2.四人のパイロット

「ソウザキ少佐ー。どこですかー」


 部屋に姿が見えなかったため、そう呼びかけながらソウザキ少佐を探し回った結果、共有スペースで見つけた。

 ソウザキ少佐は年上の女性と話をしていて、さすがにパイロットだけあって呼吸をするように女性を口説くのだな、と一瞬思ったが、近寄って見ると相手は見覚えのある女性であり、そういう浮いた話でないことはすぐにわかった。


「おう、デイジー。いいところに来た」


 そう言って、彼は私を示し、相手の女性に紹介する。


「こいつが俺の担当してる四番機の訓練生です。名前はデイジー」


 それから、私に相手の女性を紹介する。


「デイジー。お前も知ってるだろうが、こちらの方がハンナ・ロスマン少佐だ。二番機のブロンクスを担当してるパイロット――ほら、挨拶しろ」


「――よ、よろしくお願いします」


 と、私は挨拶をする。

 微妙にどもってしまったのは、こちらに視線を移したロスマン少佐が何と言うかその、怖かったからだ。


 妙齢の、ダークブロンドの髪が綺麗な美人さんだが、目が怖い。ソウザキ少佐のような荒っぽい目付きとはまた違い、鋭く尖った氷を連想させる怖さ。

 わかりやすく言うと、こう、クールビューティな鬼教官という感じ。……うん。やはり踏まれたいと思う男性は多いと思う。私は男ではないし、そういった趣味もないので、普通に怖い。


「ハンナ・ロスマンだ。こちらこそよろしく頼む」


 そう応じるロスマン少佐の言葉はこちらの第一印象を裏切らない、冷静で沈着な感じで、私は緊張して姿勢制御系の処理が重くなる。

 が、次の瞬間、ロスマン少佐はその怜悧な相貌を微かに緩めた。冬の日差しを連想させる穏やかな笑みを浮かべて、


「そうか。君がデイジーか」


 と、ひどく優しい声で言う。

 最初の印象よりも随分と柔らかな、その笑みとその声に、私は少なからず驚く。


「ブロンクスが君を気に掛けていた。彼にとっては出来の悪い妹みたいなもんだと」

「出来の悪い、はちょっとひどいです」


 と、とっさにそんな言葉を返してしまったのは、その、何と言うか、単純に照れくさかったからだ。ブロンクスのおせっかい焼きめ、と心の中で文句を言っておく。

 初対面の相手に対して言うには、割と失礼な言葉だったかもしれないが、ロスマン少佐は怒るでもなく軽く微笑み、私はロスマン少佐に対する印象をちょっと改める。


 思っていたほど怖い人ではないようだった。考えてみれば、人間の女性の軍人で、パイロットで、それもこのご時世で有人戦闘機に乗っているとなれば、それは険しい道とかもうそういうレベルではないわけだし、そりゃあ外面も厳しくなって当然なのかもしれない。


「その……貴女から見て、ブロンクスは?」

「彼は良い生徒だよ」


 と、彼女は言う。


「飛び抜けて優秀というわけではないが、その分、私の教えることをねじ曲げることなく、正確に受け取ってくれている。これから先、君たちが私たちの代わりを務めるというなら――彼のようなパイロットがいてくれれば、心強い」

「……そうですか」


 ブロンクスの言葉を思い出す。彼の、彼女に対する評価も似たようなものだった。

 なかなか良い相性の二人だな、と私はちょっとうらやましく思う。

 しばらく三人で会話をした後で、ソウザキ少佐が言う。


「そんじゃ、デイジー。良い機会だし、今日は他のパイロットのところにも挨拶回りしてくるか。行くぞ」


 共有スペースを出て行くソウザキ少佐。それを追いかけようとしたところで、


「あ……っ、ちょっと待ってくれ。デイジー。君個人に、その……用事が」

「あ、はい。――ソウザキ少佐、ちょっと先に行っていてくださいー」

「先に行ってるから、ちゃんと来いよー」


 と言ってソウザキ少佐が去っていった後、


「それで、私に何の用でしょうか?」

「うん、えっと、そのだね……」

「もしかして、空戦での必殺技でも伝授して下さるので!?」

「空戦に必殺技なんてないよ――少なくとも、私はそういうパイロットじゃない」


 そう言ってちょっと笑い、それから、咳払いを一つして、


「えっと、君に言いたいのはだね……その、プライベートなことなんだけれど……」

「あ、ソウザキ少佐に惚れでもしましたか? 応援しますよー」

「そうじゃなくて、その――」


 ロスマン少佐は私から視線を背け、ぽつり、と消え入りそうな声で言う。


「その――頭、撫でてもいいかな?」

「わっつ? 別にいいですよ?」

「じゃ、じゃあ、ちょっと失礼――」


 おっかなびっくりといった様子で私の頭をぽむ、となでるロスマン少佐



 ぽむっ――ぽむぽむぽむぽむっ。



 と、私をひたすら撫で続けながら、顔を真っ赤にして、


「その、すまない――あんまり可愛いから、我慢できなくて、つい……」


 と、恥ずかしげに言ってくるロスマン少佐。

 私はその姿に衝撃を受ける。

 やばい――可愛い。私より可愛い。


「……上には上がいるのですね」

「え?」


 疑問の声をあげるロスマン少佐のことを、頭をぽむぽむされながら見上げ、私は神妙な気持ちで頷くのだった。


   □□□


 結局、三分ほどぽむぽむされた。

 その後、私はソウザキ少佐と合流して、二人並んで廊下を歩く。


「エンツォ・バラッカ中佐。これから会いに行く相手だ」

「ソウザキ少佐よりも階級が上ですね」

「実質的なまとめ役だからな。それに、お前らを教育しようと思ったら、最終的にはマス・リーダーの経験がある人間が必要になる」

「わっつ?」

「最終的には――お前たちが搭載されたセントラル一機が、ターミナルのフライトを複数指揮して空を飛ぶようになる。俺はフライト・リーダーの経験ならあるが、マス・リーダーの経験はない。そこだけは、バラッカ中佐に教わるしかない部分だ」

「あの、ソウザキ少佐に不満があるわけではないのですが……それなら、全員を中佐にすればよかったのでは?」

「そりゃ無理だ。中佐以上は、今じゃまず地上勤務だからな――有人機のフライトを同時に複数運用するなんて状況は、今じゃもう有り得ない。マス・リーダーはとっくにお払い箱さ」

「じゃあ、バラッカ中佐は何なんです?」

「あの人はアクロバット・チームの隊長だ

「なんだ。実戦部隊じゃないんですか。なら、大したことな――痛いっ!?」


 べし、と頭をはたかれ、私は抗議の目でソウザキ少佐を見上げた――その額に、さらに少佐がデコピンを食らわせてくる。


「あうちっ!?」

「お前アクロバット・チームなめんなよ。あそこは本気でキチガイじみた技術持った連中の集まりなんだからな? 普通に実戦より危険な機動やってるからなあの連中。敬意を払え」

「ううう……美少女相手に何たる仕打ち……酷いです少佐」

「美少女だったら何言ってもいいと思うなよ。――というか、バラッカ中佐は元々、俺たちなんぞ比較にも何ねえくらい実戦経験有りの戦闘機乗りだぞ。ターミナルなんて影も形もなくて、有人機が主力だった頃の世代の人なんだからな」

「有人機が主力……それは、今の私たちには、想像も付かない世界ですね」

「ああ。だから、失礼のないようにしろよ」

「でもでも、なんか、ちょっと変な人だって聞きました。どんな人なんです?」

「…………」

「少佐?」

「……何て言うか、上手く説明できんが、その、見た方が早い」


 ソウザキ少佐はそう言って、脚を止める。

 止まったのはプレートが埋め込まれた部屋の扉。心持ち装飾が豪華に見えるが、たぶん相手の階級が中佐だからだろう。


「……心を穏やかに持てよ。デイジー」

「何が起こるんです?」

「落ち着け。まずは深呼吸だ。すー。はー」

「面倒ですさっさと開けちゃいましょう」

「ちょ、おまっ……ちゃんとノックを――」


 と。少佐が言ったときには私はすでに扉を開けている。

 部屋の中。

 その中央には、途方に暮れたように、ぎこちない笑顔を浮かべたアリスがいる。

 そして、もう一人。四十代後半の男性。少し浅黒い肌。ひどく穏やかな印象を与える垂れ目。細く綺麗に整えられた口ひげ。

 バラッカ中佐だ。

 彼は、アリスの足下に一輪の薔薇を手に持って跪いていた。


 ……。

 ……。

 ……わっつ?


「――ああ、アリスくん。君は、今日も一段とお美しい」


 と、男性が言う。


「揺らめくその黒髪に――常に憂いを秘めた瞳のきらめきが、小鳥の足跡のようなソバカスの愛くるしさが、私の老いた心を――それでも尚、ときめかせる」


 がばり、と大仰な仕草で、ポーズを取り、男性が言う。


「こんな老いぼれの気持ちを受け入れて欲しい――などとは言わない。ただ、この花を受け取ってくれ――この美しい花は、君にこそ、ふさわしい――」


 そう言って、男性は薔薇を差し出し、諦めたようにアリスはそれを両手で受け取り、それから、ひどく情けない顔で私を見る。


「ふえぇぇん……、デイジーぃぃぃ……」


 ばたんっ。

 助けを求めるアリスを無視して、私は容赦なく扉を閉めた。隣に立つソウザキ少佐に言う。


「私は何も見ませんでした聞きませんでした。さあ、ソウザキ少佐。今日の訓練を」

「逃げるな。受け入れろ」


 逃げだそうとした私の襟首を少佐は捕まえ、ノックをしてから扉を開ける。

 扉を開けると、薔薇の花をもらったままの状態でひぐえぐ、と泣いているアリスと、元凶であるにも関わらずその彼女を慰めようと謎の言語を行使する中年男性の姿があった。

 その、ありとあらゆる意味で問題しかない光景を完全に無視し、ソウザキ少佐はぴしりと敬礼をし、ありとあらゆる感情を排したザ・事務的な口調で名乗る。


「バラッカ中佐。アオノ・ソウザキ少佐です。本日はご挨拶と、私の担当するHAIをご紹介するために窺いました」

「紹介されたくないです! あのおじさん怖いです!」

「やかましい失礼だろ! あと中佐って呼べ! 言っておくが偉い人だからな!」

「はっはっはっ。気にすることはないよソウザキ少佐。今の私たちは同じテストパイロットに過ぎないからね。周りに部下がいるわけでもなし、気楽にしてもらっていい――して、デイジーくん」

「ひぃっ!?」

「デイジー。花の名前だね――うん、確かにその名にふさわしい美しさだ。蜂蜜のような亜麻色の髪と、凪いだ日の地中海のような青い瞳。白磁のような白い肌――とても美しい」

「や、やめて下さい! 私、空気抵抗の塊が好きな人とはお付き合いできません!」

「君は勘違いをしている――職人の手が丹念に練り上げた陶器がそうであるように、滑らかなカーブを描く曲線は美しい。だが、工業機械によって作り上げられる完璧な平面にもまた、それとは違った美しさがある」

「え……」


 私は、彼のその言葉通り、完璧な平面で構成された胸を両手で押さえ、尋ねる。


「それじゃあ、私のこのつるぺたボディは間違いじゃなかったということですか!?」

「間違いなどと……そんなことを、一体誰が決めつけたのかね? 私は声を高らかにして言いたいのだよ。曲線だけではなく、平面もまた、美しさを作り出す要素なのだと。つまり――」

「つ、つまり――っ!?」

「つまり、君のつるぺたは――美しい」

「ソウザキ少佐! この方、良い人です!」

「ちょろ過ぎるだろっ!? お前その口説き文句で本当にいいのかっ!?」

「まあ落ち着きたまえ、ソウザキ少佐――いいかね?」


 と、バラッカ中佐はソウザキ少佐に対して穏やかに告げる。


「女性の胸というものはだね――それが、例え小さくとも、大きくとも、とてもとても尊いものなのだよ。そこには優劣などというものはない。そう――そこにはただ、夢と希望だけがある――違うかね?」

「申しわけありませんバラッカ中佐。私にはまだ軍人としての経験が足りていないようです。中佐の話を上手く理解することができません」

「いずれわかるよ――いずれね」

「申し訳ありませんバラッカ中佐。そんなもん理解したくねえ、という心の声を今こうして抑え切れない自分がここにおります」

「ふむ――そうか。でも、君も女性の胸は好きだろう?」

「えーと、まあ……はい。そうですね」

「例えば、そこのアリスくんを見たまえ。どう思う?」


 とバラッカ中佐の言葉に従い、ソウザキ少佐はアリスを見て、アリスはソウザキ少佐のヤクザな雰囲気にひぅ、と怯えて震え、ついでに空気抵抗の大きい部分もぽよん、と揺れる。

 ソウザキ少佐は額を軽く押さえ、頭を振って言う。


「ぶっちゃけ、ストライクゾーンど真ん中です――何だどうしたデイジー」


 右のツインテールを用いてぺしり、と引っぱたく私を怪訝そうに少佐が見る。


「それじゃあ、ソウザキ少佐。今度はデイジーくんを見たまえ」


 言われるがままに、今度は私を見るソウザキ少佐。こうして改まった真っ正面から、まじまじと見られると、何と言うか、けっこう恥ずかしく、私は何となく視線を逸らす。


「どう思うね?」

「あまりに貧相で可哀想になりますね――おい、やめろそれ地味に腹立つぞ」


 左のツインテールを用い、ぺしり、と引っぱたく私を眉間にしわを寄せる少佐。


「それがいけない――いいかね。ソウザキ少佐。女性というのは宝石の原石なのだよ。いかなる女性も、美しい煌めきを秘めている。その煌めきが外側まで溢れ出ている女性もいれば、内にそっと隠し続けている女性もいる。そして――我々男の役割とは、それをより美しい宝石に変えることだ。煌めきが外に出ている女性はより煌めかせ、内に秘められた隠された煌めきをそっと外へと導く――わかるかね?」

「ええと……」

「ふふふ。君とはこうしてせっかく同僚になったのだし、そのよしみでここは一つ――女性を宝石に変える方法を教えてあげよう」

「……つまり、その、何です?」


 途方に暮れた顔をするソウザキ少佐に、バラッカ中佐は最高に良い笑顔で言う。


「――今度一緒に本土に飲みに行こう。ウェイトレスの女の子がみんな可愛い店を知ってる」

「師匠と呼ばせて下さい――おいこらやめろ! やめろって!」


 左右のツインテールを用いてぺしぺしぺしぺし、と連続で引っぱたく私を止めようとする少佐の手から逃れてさらにぺしぺしぺしぺし! ふぁっきんふぁっきんふぁっきんふぁっきん!

 ひとしきり少佐と格闘を続けた後で、私は告げる。


「――少佐、ちょろ過ぎませんか?」

「デイジー。お前に一つ教えてやる――男なんてそんなもんだ」

「ふぁっきんっ! そんなこと教わりたくなかったです!」


 と私は叫ぶ。

 そんな私の腕に、


「ふえぇぇ、デイジーぃ……」


 などと言ってソバカスの跡が残る頬を真っ赤にしながら縋り付いてきたアリスを見下ろし、それから、その空気抵抗の塊をじっと見て、


「これがそんなに良いものですかね……」


 と、ぼやきつつ、それを手でぺしぺししてやる。


「うきゃああああああああああっ!?」


 アリスがぽよんぽよん、と空気抵抗を揺らしながら悲鳴を上げ、


「おいやめろ馬鹿! それ視覚的にまじでやばいからやめろ!」


 ソウザキ少佐が顔を赤くして、こちらというかアリスというかアリスの空気抵抗から全力で視線を逸らしつつ叫んでくるのをガン無視してぺしぺしし続けながら、


「男の人ってのはよくわかりませんねぇ」


 と、私は溜め息をつく。

 そんな状況の傍らで、どう考えても全ての元凶なバラッカ中佐は、


「ははは、みんな仲が良いようで何よりだ」


 などと鷹揚に笑っていて、成る程、指揮官というのは、こういう風であるべきなのかもしれないなと私は思う。


 □□□


 最後に、もう一人の指導パイロットの人と話をしようとしたが、訓練中とのことだったので後で挨拶をすることにして、先に今日の訓練を行うことになった。


 結果――誘導弾の発射シーケンスをミスファイア。さすがに搭載はされていなかったし、誘導弾の使用にはそもそも司令部からの認証が必要なので、無数のエラーが返ってくる程度でなきを得た。だが、全開になったウェポンベイを元に戻そうとしたところで、今度は機関砲が作動してからからと空転。

 マニュアルを片手に、コックピットに座るソウザキ少佐が呻く。


「……どうしたもんかな、おい」

『だ――大丈夫です! も、もう少し待って頂ければ、私の眠れる才能が覚醒して、こう、ぐわーっと!』

「ないない。そんなこと夢見てる暇があったら努力しろ」

『ふぁっきんっ!』

「……あのアリスって娘のことだけどよ」

『何です? また空気抵抗の話ですか?』

「デイジー」

『……』


 ソウザキ少佐が私を呼んで、私は軽口を叩くのを止めて口を閉じる。

 そういう類の重みを持った呼びかけだった。


「真面目な話だ。――ちゃんと聞け」

『……はい』

「――バラッカ中佐に聞いたが、あの娘、そろそろ飛べるらしいぞ。自力で」

『…………』

「『自分が教えた中で、間違いなく最高のパイロットだ』って、バラッカ中佐が言ってたぜ――あの人は、女のことじゃあんな感じだが、こと戦闘機に関しちゃシビアだ。滅多なことで人の腕を誉めたりしない。これに関しちゃ、相手が男だろうと女だろうと関係ない。だから、絶対、世辞なんて言うような人じゃない。例え、HAIであることを考慮に入れても――ちょっと異常だ。何なんだあの娘」

『……アリスは、その、天才なんです』


 と、私はぽつぽつと話す。


『今回の機体に搭載される前に――私たちはシュミレーターで訓練を受けました。私たちが機体を上手く操縦できなくて四苦八苦している中で、アリスは簡単に――本当に簡単に、機体を飛ばしてみせたんです』


 私は当時の記憶領域を探りながら、言う。


『……私、アリスに聞いたんです。どうやって飛ばしてるのかって』

「何て言ってたんだ?」

『「なんか出来る」って言ってました。何だそれって思いました』

「ま、そりゃそう思うわな」


 ソウザキ少佐は溜め息を一つ吐き、言う。


「天才ね――そりゃあのバラッカ中佐が直接付けられるわけだ」

『――私』

「ん? どした?」

『私、私はその……本当は、そのシュミレーターの訓練で、必要なだけの性能に達することができなかったはずなんです』

「まあ、お前が優秀だとは口が裂けてもおれは言わんが……でも、結果として、お前ここにいるだろ?」

『――だって、最後のテストで、私、墜落したんですよ?』

「……」

『私、頭が真っ白になって、しばらく誰とも口も利けなくなって、部屋にこもりっぱなしになって――でも、でも、ちゃんと試験を通過したって通達がきて。私、変だな、って思ったけれど、やっぱり嬉しくて。でも』

「――デイジー、もう話さなくていい」

『でも、私、職員の人が話してるのを聞いちゃって――』

「デイジー、やめろ」

『「本当なら欠陥品だけれど――数が足りないから、仕方がない」って……』

「デイジー」


 がん、と。

 ソウザキ少佐がヘルメットを機体に叩き付け、私ははっと我に返る。


『す、すみません。少佐――』


「構わん。パニックを起こしたアホを止めるのも上の仕事だ……なあ、デイジー」

『わ、わっつ? なんです?』

「お前、悔しくないか?」

『べ、別に悔しくなんかないです。のーぷろぐれむ、です』

「俺は悔しいぞ」

『……』

「――今日はここまでにしておく。今日ミスった箇所はマニュアル読んで復習しろ」

『……はい』


 私は答え、彼はコックピットから降りる。

 そこでふいに、空の向こうから滑走路へと降りてくる機影。

 機体のマークを確認する――三番機。チャーリーの機体だ。

 少しふらついた着地。パイロットのせいではなく、たぶん、機体の制御を行っているチャーリーの側の問題だろう。おそらくは、コックピットの操縦を機体へと伝える際の微妙な遅延のせい。


「ちょうど良い――あれが指導パイロットの最後の一人だ。挨拶しに行くぞ」


 そう言われ、私は機体からプライベートボディに移って、ソウザキ少佐と一緒に着陸したチャーリーの機体のところまで行く。

 そこで。


「何をやっているんだ貴様は!」


 怒鳴り声。

 とっさに機体のRAIが反射反応を発生させ、私は身をすくませる。

 機体の傍らに立つ男性が、チャーリーを怒鳴りつけていた。


 年齢はおおよそ三十代の半ばくらい。くすんだ金髪と白い肌の長身痩躯。神経質そうな顔立ち。ナイフを思わせる鋭い目付き。

 はっきりとした怒気を込めて、彼が叫ぶ。


「何故私の操縦をそのまま機体に伝えない!? ラダーもエルロンもフラップも、あまりに反応が鈍すぎる! それでも貴様は戦闘機のAIか!?」


 激怒する男性に、チャーリーがひどく傷付いたような声で言う。


『すみません――少佐』


 先程、記憶領域を探ったせいだろう。

 フラッシュバック。

 シミュレーターでの訓練時の、教官から、何度も、何度も怒鳴られたときの記憶。


「ちゃ……チャーリーは」


 とっさに言葉が出た。


「チャーリーは、HAIです。RAIとは違って、慣れていない機体で遅延が発生するのは――し、仕方がないことです」

「……何だ貴様は」


 と、男性が私をぎろり、と睨み付けた。それだけで、私は震え上がって続く言葉が出なくなる。何だとこの野郎、と言うことはもちろん、すみません、の一言すら、エラーが返るばかりで口に出来ない。

 そこで、


「こいつは四番機のデイジーですよ。マーク・マイヤー少佐」


 す、と。

 男性の視線を遮るような形で、私の前にソウザキ少佐が立つ。怒気を滲ませたマイヤー少佐に対して、平然と片手を差し出す。


「担当の指導パイロットのアオノ・ソウザキです。どうかよろしく」

「アオノ・ソウザキ――噂の〈ターミナル・キラー〉か」


 マイヤー少佐はソウザキ少佐の差し出した手を無視して、言う。


「エース・パイロット――ふん。所詮は名前ありきのお飾りで入れられただけ。部下のしつけもろくにできんか」

「これはお恥ずかしいことで。ですが――」


 と、そこでソウザキ少佐はがらり、と声質を変えて告げる。


「――自分のしつけもろくにできないあんたほどじゃねえよ」

「……貴様」

「俺はそういう罵り合いも好きだけどな。忠告しといてやる――あんたも佐官なら、気に食わない相手の前で猫被る程度の処世術は身につけたらどうだ。昇進できんぜ」

「戦闘機を飛ばすこともできない無能と欠陥品が何を抜かす?」


 欠陥品。

 その言葉に、思わず顔を伏せる私の前で、ソウザキ少佐が言う。


「こいつは欠陥品じゃない。デイジーだ」


 私は顔を上げ、ソウザキ少佐の背中を見る。


「あんたの言う通り俺は無能かもしれん。だが、上司の責任を下に押しつけるのは頂けないな――それともあんたは、そういうのが好きな人種か?」


 その言葉に、マイヤー少佐はしばし黙り込み、それから言った。


「……例え欠陥品でなくとも、そんなことは関係ない。所詮はAIだ」

「だからどうした?」

「人間とは違う」

「それが?」

「……せいぜい、AIと慣れ合っていろ」


 そう吐き捨て、マイヤー少佐は踵を返して、歩き去っていく。

 去り際に、彼がつぶやいた。


「――下らん。AIなんぞに、パイロットが務まるものか」


 去っていく彼を見送ってから、私はチャーリーに告げる。


「大丈夫ですか? チャーリー」

『ん……大丈夫だよ。デイジー』


チャーリーはいつもの気弱げな口調で言う。


『さっきはありがとう』

「いえ別に私はそんなつもりではなく……」


 と、もにょもにょと言葉を濁すと、チャーリーはちょっと笑って、それからソウザキ少佐に言う。


『ソウザキ少佐も、すみませんでした』

「お前が謝罪するこっちゃねえよ。そういうのは上司の仕事だ」


 そう告げ、ひらひらと手を振るソウザキ少佐に、チャーリーが気まずそうに言う。


『マイヤー少佐も、その……悪い人ではないのですが』

「どこがですか!」


 と、チャーリーのその言葉に私は憤慨する。


「何ですかあの人は! 人としての礼儀がなってないです! ふぁっきんふぁっきん超ふぁっきんです!」

『ごめん、デイジー……マイヤー少佐を悪く言わないであげてよ』

「ほわいっ!? チャーリーは何であんな人を庇うんですか!?」

『それは、その……』

「あー、いや、チャーリー。お前の気づかいは偉いと思うけどな。でもやっぱり、間違ってんのはあいつだよ。だって教官だからな。どう思ってようがそれを表に出すのはアレだし、それで生徒に気を使わせてるようじゃ良くねえよ。まあ、確かに――」


 ソウザキ少佐は気まずそうに、がりがり、と頭を掻いて、それから言う。


「――あいつの気持ちは、よくわかるが」

「わっつ?」


 私はちょっと驚く。


「どういうことです? ソウザキ少佐」


 と、私は尋ねると、いきなりチャーリーがたしなめるように鋭い声で言う。


『デイジー!』

「あ、いや。別に良いよ。そんなに気い使わんで良い」


 ソウザキ少佐がチャーリーに苦笑いを向けて、手を振る。


「その、何て言うかな、デイジー。俺だけじゃなく、ロスマン少佐も、バラッカ中佐だって、心のどこかに、マイヤー少佐みたいなところはあるんだ。ただ、マイヤー少佐は、あの通りの堅物だからその辺、上手く隠せていないってだけでさ。まあ、あれだ、ようするに、俺たちは――」


 きょとん、としている私に、ソウザキ少佐は告げる。


「――結局、有人機のパイロットだからな」

「……あ」


 と、私はそこに思い至る。

 とっくに理解していたはずのことなのに。

 私たちが、今、やろうとしていることは。

 マイヤー少佐を、ロスマン少佐を、バラッカ中佐を――そして、ソウザキ少佐を。


 有人機のパイロットである彼らを、空から引きずり落とすことなのだ。

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