4.四人と四機がここにいる理由
二時間ほど飛び続けた後、少佐と彼が操縦する機体は滑走路へと着陸した。
少佐が操縦し、機体はそれに答えてみせる。
するりと滑走路に脚を付け、地面へと重量を預け、緩やかに減速――そして停止。
アリスと同じ。
いや、間違いなくそれ以上に完璧な着陸だ。
コックピットから降りるなり、少佐はヘルメットを脱ぎ、首を鳴らして伸びをし、
「あー、くそ。やっぱ少し鈍ってんな」
などと平然と言ってのける。
私もヘルメットを脱いで、一端小脇に抱え、リボンで髪を結び直す。そうしながら、少佐の背中を見る。
この人が、と。
私はソウザキ少佐のことを思う。
もし、これだけの技量を持っている彼が、有人戦闘機に乗ったとしたら、たかだかRAIによるプログラムで飛んでいるだけのターミナル如きが、本当に相手になるのだろうか。
自分たちのようなHAIは、本当に、彼らの代わりになり得るのだろうか。
それとも少佐だけが特別なのだろうか。
エース・パイロット。
それは、こういった存在なのだろうか。
「ソウザキ少佐、」
そう呼びかけたとき――
「ふざけるなよAIっ!」
聞こえたのは、怒鳴り声。
何かが倒れる音。
そしてチャーリーの悲鳴。
見る。
格納庫の近くにマイヤー少佐が立っていて――その足下に倒れている、パーソナルボディのチャーリー。
「チャーリー!」
私は何かを演算するより先に、チャーリーとマイヤー少佐の間に割って入った。
「やめて下さい!」
「また貴様か――どけ」
「ま、マイヤー少佐――正当な理由なく私たちHAI傷つけることは、許されていません。法律でそう、定められています……!」
殴られたのだと思って私はそう言ったが、
「ま、待ってデイジー……違う」
背後でチャーリーが慌てたように言う。
「違うんだよ。その……怒られた拍子に、僕が姿勢制御を間違えて転んだだけ」
嘘かもしれない、と思ったが、確かにチャーリーの頬には殴られたような痕は無かった。他の部分を殴られたとか、突き飛ばされるとかしたのでは、とも思ったが、チャーリーの表情を見る限りそういうわけでもなく、本当に転んだだけらしい。
少しほっとした――ところで、マイヤー少佐がチャーリーを見て、吐き捨てるような言葉を吐く。
「歩くこともろくにできないか。欠陥品が」
「ちゃ……チャーリーは欠陥品なんかじゃないです! チャーリーの優秀さは、基礎訓練での評価書を見ればわかります! 私はそう言われたって仕方が無いかもしれません――けど、チャーリーは違うんです!」
思わず言い返した私の言葉に。
一瞬。
ぐっ、と言葉に詰まったようにマイヤー少佐が唸り、それから苦々しい声で言う。
「……それを決めるのは私たち人間だ。貴様のようなAIではない」
「どうして、そんなことを言うんですか?」
「何だと?」
「どうして、そんなにチャーリーを――私たちを、嫌うんですか?」
言った直後。
それが、地雷であることに私は気づいた。
遅すぎたが。
「どうして、だと?」
マイヤー少佐が、絞り出すような声で言う。
「どうして、と聞いたか……AIめ……!」
ぎろり、と。
マイヤー少佐の視線に怒りが込もり、私は思わず悲鳴を上げて後ずさる。
「ふざけるな。貴様らのような連中が――」
「おーい、マイヤー少佐」
と、そこでソウザキ少佐が私をその場からずい、と押しのけた。
のんびりと口を出す。
「ちょっと頭に血が昇り過ぎてんぞ。ちょっと落ち着け。煙草でも吸ってこいよ」
「私は吸わん」
「そうか――実は俺もだ」
「……これは私と私の担当しているAIとの問題だ。部外者は黙っていろ」
「アホ。どう考えたって俺は部内者だろが。あんただって本当はわかってんだろ。RAIと違ってHAIは一品物だ。人間と同じで個々の性質に差があるのは仕方ないし、そうでなけりゃHAIを使う意味がねえ。その違いを加味して教育してくのがあんたの仕事だろが」
「黙れ。まぐれでエースになっただけの、教養も知性もろくにないごろつき風情が」
その言葉に、私の感情マップが真っ赤に染まった。――ソウザキ少佐を馬鹿にされたことに対する怒りの反応。
が。
「まあ、そうかもな」
と、ソウザキ少佐は特に怒るでもなくそう言って、その態度に私の感情マップの赤色は虚を突かれて消滅し、私の感情マップが真っ白に染まって宙ぶらりんになる。
「マイヤー少佐。あんたの腕も評判も俺は知ってる。ここに来る前にいた部隊でターミナルとの遭遇戦に出くわしたとき、とっさにプログラムの弱点を突いた戦術を駆使して、敵ターミナルを壊滅させた。撃墜数は二。エース認定される数じゃなかったが、けれども僚機を一機も落とさせなかった――俺とは違って」
マイヤー少佐はその言葉に、一瞬、毒気を抜かれたような顔をしたが。
ソウザキ少佐は、そこで――
「だから、こんな間抜けな真似をすんな。あんたの名誉に傷が付く」
――火を付けて、爆発させた。
「貴様に私の何が分かる!」
言葉と共に。
拳が振るわれ、ソウザキ少佐の身体が倒れ、私の喉が反射機能で悲鳴を上げる。
が、ソウザキ少佐は特に動じる様子もなく殴られた頬を抑えながら立ち上がり、
「あんたのことなんか分かるかよ。ただ、ムカつくだけだ」
「何だと」
「あんたほどの男が、HAIに対して、嫉妬してることが」
もう一度。
拳が振るわれ、ソウザキ少佐が地面に転がる。
「当然だろう!」
と、マイヤー少佐が叫ぶ。
ほとんど絶叫じみた声で。
「空は私たち人間のものだ! 何故、AIなんぞに渡さなければならない!?」
「そりゃ人間よりも優秀だからだろ」
ソウザキ少佐のその言葉に。
その場で一番ショックを受けたのは、たぶん、私だったと思う。だって少佐は、あれほどの操縦技術を持っているのだ。
なのに、その少佐がそんなことを当たり前みたいにそう言ってのけたことが。
もうすでに、AIに勝つことを諦めているという事実が。
その原因が、自分たちであるということが。
ひどく悲しかった。
ソウザキ少佐が、続ける。
「一度覚えてしまえば、機体の操縦は極めて正確。Gの影響も受けずらい。情報の処理能力も人間よりも遙かに上。撃墜されてもブラックボックスに退避できるから、まず死なない。仮にブラックボックスが回収できなかったとしても、バックアップから復帰できる――何をどう考えても人間より上だ」
「そんなもので、納得できるか!」
支離滅裂な言葉――そんなことは、マイヤー少佐にだって分かっているのだろう。
けれども、私はその瞬間、マイヤー少佐とたぶん同じ思いだった。
ソウザキ少佐に、納得なんてしてもらいたくなかった。
私たちが飛べるようになる、ということは。
人類のパイロットを否定することなのだということを。
ソウザキ少佐に、否定してもらいたかった。
マイヤー少佐が叫ぶ。
「貴様だってそうじゃないのか!」
「違うね」
あっさりと。
驚くほどあっさり、ソウザキ少佐が言う。
マイヤー少佐の顔が赤くなるのを通り越して白くなった。
かすれるような声で告げる。
「――正気か。貴様」
正気でなくなっているのは、マイヤー少佐の方だと、そんな真っ当だが何一つこの状況の意味を理解していない言葉を吐ける奴は、この場にはいない。
「そこの小娘の姿をしたHAIに欲情でもしたか――変態性癖のジャップめ。そんなものはただの機械だ。心なんぞないぞ」
予想外なところから飛んできた暴言。
後から分析するに、たぶん、その言葉に私はそれほど傷つかなかっただろうと思う。そのときの私は、マイヤー少佐の方に共感していたから――それでも少しは傷ついたかもしれない。たぶん、眉をひそめるくらいには。
何にせよ、その言葉に対して、私の感情マップが何らかの反応を起こすより先に。
ソウザキ少佐がマイヤー少佐を殴った。
マイヤー少佐の身体が吹っ飛ばされた。
ソウザキ少佐が彼に対し静かに告げる。
「てめえの喧嘩の相手は俺だろ――よそ見すんな。俺を見ろ」
直後、起き上がったマイヤー少佐が殴り返し、ソウザキ少佐が殴り返し、お互いにもつれ合うようにして殴り合って――そのまま、滅茶苦茶な取っ組み合いになった。
「いい大人が本音で喋ってんじゃねえよ! てめえも軍人らしく、はいはいわかりましたわかりましたって本心隠して首を縦に振るぐらいはしたらどうだおらぁっ!」
「くそジャップ! そう言わずお前も本音を言ったらどうだ!」
「ああん!?」
「お前だってパイロットなら――それも、エースになったほどの腕前のパイロットなら私と同じはずだ! 悔しいはずだ! AIなんぞに負けて!」
「悔しいわけねえだろうが! 俺の方がAIより絶対上手く戦闘機飛ばせるからな! ただまあちょっと軍の都合でお払い箱にされただけでな!」
「だからこそだ! 私たちパイロットの技術は、AIなんぞに負けない! 私たち人類のパイロットが積み重ねてきた経験は、技術は――AIなんぞに容易く真似られるような薄っぺらいものじゃないはずだ!」
「当ったり前だ! そう簡単に真似られてたまっかよ! 人類なめんな!」
「だったらなぜ――」
「なぜだぁ? よく考えろ!」
マイヤー少佐の鼻面に拳を一発叩き込みつつ、ソウザキ少佐が叫んだ。
「だから! 今、俺たちは、こいつらに飛び方を教えてるんだろうが!」
マイヤー少佐が動きを止めた。
その胸ぐらを掴んでソウザキ少佐が叫ぶ。
それを、私は見る。
彼の言葉を、私は聞く。
「俺たちが今ここでこいつらに教えてるのは、人類のパイロットが積み上げてきた技術だ! その全部を引き継がせるために――人類のパイロットの技術の全部を、無かったことになんてさせないために、俺たちはここにいるんだ! 違うか!」
そこまで言って息が続かなくなったらしい。
ソウザキ少佐はげほごほと咳き込み、それから、言った。
「おい分かるだろ――マイヤー少佐」
「ああ――そうだな。ソウザキ少佐」
マイヤー少佐が言う。
静かな声だった。
今までの、常にぴりぴりしていたような声とは違う。
憑きものが落ちたような――たぶん彼の本来の、落ち着いた、静かな声。
「非礼を詫びさせてくれ――君はエースにふさわしい尊敬に値する人物だ」
「要らねえよ気持ち悪ぃ。そんなもんより、他に謝る連中がいるだろうが」
「……そうだな」
マイヤー少佐が、私の方を向いて、言う。
「すまなかった。下品な言葉を口にした」
どう反応すべきか迷い、私は言葉に詰まる私の様子を見て、マイヤー少佐は目を閉じて言う。
「――心がないのは、私の方だった」
それから、マイヤー少佐は立ち上がり、チャーリーに向き直る。
顔を上げるチャーリーに、マイヤー少佐は歩み寄る。
「チャーリー。今度こそ君に、ちゃんと私の――私たち人類の技術の全てを教えさせてもらいたい」
そして頭を下げて、言う。
「頼む――もう一度、私と一緒に、空を飛んでくれ」
その言葉に、チャーリーが言った。
「頭を――頭を、上げて下さい。少佐」
その言葉に従うマイヤー少佐に。
チャーリーは立ち上がり、気弱な顔にまるで似合わない敬礼をして、こう言った。
「僕の方こそ――どうか、これからもよろしくお願いします。マイヤー少佐」
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