タピオカ・パンデミック

志賀福 江乃

第1話





「ねーねー、タピオカ飲み行こ」



 ついに来たかこの誘い……! 私は動揺を顔に出さぬよう、必死にポーカーフェイスでタピオカねぇ、と友達に返した。そう、タピオカ。私は、タピオカの存在を知っていた。SNSで超流行っている、アレだ。黒くて丸くてつぶつぶしたアレだ。ずっと昔からあるくせに、僕新顔ですきゅるるん、的にアピールして、女子高生を中心に女性たちのハートを射止めている。てめぇ、私達の親の年代からいたくせに、何を今更。



 ネットで流行り始めた頃、まぁ機会があったら飲んでみるか、くらいには思っていた。しかし、タピオカは私が思ったよりも流行りに流行りまくり、どんどん値段が高騰していくにもかかわらず、物凄い勢いでSNSからどんどん侵食していった。私の周りの友達もタピタピ鳴き声を上げるようになった。SNSが私達の全てと言っても過言ではないこの時代。周りが盛り上がれば盛り上がるほど私の心は、どんどん冷めていった。タピオカ屋さんの前にできている長蛇の列を見るたびに、ふっ、と鼻で笑う、意地悪いやつがいたらそれは私です。



 別にタピオカが嫌いなわけではないのだ。好きなものを時間をかけても追い求める皆の姿は健気で可愛いし、幸せならそれでいいと思う。だが、私は生憎、流行りまくりのものに対して素直にのっかれるようなタイプの人間ではないもので、どうせタピオカだろ、なんて気持ちで飲むのを避けていた。本当にタピオカが嫌いな訳でも好きな人を馬鹿にしているわけじゃないんです。タピリスト、タピ教の人たちごめんなさい。



 まぁでも、友達に声をかけられたら行こう。そう思っていたのだ。そしたら、今日、本日、只今、声をかけられたのである。以前私が飲んだことない、と伝えたとき、彼女は新しい獲物を見つけたかのような顔で今度一緒に行こ、と誘ってくれたのだ。そしてその今度が今日だった。



「行ける?」

「……はっ、ごめんなさい、タピオカ、ですよね。今日は午後何も予定がないですし、是非ご一緒させてくださいな」

「やった、楽しみにしててね! めっちゃ美味しいから」



 そして、来る放課後。私は、心臓をバックバックさせているのを悟られないように、超完璧ポーカーフェイスを保ちつつ、その日の授業をおえ、友達のもとへ向かった。



「お待たせしましたわ」

「お、それじゃあ行こうか! 楽しみだね!」

「……そうですわね」



 楽しみにしている彼女には申し訳ないが、私はそうでもないの。だって、タピオカでしょう? 昔からあるのに、今更人気になったあのタピオカ。全く、みんなおこちゃまよね。決して心拍数あがったりなんかしてないわ。





 私の目の前にどん、と置かれたタピオカドリンクなるもの。私のおすすめよ、と差し出されたそれに思わず、ゴクリとつばを飲んだ。まずはくんくん、と匂いを嗅いだ。とんでもなく甘い匂いがする……。甘さに思わず武者震い。太いストローに口をつけ、ずっ、と吸ってみた。



 刹那、口の中に怒涛の甘さが広がった。圧倒的砂糖の暴力、はっきりと主張する茶葉、なめらかな舌触り、そして、飛び込んできた数々の丸い物体。もちもちもち、つるつるつる、もっきゅもっきゅもっきゅ。なんだこれ楽しい。口の中が玉入れのかご。いーち、にー、とカウントが聞こえてきそう。ぐにゅぐにゅしたそれを口の中で潰すたびに黒糖の甘さが優しく舌を撫でた。

 ひぇ、こんなの即落ち2コマじゃん……。美味しいよぉ、甘いよぉ。流石豚骨ラーメン一杯分のカロリー。こうして某千尋の親は豚になったのだ……。くそ、やられた想像以上だ……! また二口目を無言で吸い始めた。







「うう、甘いよぉ、もう無理……」

「あっはは、もうギブ?」

 二口目、三口目までは美味しかった。だが、だが! 飲んでいくに連れ、口の中の主導権は確実にあいつらに、持っていかれ、胸がもう恋愛したかのようにいっぱい。そうか、こうやってみんなはタピオカと恋に落ちるんですね。タピオカとの逃避行。飲みきらねばというドキドキ感が吊橋効果にでもなるんですか。というか飲んでて気づいたのだけれど、私はそもそもミルクティーがそんなに好きではないし、甘いものは苦手だ。やはり、私達は、出会うべきではなかった……。



「最初はあんなに美味しそうに飲んでたのに」

「私、そういえば甘いものは少し苦手で……」

「ありゃりゃ、じゃあ今度はフルーツティーかねぇ」

「また連れてくる気ですか……」

「もちろん」



 またもや彼女はニヨニヨとした笑い方でこちらを見つめる。もう好きにして……と小声でいえば、へぇ、じゃあ好きにさせてもらっちゃお、と私の残りを完食した。へへへ、間接キスだ、なんて言ってのける彼女に少しだけドキリとした。







 それから暫くして、タピオカは更に社会的地位を高めていった。タピオカ業界はタピオカを麻薬の如く求める少女達によって盛り上がりまくった。毎日飲んでいる友達や毎日飲めなくても土日にタピオカ巡りなんて言って5、6本飲む子達もいる。



 一方私は、タピオカがどうしてそんなに流行るのか、気になって仕方がなかった。まずタピオカはキャッサバという芋を、粉にして丸め、着色したものだ。原料は芋なのである。だからあんなにもカロリーが高いのか。

 第一次ブームは1992年。私達まだ生まれてない。真っ白で今よりも歯ごたえがなく小さいタピオカがココナッツミルクに擬態するかのように奥ゆかしく入れられていた。そして、第二次ブームは2008年。まだ小学生。ここらへんは記憶にある。正直同時期に流行っていたマラサダのほうが記憶深い。そして今再び第三次タピオカブームである。お前は政権か。



「今日もタピオカいれないの?」

「甘いの苦手ですし、こっちのほうが好きなのです」

「そっかー、あ、一口いる?」

「飲む……一口が美味しいのは本当に認めます……」

「にひひ、わかるその気持ち」



 そんな感じで今日も放課後は平和に過ぎていく。SNSを除くと、今日も投稿はみんなタピオカばかり。



 このとき私は、まだわかっていなかったのです。このあと始まるパンデミックを。



 





 SNSだけでなく、テレビでも多く取り上げられるようになった、タピオカ。多くの人々が求め、需要が跳ね上がった。それゆえ、徐々に供給が追いつかなくなっていき……、やがてタピオカの値段は高騰していった。それでも皆、バイトの量を増やし、タピオカを買い求めた。スーパーの冷凍タピオカを巡る争いや、タピオカを手に入れたものへの嫉妬、羨望それらがぐちゃぐちゃになってスマホという小さな箱庭を中心に戦争を巻き起こしていた。

 学校につけば、昨日タピオカを飲んだと投稿していた子にクラスメイトたちが情報を聞き出している。どこの店舗もタピオカが品薄で、取扱いをやめたり、一日限定何個と個数を決めているようだ。教室中にバンッと音が鳴り響いた。驚いて振り向くとどうやら一人の子が問い詰めていた子がなかなか答えないことにしびれを切らし机を叩いたらしい。ついに取っ組み合いのケンカまで始まってしまってクラスは騒然とした。



「タピオカ……そろそろタピオカがないと私は、可笑しくなりそう……」

「ちょっと、貴方までそんなこと言い出すの」

「本当にもう、タピオカ……タピオカが飲みたい」



 私の隣にいる彼女の目も虚ろだ。目の奥は深海のように深く深く先が見えない。そういえば、彼女は最近笑わなくなったし、ニヨニヨとしたこちらをからかうような笑みすら浮かべなくなった。ずっと、ぼーっとしているか、タピオカが飲みたい、と呟いているかだ。私の手を引いて知らない世界に連れ出してくれる、青い鳥のような彼女。そんな彼女の力強く芯のある瞳が大好きだった。それなのに。どうして、そんなに淀んだ沼のような目をしているの。私まで彼女の瞳に吸い込まれそうになった。それに耐え切れず、つい、私の口から出てしまったのだ。



「タピオカぐらいで……そんなに落ち込まなくても」



 そう言うと、彼女は目を見開き、眉を釣り上げ、鬼のような形相で私の肩を掴んだ。



「タピオカぐらいで!? タピオカは私のすべてよ!」



 そう言うと、バッと教室を飛び出してしまった。追いかけようと立ち上がると、他のクラスメイト達に、空気読めなさすぎ、いい加減にしなよ、と止められ大人しく席についた。私は、何とも言えない気持ちになった。彼女はあんなふうに感情的に怒るような子ではなかった。どうして、どうしてこんなふうになってしまったの。私は酷くあの黒いつぶつぶした物体を恨んだ。

 人の好き嫌いは自由だ。けれど、明らかにこのSNSや周りの同年代の子たちに蔓延するこの空気は可笑しい。全員がタピオカ、という存在に固執して、追い求めて。それだけならまだいいが、それをまるで自分が手に入れた称号のようにSNSにあげて自己顕示欲を得ている。薄ら寒い感覚が背筋を撫でた。皆、小さな端末を見続け、新しい投稿がないか、ずっとスクロールして更新しつづけている。全員が墓場に徘徊する亡霊のようにフラフラフラフラ、とスマホを見つめている。



 ーー皆可笑しくなってしまった。



 生産の追いつかないタピオカの人気は止まらず、一杯2000円近くするようなものまで出てきた。阿呆なのか……そう言いたい。全力で叫びたい。でも、そんなことを言ったらきっと刺される。滅多刺しだ。本当にこれは、不味いのではないか。タピオカは、現代版アヘンなのか?



 何より、最近気になるのは、タピオカに興味がなかった人まで、タピオカタピオカタピオカ言い始めたことだ。その良い例が、私の母である。重い足取りで扉を開ける。ただいまーと言うと、おかえりと単調な声が帰ってきた。キッチンにそのまま向かうと、母は嬉しそうに太いストローでミルクティーを飲んでいた。



「タピオカって美味しいわねぇ」



 そううっとりとグラスを見つめるその中にはミルクティーが波をうっているだけで、黒いタピオカは見当たらない。透明なタピオカかと思って目を凝らしても、それらしきものは見当たらない。



「お母さん、タピオカは飲み物のことじゃないよ」

「知ってるわよ? 黒いタピオカがきちんと入っているでしょう? ふふふ、アハハハハ」

「そんな……ひっ……!」



 否定しようとして、母の目を見ると、その瞳に光はなく、タピオカの如く、真っ黒だった。つー、と冷や汗が私の頬をつたる。貴方も飲む……? と聞かれ、ぶんぶん、首を降って、自分の部屋へ走る。なに、あの目は。どうして、どうして。1階から、タピ、タピオカ、ピ、ピピピピピピ、アハハハハ! と声が聞こえる。この世のものでない化物が、母の形をして、自分の目の前に現れたような気さえした。嫌だ、嫌だ、こんなの、お母さんじゃない。あんな冷たい声をしない。怖い、怖い。はらり、と涙が頬を伝った。いったい、何が起きてるの。嗚咽を殺して、泣き続けた。母の、笑い声が耳にこびりついて離れない。





 翌朝目が覚めた私は母に会いたくなくて、母が起きてくる前に支度を済ませ家を飛び出した。家を飛び出すと、髪を無造作に垂らした女とぶつかった。タピ、タピ、と不気味な声でスマホを見つめている。八尺様かよ、と突っ込みたいのを、ぐっと押し留めて女から早急に離れた。町中には踊り狂うもの、発狂するもの、震え蹲るもの、笑い出すもの。地獄とはこういうものか、と言えるほど精神的に狂っていた。



 アー、タピ、タピオカ、ターターター、タピ、タピ、アーアー、タ、タ、タ、タピ、タピ、ピ、ピ、ピピピ、ピピピピピピ、ピピピピピピピピピタピピピピピタピピピピピピピピピピピ、タピオカ、タピ、アハハハハ、ピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピピ。





 もはや私も発狂しそうだった。人々はもう、人の言葉を話していない。耳をふさいで走り続けた。町中はスマホを片手に彷徨い歩く少女たちでいっぱいだ。私は夢中で走った。



 その時ふと、目に入った四角い白いもの。私はあっ、と思わず声を上げた。遂に見つけた解決方法。タピオカを倒すための切り札。それを行うために私はひとまず、ホームセンターで拡声器を買う。それと、細い木の棒と、大きな布も。ふと、スマホを取り出し、SNSを確認する。どうやら、渋谷にタピオカ情報があったらしい。クラスメイトや友達がこぞって渋谷なう〜と表向きは明るい投稿をしている。



 タピ……タピ……タピオカ……アハ……タピ……ピピピピピピピピピピとつぶやく人達を掻き分け、私は渋谷へと向かった。











 いつから、こんなことになってしまったんだろう。ぼーっと、する思考の中で、ふとそんなことを考えた。楽しかった学校。皆で話題のところに行って、たくさんの話を共有して、ほんの少しSNSで自慢して、いいねして、いいねされて。幸せだった。なのに、いつから、どうして、こんなことに。口からはタピオカはどこ……、タピ、ピ、アーアー、アハハハハ、タピ、ピピピピピ、そんな思ってもないことが常に出ている。視線はずっとスマホの中。噂が錯誤する迷宮の中で真実の情報を探し求め彷徨い歩く。羨ましがられたい、そんな思いが激しく折り重なって、皆タピオカを求め続けていた。あぁ、嫌だ、助けて、もうこんなの嫌なの。心はそう叫ぶのに、体は許してくれない。タピオカを求めてしまう。



 刹那、どん、と誰かにぶつかった。艷やかな長い黒髪が、私の顔の前をサラッと通った。振り返ればセーラー服に、拡声器と、白い旗を括り付けた棒を持っている、美少女がたっていた。まっすぐで、穢の一つない純白な彼女。一瞬驚いた顔をして、聖女のような笑みでこちらを見つめた。もう大丈夫だよ、という。それに私はひどく安心した。



「ねぇ、第一次タピオカブームって何で終わったか知ってる?」



 彼女は優しくこちらにそう問いかけた。私はふるふると首を横に振る。



「目には目を、歯には歯を。タピオカの代わりになるものが流行したのよ。だから、また、それで終わらせてあげる」



 それがそのことに気づいた私の役目だから、そう言うと拡声器を口元に当て、空高く声を出した。全国に、響き渡るように。人々を地獄の池から救い出すかのように。







「タピオカがないなら、ナタデココを食べればいいじゃない!」









 瞬間、パリン、とどこかで何かが破れる音が聞こえた気がした。まるでマリーアントワネットのような発言だが、白旗を掲げる姿は聖女ジャンヌ・ダルクのようだ。ああ、愛おしの親友。やっぱりあんた最高だわ。最高に馬鹿で単純で素直で優しくて可愛い。今度はしっかり彼女の目を見つめる。彼女はほっと安堵したようにため息をついた。



 口から溢れ続けたタピオカという文字がなくなり、辺りは一度静まる。人々の目には白い四角の光が宿っていた。果たしてそれは彼女の持つ、白旗なのか、はたまた……□□□□□?

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タピオカ・パンデミック 志賀福 江乃 @shiganeena

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