第8章 15 ノワールの変化

 入居手続きを済ませ、不動産会社を出るとノワールはヒルダに声を掛けた。


「ヒルダ。ひょっとすると足が痛むんじゃないか?」


「え?」


突然の言葉にヒルダは驚いた。確かに寒い外を歩いていたヒルダの足は冷え、痛みを伴っていた。それに一緒に歩くノワールに恥をかかせてはいけないと思い、杖を持たずに出て来たのだ。しかし、今まで一度もヒルダの足の具合を気にかけたことの無かったノワールからそのような言葉を掛けられるとはヒルダは思いもしなかった。


「は、はい…少し痛みます」


本当は少しどころでは無かったがノワールに気を使わせてはまずいと思い、本当の事を言えなかった。


「少し、温かい店に入ろう。足を休ませた方がいい。今後の話もあるしな」


ノワールは白い息を吐きながら言った。


「はい」


「ちょうどあそこに喫茶店がある。そこに入ろう」


そしてノワールは自分の腕にヒルダを掴ませると言った。


「行こう」


「は、はい…」


ヒルダはその腕に掴まり、歩きながらそっとノワールの横顔を見上げた。

エドガーよりも背の高いノワールは神妙な顔つきで前を向いて歩いている。その横顔からは何を考えているのかヒルダには読み取ることが出来なかった―。


****


 ヒルダとノワールは喫茶店の中で2人向かい合わせに座っていた。ヒルダはココアを、ノワールはコーヒーを飲んでいる。


「ヒルダ、俺は来週中にも荷物を全てまとめてあの家に引っ越すつもりだ」


カチャリとソーサーの上にカップを置きながらノワールが言った。


「え?もう…引っ越しをされるのですか?」


「ああ。入居は早い方がいいだろう。それに今住んでいるアパートメントよりもずっと快適な家だったからな。何よりあの場所の方が南側の海岸線にあり、この港町よりは温かい」


「確かに…あの場所はここよりは温かかったですね…」


「それでヒルダの事だが…」


「あ、あの…なら私も早目にあの家に引っ越しをした方が良いでしょうか?」


ヒルダはノワールをじっと見つめながら尋ねた。


(だって…私は生活費を一切払わなくて良いと言われているのだから…家の家事仕事をしてノワール様の御世話をしないと…)


するとノワールが不思議そうな顔をした。


「何故?そう思うんだ?ヒルダはカミラが結婚してあのアパートメントを出るまでは一緒に暮らすのだろう?俺と一緒に暮らすのは…その後でいいじゃないか?」


「え…?それで…構わないのですか?」


「ああ、当然だ。他に何があるっていうんだ?」


ノワールは言うと、再びコーヒーを口に運んだ。


「ありがとうございます…ノワール様」


ヒルダは笑み浮かべてノワールを見る。


「別に礼なんか必要はない」


しかし、そう答えたノワールの耳は…赤くなっていた―。



****


 その後2人は場所を変えてレストランに入りお昼を一緒に食べ、ヒルダのアパートメントへ到着したころには午後の3時になろうとしていた。



「ヒルダ。明日の予定はどうなっているんだ?」


「はい、明日はアルバイトの日です」


「アルバイトか…なら平気だな」


ノワールはポツリと呟いた。


「え?何の事ですか?」


「いや、別に何でも無い」


そしてノワールは少しの間ヒルダをじっと見つめていたが、手が伸びて来てヒルダの両頬に触れて来た。


「ノ、ノワール様っ?!」


驚くヒルダにノワールは言った。


「ヒルダ…悩み事や困った時は…俺でよければ相談にのる。俺は…お前を絶対に…」


そこから先は言葉が出てこない。


「ノワール様…どうされたのですか?」


「いや…何でも無い。カミラが帰ってくるまで…1人になるが…平気か?俺の付き添いはいるか?」


ノワールは神妙な顔つきでヒルダに尋ねる。


「いえ、大丈夫です。有難うございます」


「あ、ああ…。それじゃ、またな」




そしてノワールはヒルダのアパートメントを後にした―。


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