしれない。


「感触はどんな感じ?」

「えっ……答えなきゃだめか?」

「まあそりゃあ気になるし」


 あの日のことを思い出していたことを見透かしていたかのように問われ驚いた。

 胸の感触について訊いてくるとは、意外ともの好きというか、やはり楓もまた男だということなのだろうか。


「時間も経って感覚は希薄になってるのもあるが、よく判らなかったな。柔らかいと言えば柔らかいような、でもしっかり形作られていて……」

「ちょっと待って、何の話してるの?」

「何って、日向ひむかいの胸の感触について訊いてきただろ?」

「友葵ちゃんを説得する手応えの話をしてるんだけど……。っていうか、触ったの?」

「え、聞いてないのか?」


 どうやら日向はこの事を楓たちにも黙っていたらしい。

 だが日向には悪いが、ここまで言ってしまった以上、俺は事の顛末てんまつを楓に話すことにした。


「やけに風当たり強いと思ったら、そういうことだったんだ」

「ああ。だから今回の件の感触を改めて答えるなら、無理よりの無理だな」


 この際諦めるつもりで言ったのだが、楓はまだ何か考えていた。


「そういう事なら仕方ないとは思うけどさ」


 そう前置きしながら、楓は続ける。


「まずは相手の顔をちゃんと見て、話をしなきゃダメだと思う。二人ともね」

「そうは言っても」

「まあ、任せてよ」


 そう言ってのける楓の顔が、何故かいたずらな笑顔に見えて、なんだか嫌な予感がした。

 だが何かしらの取っかかりは必要なわけで、とりあえずは楓に托すことにした。


 * * *


「……」

「……」


 その結果がこの状況だ。

 昼休み、生徒で賑わうホールで俺と日向で向かい合い、黙ったまま座っている。

 何故こうなったかというと、初めは4人だったところを、まず楓が購買にいくと席を発ち、その後すぐに阿部が電話がかかってきたと席を外したからだ。


『まずは相手の顔をちゃんと見て、話をしなきゃダメだと思う』


 今朝言っていた楓の言葉を反芻はんすうする。

 日向を見やる。頬杖をつきながら、楓が去っていった購買の方をずっと見ている。

 食事のためにか、長く綺麗な黒髪は、頭の後で纏められていた。

 そう言えば以前楓に出会ったときに、楓の方が可愛いと心の中で評した気がするが、意外とそんなことはないように思う。

 普段の楓見ている感じだと、あの時はメイクをしていたと判る。一方で日向はそういった感じではないように見える。

 彼女の横顔から見える目元は、お世辞にも整えられたものには見えなかったからだ。しかしながら、その必要もあまりないくらい、綺麗だと思った。


「何?」


 日向と目が合った。俺が目を見ていたのだから当然の運びだ。

 別に悪いことをしている訳でもないのに、ついドキリと胸が痛み、目線をらせた。

 その先で、彼女の髪を束ねるシュシュが目に付いた。


「特撮とか見るの?」


 思わず訊いてしまった。日向は驚いたように肩を跳ね上げると、体勢を崩してこちらを向いた。

 彼女が付けていたのは、ある変身ヒーロー物のヒロインをモチーフとした物だった。

 こういった大人向けのアパレルがネット通販サイトで買えることを聞いたことがある。


「まあ……多少ね。そっちこそ、よく判ったわね」

「一時期見てなかったけど、前の学校のツレが好きで、勧められてまた見始めたんだよ」


 この手のヒーロー物が好きな人間には何通りかあると思っている。

 件のツレのように昔からずっと好きだったオタクパターン。俺のように高校生くらいになって、昔好きだったり流行っていたりした物が再流行するパターン。そして、近頃は若手俳優の登竜門であることから、俳優目的のパターン。

 せっかく掴んだ話の糸口だ。下手なことを言わないように、ここは慎重に判断すべきだろうか。


「今放送してるのは見てるの?」


 あれこれ考えていて無言の時間が続いたが、それを破ったのは日向の方からだった。


「毎週ではないかな。出掛けるときは見れないような時間だし。そっちは?」

「そういう時は録画してるわ」

「やるな……」


 グッズを身に付けていたり欠かさず見ていたり、オタクパターンだろうか。ただ、好きな俳優の出ているドラマを録画しても不思議ではないか。

 しかし、気を遣っていては上手く話せないな。ええい、ままよ!


「違ったら悪いんだけど、俳優が好きだったりするわけではない?」

「そうね、役者を追いかけるのも嫌いじゃないわ。放送後に他のドラマで活躍しているのは嬉しいし」


 確かに、近年は特撮ヒーロー経験のある役者は多い。特に、ちょうど幼い頃にまだ見ていた作品で主役だった役者は、今では超売れっ子になっている。


「でも、話もなんだかんだで好きだし、それに……」


 ここまで饒舌じょうぜつに語っていた日向だったが、急に言いよどんでしまった。


「どうした?」

「いや、何でも無いわ。ところで、先週の放送は見たの?」

「先週は見たぞ。序盤の話を上手く活かしてて面白かった。最近は終盤に向けて加速してる感じがして目が離せないな」

「そうね。正直一時はどうなるかと思ってたけど」


 最近の放送内容について話し出すと、今までは何だったのか、意外にも話が盛り上がっていった。

 それはなんと、「おまたせー」と楓たちが戻って来るまで続いたのである。


「遅いわよ楓。昼休みほとんど残ってないじゃない」

「ごめんね。先に食べてても良かったのに」


 言われてみれば、昼休みだというのに話に夢中でまだ一口も弁当を食べていなかった。

 スマホで時間を確認すると、まだ昼休みが終わるまで時間はあるものの、ゆっくり食べていては間に合わなさそうだった。


「何か盛り上がってたけど、何の話してたの?」

「秘密よ」

「えー。じゃあ佐藤くん教えてよ」


 日向は秘密だと即答した。もしかして楓には知られたくない趣味だったのだろうか。

 日向の方へ目を向けると、俺をじっと見つめていた。黙っておけと言う意味だろうか。


「じゃあ、俺も黙っておく」

「そんなー」


 無下に扱われる楓を見てか、日向の口元が緩んだ気がした。

 それに引きずられるように、俺も気がつけば笑っていた。


「もう……。まあでも、その様子なら遊園地の件は大丈夫そうだね」

「そうね……。ただし、条件があるわ」

「条件?」

「大した話じゃないわ。まあそう……当日話すわ」


 当日というのが遊園地へ行く日のことであれば、そのタイミングでは断る事が出来ないのではないいだろうか。

 何を頼まれるのか戦々恐々せんせんきょうきょうとしたが、ここまで来たら仕方がない。


「解った。無理難題じゃなければいいぞ」

「……どうかしらね」


 * * *


「なあ楓。日向の事なんだけどさ」


 放課後、楓と二人で帰ることになった。

 楓の計らいで日向とも打ち解けた……気がするのは良いが、気になることがあった。


「友葵ちゃんがどうしたの?」

「あいつ、鉄の処女アイアンメイデンとか一部で呼ばれてるらしいじゃん? 何か……キャラと違わないか?」


 確かに日向に対する第一印象はその名の通りだった。ただ、少し話せば全然そんなこともないただの……ただのオタクである。


「あーあれね。あの名前広めたの私なんだよね」

「……は? 何でまたそんなことを」

「まあ色々事情はあるんだけど、簡単に言えば男除けのためだよ」

「男除け?」


 その割に、俺のことを日向とのグループに引き入れ、あまつさえ仲を取り持ち一緒に遊園地へ誘うのは不可解だと思う。

 自分の幼なじみだから、というのは何か違う気もする。


「まあ結局は何人が告白しちゃうんだよね。でも友葵ちゃんあんなだし、みんな振られちゃうんだけど。鉄の処女は、中に入らなきゃ怪我しないのにね。……上手い名前付けたと思わない?」


 楓はそこまで言うとふふっと笑った。


「ホントは、ちょっと不器用なだけなんだけどね」

「でもなんて言うか、そんな日向とお前が仲良いのはちょっと意外なところないか?」

「そうかな? ……まあ、これも色々あるんだけど、その時になったら話すね」


 意味深な物言いだったのが気になり、もう少し追及しようかと思った。

 しかしそんな余地を残さないようにか、楓は「それよりも」と、次の話題に転換したのであった。

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