5.デイジーには負けないから!
「すみません――チャーリー。偏向エンジンの制御部分なんですけれど。この回路を経由して、この回路から命令を通して、この部分に信号を送ればいいんですよね?」
「ええと……いや、確かにそれでも信号は送れるしスムーズなんだけれど、それだと安全装置が半端に入ってアフターバーナーがとっさに使えなくなったりするから――だから、回路はこっちを経由してこっちを通した方が安定して信号が入るかも」
「ぐっど! 成る程です!」
いつもの共有スペース。
机の上で互いに書類を付き合わせながら、私とチャーリーはああでもない、こうでもない、と議論を戦わせる。まあ、議論というか、私が一方的にチャーリーに質問しているような形ではあるのだが。
と。
「……何だおい。なんか気合い入ってるな」
そう言いながらやってきたのはブロンクスで、その後ろからアリスもとことことやってきて、言う。
「二人で勉強?」
「そうです! 私は心を入れ替えました! りーにゅーある! 今日から真面目にやります! 見ていて下さい私は変わりますよ! べりべりぐっどになるんです!」
「そ、そうか――」
と、ブロンクスは私の勢いに若干気圧されたようだったが、ちょっと視線を逸らして頬を掻きながら、
「――ま、お前がドロップアウトしないで良かったよ。騒がしいのが一人いると、退屈しないからな」
「ほうほうほう――ブロンクス、それはツンデレという奴ですか?」
「うるせえ!」
ブロンクスは顔に真っ赤なエフェクトを発生させ、どん、とソファに腰を下ろす。
アリスも、とん、とソファに座りながら、いつもののほほんとした笑みで言った。
「それで、今、何を勉強してるの?」
「エンジンの制御系についてです。とにかくエンジンをちゃんと掛けられないとお話になりませんからね」
「ん――」
と、一瞬、アリスは眉を潜めてから、
「おおまかな原理を理解しておけば――とか、そんな理由なのかな? 見せてー」
「あ、これ駄目です! 機密です! 見たかったらちゃんと申請して、自分の分をもらってきて下さい!」
「けちー」
アリスは頬を膨らませるが、流石に無理に見ようとはしない。
しかしまあせっかくなので、私は彼女にちょっと聞いてみる。
「アリス。貴女ならたぶんわかると思うので、ちょっと聞きたいんですが」
「何ー?」
「エンジン制御調整と三軸制御への命令ってそれぞれどういう経路で通してますか? ほら、テイクオフのときとか、管制から受け取った気象データを元に全部一気に調整するでしょう? あのときとか、正直、処理がごっちゃごちゃになってまともに動かせる気がしないんですよ。チャーリーにも聞いてみたんですけれど、まだちょっと研究中みたいで。でも、アリスは離陸をスマートにできるみたいですし、その辺のやり方についてちょっと教えてもらいたいんですけれど――アリス?」
話の途中で、ぎょっ、として思わず私は呼びかける。
アリスの顔から、すとん、と笑みが消えていたから。
「ねえ、デイジー――」
アリスが言う。
「――何の話してるの?」
「……わっつ?」
思わぬアリスの返答に、私は困惑する。
何だ、私はそんなに的外れなことを言ったのか。
「えっと、その……ですから、エンジンと三軸制御への命令を出すときの回路って、基本は航空管制RAIの領分ですから、大体、一緒の場所にあるじゃないですか? その先の、エンジン制御系と三軸系もやっぱり専門のRAIがいるから、一本化されてますし。でも、自分で制御するときは、回路が一緒だとちょっと混乱しちゃいますから、さっきの偏向エンジン回路と同じで、別経路の方が安定するんじゃないかと思いまして――」
「ちょっと待って。もしかして――」
アリスがこちらの言葉を遮り、笑みの消えたままの硬い表情で私に言う。
「――RAI、使ってないの?」
……。
……。
……わっつ?
「えっと……使ってないですが……」
「――はあっ!?」
と、横合いからブロンクスが身を乗り出して叫ぶ。
「RAI使ってないって、お前あれか!? 統合管理RAIに丸投げしないとかじゃなくて、機体制御全部丸ごとRAI使わねえで自力でやろうとしてるってことか!?」
「ええと……まあ、そうですが……」
「お前馬鹿だろ!? そんなんじゃ飛べるわけねえだろ!?」
「でもでも、チャーリーは飛んでますよ」
「はあっ!?」
と、ブロンクスの叫びが今度はチャーリーに向かう。
「おまっ――チャーリー、そ、それでどうやって飛んでるんだお前!?」
「えっと……というか、だから、上手く飛べないんだけど……」
「当たり前だボケ! 何でお前そんな変態じみた飛び方してんだ!?」
「最初の時点で、システムを一から十まで把握しておいた方が良いと思ったんだ。RAI任せにするにしても、システム構造を知ってるのと知らないのとじゃ作業効率がまるで変わってくるから。僕たちの演算リソースは有限なわけだから、癖が付く前に可能な限り処理の短縮をしておけば、ターミナルを操作する段階になったときに余裕ができるはずだから」
「何じゃそりゃお前アホかパイロットじゃなくて整備員か技術員になってこいっ!」
「……デイジーは」
それまで黙っていたアリスが、私に尋ねてくる。
「チャーリーが、そうするのは、何となくわかるけれど――デイジーは、どうして、そんなことしてるの?」
その言葉に、ブロンクスが私を見る、チャーリーも私を見る。
「い、いえ――私は、その、ただ……」
三人に見られ、どぎまぎしながら言う。
「……戦闘機のパイロットになりたくて」
「いや……私たちにとってそれは当然だけど……えっと、どういう意味?」
と、戸惑った顔をするアリスに、私はしどろもどろになりながら、言う。
「その……戦闘機のパイロットというのは、私にとっては有人戦闘機の人間の方々で……それはずっと続いてきたもので……でも、もしRAIで済ませてしまうと、その部分で使われていた人間の技術はそのまま消えて無くなってしまうわけで……それはたぶん悲しいことで……だから、それを少しでも取りこぼさないようにしなくちゃって思って……だから、可能な限りRAI経由でなく自力で動かせれば、そうすれば、人間の技術もほんの少しでも再現できるかって……そうすれば……」
自分でも若干支離滅裂になっているな、と思う言葉を、ぽつぽつと途切れ途切れにつぶやきながら、必死で言語ライブラリを探りに探っていると、
ソウザキ少佐の操縦する訓練機のことが。
ソウザキ少佐のマイヤー少佐への言葉が。
それらの記録が思考領域に、言語ライブラリと組み合わさって、
「私は」
かちん、と。
言葉が明確な形に組み上がった。
「ソウザキ少佐たちの技術を……有人機のパイロットの方々がずっとずっと受け継いで磨いて来た技術を、受け継ぎたいんです。そのためには、RAIじゃなく自力で機体を制御できた方が良いんです――だから、つまり、私は」
言葉を告げる。
「人類の方々の後継者として――戦闘機のパイロットになりたいんです」
がたん、と。
姿勢制御の乱れから来る音を立てて、アリスがソファから立ち上がった。
驚いて見上げる私たちに、アリスが言う。
「……私、貸出の申請してくる」
「い、今からですか? さすがに今の時間はもう受付はしてないと――」
「してくるのっ!」
と、こちらの言葉なんか聞きもせずに叫ぶアリスは、エフェクトで顔を真っ赤に染めていて、頬を膨らませ、ぷるぷると身体を震わせていて。
私は不意に思い出す。
まだ私たちが製造されたばかりのこと。
生まれたばかりのアリスは、鈍くさくてよく転ぶような娘で。
でも、その度に、アリスは今と同じように顔を真っ赤にして。
私に向かってこう言っていたのだった。
「私――デイジーには負けないからっ!」
そう叫んで、アリスは駆け出し――直後、姿勢制御をミスって、べちんっ、と一回転んでから――共有スペースから出て行く。
それを見送って。
しばし私たち三人は呆然とし――戸惑ったように、ブロンクスが声を上げる。
「な――何だよ、アリスの奴。何をどうやったところで人間とHAIとじゃ全然違うんだから、別にRAI任せにしたって――」
と、そこまで言ってから。
ブロンクスはこめかみに指を当て、あー、うー、と呻いてから、私を見た。
「いや……お前の言う通りだ、デイジー」
照れくさそうにそっぽを向いて、言う。
「ありがとな――俺も申請してくるわ」
そう言って立ち上がり、ブロンクスが部屋を出て行くのを、私は見送って、
「……そうだよね。デイジー」
向かい側に座ったチャーリーが微笑む。
「マイヤー少佐たちやソウザキ少佐がそうであるように――僕たちだって、そのためにここにいる。その通りだ。デイジー」
「……」
そのチャーリーの笑みが、ブロンクスの「ありがとな」が、アリスの「デイジーには負けないからっ!」が――私には、何だかひどく、くすぐったく思えて。
だから、きっと。
私の頬も、真っ赤な色になっていて。
それを隠すために、私は設計図に顔を埋めるようにして、黙々と勉強をし続けた。
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