第1章-1
《出会い》
ここは夕暮れの公園。ブランコに乗る二人の子どもの姿だけがある。
二人はブランコを漕ぐわけでもなく、ただ座り込むだけだった。
「ねえ、
二人のうちの一方、女の子の方がしばらくの沈黙を破った。
「……なに? ────」
もう一人、男の子の方がそれに応える。多分女の子の名前を呼んだのかもしれないが、まるでノイズがかかったかのようで、聞き取れなかった。
「いつか大きくなって、また会えたら──」
女の子が言いかけているところで、景色がどんどん遠のいていく。
ああ、これは──。
* * *
次に飛び込んできた景色は、いまだ見慣れない、自室の天井だった。
夢、か……。
窓から光がさしているので、朝だと判った。時計を見ると、アラームを設定した時間の五分前だった。
二度寝をしたいところだったが、今日は始業式後。というか転校初日だ、寝坊して遅刻するわけにはいかない。
仕方が無いので二度寝は諦めてアラームを解除した。
夢に見たのは幼い頃の自分の姿……だと思う。
曖昧な言い方なのは、幼い頃の記憶が曖昧になっているからだ。
ただ時折こうして、思い出すかのように幼い頃のことを夢に見る。
もちろんそれが、現実にあった記憶の再生なのか、脳の作り出した
* * *
さて、あれから準備を終えた後家を出て、転校初日の登校である。
技術の進歩とはめざましく、初めて通る道ではあるが、地図アプリを頼りに迷うことなく学校まで向かうことが出来ている。
スマホがなかった時代には、一体どうやって見知らぬ学校まで行くことが出来たのか、とても疑問である。
そう思いながらスマホに目をやった時のことだ。左側から何かがぶつかってきたような感触がした。
「うわっ」
「うおっ」
突然のことに俺はバランスを崩し、その場に倒れ込んでしまった。刹那、俺の上に何かがのしかかる。
軽くではあるが頭も打ったせいか、なんとなく目の前がぼやけた感じで、それが何かは判らなかった。
「痛ぇ……」
その何かと道路とでサンドイッチになってしまっているので、ひとまず体の上にあるそれを押しのけようと、手を突き出した。
それは柔らかく、そして重たい。
徐々に目の前の光景について、ぼんやりとしていた頭が認識していく。
全身にのしかかるそれは人。
すぐ近くに見えるは、その顔。血色は良いが、少し赤くも見える。
どう見ても女子。同い年くらいの。
あ、結構可愛い……か……も!?
「うん!?」
視界が、思考がはっきりとして、今置かれている状況について理解する。
黒髪ロングの美少女が俺に覆い被さっているということを。
そして俺の手が、そんな彼女の胸を鷲掴みしていることを。
「ッッッッ!!!!」
彼女は声にならない声を上げると、自ら立ち上がった。そして俺のことを一瞥し、走り去ってしまう。
こうして倒れたままの俺と、心なしか手のひらに残り続ける感触だけがこの場に残されるのであった。
* * *
その後なんとか学校まで来ることが出来た。
職員室で簡単な説明を受けた後、先生とともに教室へ向かう。ちなみにこの先生は、別に担任ではなく、今日赴任する先生が担任となるため、朝だけの代理だという。
たどり着いた教室は2年10組。説明によると、文系を選択した生徒が集まるクラスらしい。教室の中からは少なからず話し声が聞こえている。
先生が教室のドアを開けて中に入るので、俺もその後に付いていくように教室へと足を踏み入れた。心なしか、話し声がさっきより増したような気がする。
「はい、静かにねー。座って座って」
先生が教室に入りそう言うと、徐々に話し声は静まっていき、皆自分の席に着いていく。
俺は先生の後について行き、そして教卓の隣から皆の方を向いた。
真っ先に解ったのが、このクラスは中央から窓側が男子、廊下側が女子ときれいに二分されているということだった。
そして女子の制服が、先ほどぶつかった女子と同じであることに気づいた。
同時に、登校中にぶつかった相手が転校生、なんてベタなラブコメのようなシチュエーションが頭をよぎる。もしかして、という思いから、女子の方を見渡してみた。
「彼は転校生の佐藤拓真くん。自己紹介は……まあ後でやると思うから」
見回しているうちに俺の紹介が終わった。というか、名前だけの簡単な紹介だった。
ちなみに見回した結果はというと、彼女の姿はなかった。
「君の席はあそこね」
そう言って指し示された先には2つの空席があった。一番窓側の一番後ろの席と、その右隣である。
「どっちですか?」
「ん? あー、窓側の方ね」
そう言われ、俺は席についた。
「じゃあ、早速だけどこの後始業式だから移動してね」
席に着いたのもつかの間、すぐに移動となった。ただそう言われても、どこへ行けばいいのかは判らない。
「なあ転校生。えっと確か、佐藤でよかったか?」
誰かについて行けばいいかと考えていたところ、誰かが声をかけてきた。
声の主は正面、一つ前の席に座っていた男子生徒である。
「あぁ。佐藤拓真だ」
「俺は
「おぉ、めちゃくちゃ助かる」
俺は佐倉とともに、始業式が行われる講堂へと向かうこととなった。
道中話を聞くに、佐倉もまた、去年この学校に転校してきたということを聞かされた。本人曰く先輩転校生とのことで、偶然席が後ろだったこともあって声をかけたとのことだ。
* * *
始業式自体は何事もなく終わった。もちろん理事長の話は少し長かったが、もはや当たり前の光景である。
どちらかというと特筆すべきは着任式である。この椿本学園へと今年やってきたのは俺だけではない。今年着任の先生もまた、ある意味俺と同じ転校生とも言えよう。
ただその中に、この学校と同じ、そして理事長とも同じ『
そして教室に戻ってホームルームが始まるのだが、ここで現れた担任というのが、その椿本先生なのであった。
「今年一年このクラスの担任になる椿本だ。着任式の際にも紹介があったと思うが、俺は理事長の息子だ。やがてはこの学校の理事長になるだろう。ゴマを擦っておいて損はないぞ」
何という自己紹介だ。教師にあるまじきその言葉だけで、この先生の人間性が垣間見えた気がしてならなかった。
「じゃあ次はお前らの自己紹介な。出席番号順によろしく」
俺が座る席の先頭にいる男子生徒が立ち上がり、彼は安藤と名乗った。そこから自己紹介が始まっていく。
新学年だから当然ではあるが、この席は出席番号順らしい。確かに一つ前が佐倉で自分が佐藤なことからも十分予想できたことだ。
そして一番窓側であることから、俺の順番はすぐに回ってきた。佐倉が自己紹介を終えたので、俺は立ち上がった。
「佐藤拓真です。この春こっちに引っ越してきたばっかりで知り合いも全然いないので、仲良くしてくれるとうれしいです」
差し障りのない自己紹介であるが、大体みんなこんな感じである。
その後右隣の列に順番が移り、自己紹介が進んでいく。そしてしばらく滞りなく進んでいたが、あるとき途中で止まってしまった。そう、次は俺の右隣の番になったからだ。しかし始業式後の今も依然そこは空席である。
「そこの空席は穂積だな。今日は休みらしいが、明日来るそうだ。次、松田」
隣の席は穂積というらしい。新学期初日から欠席しているのは気になったが、明日来るということなら不登校だとかそういうことは気にしなくてよさそうだ。
その後も自己紹介は続いていくが、特に新しい発見もなかった。強いて言うなら、男子の自己紹介が終わり、後半女子の番になったら再び名前が『ア行』から始まったことくらいだろう。なぜか出席番号は男女別で設定されているらしい。
* * *
放課後、しばらく佐倉を含めた何人かと話し、連絡先を交換した。
話しの中で試しに穂積について訊いてみると、『どうせだから明日紹介するわ。あれも持ってくる』などと言うだけだった。
あれ、とは何か聞いてみたが、明日のお楽しみだとはぐらかされてしまった。
そんな佐倉たちとは帰る方向が違うようで、学校から少ししたところで分かれ、一人帰路についた。今朝来た道を思い出しながら、その逆順をたどっていく。
「あれ、拓真くん?」
家まであと少し、というところに差し掛かったとき、誰かに声をかけられた。声のした方向に視線を向けると、俺と同じくらいの女子の姿があった。
いや、ただの女子じゃない。少し茶色がかっていながらも、胸の上辺りまできれいに伸びる髪。その先にある胸は少し貧相ながら、その下のデニムスカートからは、白く細長い足が伸びている。
今朝ぶつかった子がクラスの美少女だとすると、もう一ランク上の存在であると思える。
「拓真くんだよね?」
彼女に見とれていたことはもちろん、自分に向けられた声ではないのではという疑心から何も答えずにいると、彼女はもう一度問いかけてきた。
周りには他に誰もない。俺に向けて言っていること、そして俺のことを知った上で声をかけてきたことは明白だった。
「そうだけど……ごめん、誰?」
「あれ? あー、この格好じゃわかんないかな?
「幼……なじみ……」
幼なじみ、と言われても、いまいち俺にはピンとこなかった。
この町に引っ越してきたのはつい数日前のことではあるが、実を言うと俺は以前にもこの町、しかも今と同じ家に住んでいた。
なのでちょうど今いる場所が家の近くである以上、昔の知り合いに出会うことは何もおかしくはない。
ただ俺は、この町に住んでいたときのことを殆ど忘れてしまっていた。だから、目の前の彼女が誰なのか解らず、何も応えられずにいた。
「その制服、拓真くんも椿本だったんだね」
俺の動揺を知ってか知らずか、彼女は俺に話し続けてくる。
「あ、あぁ。そうだけど……。『も』ってことは」
「私も一緒だよ、椿本。そっかぁ、じゃあ、明日からよろしくね」
「お、おう」
取り繕うように返事だけしてはみたものの、同じ学校だという彼女とは今後も何度か顔を合わせることなるだろう。
やはりここは正直に覚えていないことを話すべきだろう。
「おっと、そういえば急いでるんだった。また明日ね」
本当のことを言おうとした矢先、彼女の方から先に切り出してきた。
急いでいるのなら、引き留めるのは悪いだろう。そんないいわけを自分にしながら、問題を先送りにすることにした。
「あぁ、じゃぁな」
別れを告げると、彼女は俺の来た方向へと去って行った。
残された俺はと言うと、嵐が通り去ったような気分でしばらくその場に立ちすくんだが、やがてすぐ近くの家へと歩を進めた。
* * *
この日のこうした出会いが、あの日に向かって、そしてそこから先への、すべての始まりであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます