《1168円》
週が開けて月曜日。三時間目が終わった。
続く四時間目の科目を確認すると地理と日本史だった。
「そういえば次の授業、俺は日本史だけど
「俺は地理」
「私も地理だよ」
どうやら二人とは違う選択らしい。
次の時間、日本史はこの教室なのに対して、地理は別の教室への移動となる。
なので二人は俺の質問に答えた後、移動の準備を始めていた。
「離れ離れになるけど、また私のこと忘れたりしないでね」
昔のことを忘れていたことを揶揄するように、楓がおどけて言った。
「俺のことも忘れるなよー」
その事を理解してか、佐倉もそう言った後、楓と共に笑いながら教室を出て行った。
クラスの何人かも同じように教科書などを持って教室を出て行く。一方で残された俺たち日本史選択のうち何人かは、席を移動して仲の良いもの同士でまとまり始めた。
それから間もなく、日本史の教科書を持った生徒がこの教室にやって来た。
見慣れない顔ぶれの彼らは、隣の9組の生徒だろう。この選択授業は9組との合同だと聞いている。
「隣、いい?」
近くでそんな声がした。声の方を見ると、見覚えのある女子生徒の姿があった。
「確か……昼休みに楓と一緒にいる……」
「
「アベリア? そんな外国人みたいな名前だったのか」
「そうじゃない。阿部、梨愛」
彼女の話し方は
「それで、隣いい?」
「ああ、いいぞ」
別に隣同士で机がくっ付いているわけでもない。何なら前の席の方が距離感が近いくらいなので、わざわざ一言かけなくてもいいだろう。
そう思っていたのだが、なんと阿部は机を俺の方に向けて動かし始めたのである。
流石にその行動は目立つのか、教室中ではないにせよ、気づいた何人かがこちらに視線を向けている。
「何、どういうこと?」
「教科書がないから」
「忘れたのか」
「そう」
ならば仕方がない。今日くらいは──。
「注文を忘れた」
「嘘だろおい」
どうやら教科書を所持していないのではなく、所有していないらしい。
つまり下手すると毎回こうやって机をくっ付ける羽目になるというわけだ。
「というわけでよろしく」
「……仕方ないな」
やがてチャイムが鳴り、先生がやって来た。
「そこ、どうしたんだ?」
当たり前の事ではあるが、先生は俺たちの方を見て
「教科書を持ってない」
「そうか、次からは気をつけろよ」
言葉足らずな阿部の説明により単に持ってきていないだけと捉えたようで、そのまま授業が始まりそうになった。
「いや、先生こいつ日本史の教科書を買ってないらしいんですけど」
仕方がないので、俺がフォローする。もしかすると何か手立てがあるかもしれない。そうすれば毎回こうやって一緒に教科書を見る必要もないだろう。
「教科書なら購買でも買えるから、次回までに買ってきなさい」
先生はそう言うと授業を開始した。
とりあえず、こうして机をくっ付けるのは今日だけで済みそうだ。
* * *
四時間目の終わりを告げるチャイムが鳴った。
「行こ」
阿部はその一言だけを発すると立ち上がり、机も戻さず、また自分の荷物も持たずにこの場を去ろうとしていた。
「おい、ちょっと待てよ」
「早く」
俺の制止に聞く耳も持たないようで、それどころか俺を急かしてくる。どうやら彼女は俺も連れて行こうとしているらしい。
仕方がないので俺は阿部についていくことにした。
やって来たのは購買、らしい。と言うのも、ここに来るのは初めてだからだ。
そして彼女が急かした理由が何となく解った。購買が昼食を買いに来た生徒でごった返しているからだ。
とは言え流石に無秩序ではなく、行列を作って各々順番に並んでいる。なので俺たちもそれに
それから特に会話もないまましばらく待つと、俺たちの順番になった。
「日本史の教科書」
阿部の注文が予定外だったのか、おばちゃんは驚いたような顔を少し見せたが、すぐに教科書を取りに奥の方へ向かった。
「そういえばお金持ってない」
おばちゃんが戻ってくるのを待っていると、阿部がそう言った。
俺は思う。確信犯だと。もちろん、誤用の意味でだ。
でなければ、俺を連れてくる必要もないし、この支払いを目前としたタイミングで切り出すわけがない。
「仕方ないな。貸しだからな」
「やった。あとフルーツサンドも」
おばちゃんが教科書を取って戻ってくるや否や、阿部は追加で注文をした。
「いや、貸すだけだからな?」
「わかってる」
教科書とフルーツサンドの代金を俺が立て替え、俺たちは購買をあとにした。
そしてこのまま教室へ戻るつもりで阿部に付いていくと、多数のテーブルが並ぶ広い空間にやって来た。
どうやら教室に戻るわけではなさそうで、阿部はキョロキョロと辺りを見回していた。
ならここで別れて教室に戻るとしよう。そう思った矢先に「こっち」と阿部が指差して言った。
「お疲れー」
連れてこられた先で、楓がそう言った。
「……ねえ梨愛。何であの人まで居るのよ」
もちろん
「
そんな日向に対し、意外にも俺のことをフォローような言葉を阿部が口にした。
「教科書買ってくれた」
「いや、金貸しただけだからな!?」
「そうだった。これはお礼」
阿部はそう言うと、俺に何かを差し出してきた。見るとさっき買ったフルーツサンドだった。
再三言うが、これは俺が金を払って買ったものである。今のこの状態はお礼と言うより押し売りだ。
「借りは後でちゃんと返すから」
「……本当だな?」
「多分」
多少信用ならない気はしつつも、俺は彼女を信じるつもりでフルーツサンドを受け取った。
「じゃあ、俺は行くから」
「待って佐藤くん」
「佐藤くんの弁当持ってきてるから、一緒に食べようよ」
「「はぁ!?」」
俺、そして日向が
そんな俺たちをよそに、楓は勝手に俺の弁当箱を開けていた。
「おい」
「佐藤くんは私と一緒にご飯食べるの嫌?」
楓は上目遣いに言った。今の格好は男子で、実際の性別も男だと知っていても、少しその姿に心動かされるものがあった。
「日向が嫌がらないか?」
男嫌いだという日向にとって、俺の存在はよしとしないだろう。
悪いが彼女を出しにして、この場からは離れることにした。
「大丈夫だよね?」
「好きにしたら?」
「大丈夫だって」
決して好意的な返答ではなかったはずだが、楓はそれを前向きに受け取っていた。
俺としても、キッパリと断られるものと思っていただけに、その言葉を肯定として受け取ることにはあまり異論は無かった。
……まぁ、否定しても楓が押し切るだろうという諦めの気持ちを感じなかったわけでもないのだが。
「仕方ないな」
今日この言葉を使うのは何度目だろうか。
そう思いながら、空いていた椅子に腰を落とす。目の前にはすでに弁当が広げられていたので、その横にフルーツサンドを置き、まずは弁当を食べることにした。
* * *
「そうだ、佐藤くんはゴールデンウィーク暇?」
しばらく昨日のテレビの話で盛りがったあと、楓が訊ねてきた。
「今のところ」
「遊園地のチケットが四枚あって、四人で行こうと思ったんだけど一人都合が付かなくなっちゃって」
「あれ、
問いかけられた俺より先に反応したのは日向だった。
その口ぶりから、ここに居る三人、それともう一人紗理奈という子を含めた四人の予定だったのだろう。
「家の都合だって。それで、どうかな?」
「一応訊くけど、もしかしてこの四人でってことか?」
「そうだよ」
「いやぁ……それはちょっと……」
まだ大して仲が良いわけでもない、しかもうち一人からは未だ印象が悪いというこの状況で、二つ返事出来るわけがない。
「遠慮しなくていいよ。ダブルデートしようよ、ダブルデート」
「ダブルデートってお前……」
デートという言葉は基本的に男女が二人で出掛けることを指す。ダブルデートなら男二人女二人だ。
楓は自身が男であるという自覚はあると佐倉は言っていたが、なるほど確かにそうらしい。
「どういう組み合わせ?」
「そりゃ、私と佐藤くん、友葵ちゃんと梨愛ちゃんの組み合わせに決まってるでしょ」
……前言撤回。やはり楓の考えは解らなかった。
まあ、何にせよだ。
「他の二人が良しとしないなら、俺は行けないぞ」
「ダメよ」
即答だった。しかもさっきとは違って、さすがに拒否されてしまった。
もちろん日向に拒否されることは想定内で、そのつもりで言ってはみたものの、いざ言われてみると心に刺さる。
「私は構わない」
「じゃあ2対1で賛成多数となりましたー。参加と言うことで、これにて閉廷」
「「ちょっと!?」」
再び日向と声が重なった。さっきからお互い楓に振り回されていることに、少しだけ親近感が湧く。
「しょうがないなあ。じゃあ当時までに友葵ちゃんを説得する宿題ってことで」
「……解ったよ」
そう答えはしたが、俺は説得するつもりはなかった。もともと行く予定のなかった誘いである。説得してまで行く必要もない。
「失敗したらフルーツサンドを奢るものとする」
俺の考えを読んだかのように、今度は阿部が言った。少し痛い出費になるが、この際良いだろう。というか、もしかして阿部はフルーツサンドが好きなのだろうか。
「好きなときに、何度でも」
「流石にキツいわ」
こんな無茶な要求受け入れられるわけがない。
「ペナルティに対して対価無くないか?」
「美少女3人侍らせて遊べるんだよ?」
確かに目の前にいるのは読者モデルにクラスの美少女、阿部だって二人には決して劣っていない、お世辞抜きに美少女3人組だろう。
が、しかしだ。
「都合の良いときだけ女子になろうとするな」
悲しいかな、楓は男だ。……多分。
そう考えると、俺はあまり楓たちの事をよく知らないなと思う。
再会してまだ日が浅いから仕方がないのだが、なまじ向こうが覚えているためか距離感というか、温度感が違うのも少し気になってはいた。
「まあ解った、善処はする。一応言っておくけど、別に美少女3人とかはどうでも良いからな」
「またまたー。恥ずかしがることはないよ」
「違うっての」
行くことに決めたのは、楓たちの事を知る良い機会になる気がしたからだ。
ただ、そんなことは楓の言うとおり、恥ずかしくて言えなかった。
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