第20話
そしてそのエミリアが襲われたのだから、セストの機嫌がいいわけがない。
「怪我は?」
エミリアに歩み寄ったセストは、不満げに目を細めて口をへの字にしていた。
「ないわ」
「なんであそこだけはあんなに濡れているんだ?」
二階の廊下から見ていただろうに、腰に手を当てて聞いてくる。エミリアは助けを求めてジーナとフローラを見たのだが、あっさりと無視された。
「逃げるのに、時間を稼ごうと思ったのよ」
「ほお?」
「この子、戦おうとしてましたぜ」
すっとセストに近付いて、フローラが言いつけた。
「エミリア?」
セストの笑顔が黒い。心配しすぎて怒っている。
「私は足が遅いのよ。だから時間を稼がないと逃げられないの」
「なるほど……」
エミリアの言い分はもっともなので、それ以上文句を言わず、肩や腕に触れ、背後にまで回って怪我がないことを確認し、ようやく安堵のため息を吐いた。
「それで? 警護はふたりだけだったのか?」
「いいえ。ジャンとエラルドとリベリオは彼らの対応に当たっていたのよ。まさかとは思うけど、共犯者だと思えるタイミングだったわ」
少し離れた位置でジャンとエラルドが、連絡を受けて王宮から来た兵士に説明をしている姿が見える。リーノとふたりの友人も兵士に話をしているが、こちらは力なく俯いている。
周囲では、すでに音を聞きつけて教師達も現場に駆け付け、リベリオから何が起こったかを聞き、生徒達への対応に当たっている。
陛下からエミリアへの護衛を許可する要請を受けておきながら、学園側が警護をやめさせてすぐの犯行だ。責任問題になるだろう。
「我が国の最重要人物のひとりを、学園に潜り込んでいる者を
「あ……いや……」
「まさか女装している男が生徒として潜り込んでいるとは。他に何人くらい、こういう生徒がいるんでしょうか?」
非常ににこやかに、しかし目だけは笑っていないランドルフに詰め寄られ、学園長はしどろもどろだ。
「生徒は教室に待機させ、身元が確認出来た者から帰宅させよう。なに、心配しなくても身分の高い家の子供なら、私が顔を覚えている。ただ伯爵以下の子供達は王宮と協力して身元を確認しなくてはな」
王宮から兵士以外にも次々と役人や事務官が到着し、学園長や教師も身元確認が終わるまでは軟禁されることになった。
王太子の通う学園に襲撃者が紛れ込んでいたのだ。しばらく学園は閉鎖。学園長をはじめとした上層部は解任されるだろう。
「セスト、あいつらがエミリアに話がしたいと言っている。どうする?」
兵士に囲まれたリーノと友人達がこちらを見ている。どうやら自分達の言い分を兵士に理解してもらうために話をしたいようだ。
「俺も同席させてもらうぞ」
学園長達との話を済ませたランドルフとリベリオも合流し、一緒に話をすることになった。
ただ、彼らが話をしたいと言っていても、ランドルフもリベリオもそのまま話などさせる気はない。エミリアとセストの前に立ち、三人に冷ややかな声で話しかけた。
「警護妨害をしたのはおまえ達か」
ランドルフに睨みつけられて、リーノも友人達も気まずげに視線をそらした。
「マルテーゼ嬢と話がしたかったのだとは聞いた。だがそもそも、おまえ達がどれだけ彼女に失礼なことをしたかわかっているか? 彼女は伯爵令嬢であり、バージェフ侯爵家嫡男の婚約者だぞ。親しい男友達に道端で話しかけるのとは訳が違うだろう! 馬鹿者が!」
ランドルフに怒鳴りつけられ、三人は目を丸くして息を飲んだ。
「す、すみません。女性に話しかけたことがなくて」
「考えていませんでした!」
剣の鍛錬ばかりをしていて女性と接して来なかった彼らは、身分の高い独身の女性と話がしたい時は、警護がいるならば警護の者にまず話を通し、時間と場所を指定して、改めて席を設けるという手順が必要なことを忘れていた。
教室や食堂で、他にも大勢の生徒がいる時に話をするのは例外だが、人気のない道で警護を押し退けて御令嬢に近付こうとするなど、まともな騎士のする行為ではない。
もちろん親しくもない男三人と会うのに、エミリアがひとりで来るわけがない。婚約者や信頼出来る友人を連れてくるのは当然だ。
それは身の安全を確保するためでもあり、変な噂をたてられないように自衛するためにも必要なことなのだ。
「学園の意義って、社交のルールを学ぶことじゃありませんでしたっけ?」
「全く役に立っていないな」
「彼らがわかっていないのはそれだけじゃないんです」
ランドルフの横からエミリアも彼らに近付いた。もちろんすぐ横にセストがいる。
「私とあなた方と身長差はどれくらいありますか?」
「え?」
彼らは互いの顔を見合わせた。
「腕の太さの差は? 手の大きさの差は? 力の差はどれだけあると思いますか?」
騎士団に入るために毎日鍛えている男性達だ。腕も太く胸板も厚い。話をする時、エミリアは見上げなくてはいけない。
「騎士団に入るために剣の稽古をして鍛えているあなた方は、人を傷つける力を持っていることを自覚してください。私は恐怖を感じました。私を警護してくれている三人が怪我をしたらと心配でした。力づくで近づいてくる人と話しなんて出来ません」
戦う術を持たない人や女性達から、時に自分達が恐怖の対象になるのだと、それまで彼らは考えたこともなかったのだろう。自分達のしたことが騎士団の足を引っ張ることになるのだとようやく気付いて、がっくりと肩を落として項垂れた。
「特にリーノ・ロザト。おまえはマルテーゼ嬢に近付かないでくれと言われていたのに警護妨害をしたな。騎士団長が陛下から注意を受けているのも知っていただろう」
「……はい」
ランドルフに言われ、リーノは俯いて唇を噛んでいる。ぐっと握り締めた拳が震えていた。
「おまえ達は改めて事情聴取する。襲撃者と共犯という疑いもあるからな」
「そ、そんな」
「親元に連絡は?」
「すでに終えています」
「よし、彼らも王宮に連れていけ」
「待ってください!」
兵士に腕を掴まれたまま、王太子の指示を遮り、リーノがエミリアを睨みつけた。
「なぜ? なぜ私じゃ駄目なんだ? 騎士の私より、なぜバージェフがいいんだ?」
リーノとクレオは似ていると、その時初めてエミリアは思った。
相手の気持ちを理解しようとしない。自分の言葉で相手がどう思うのか。相手が傷つくかどうか、立場がどうか、何も考えずに自分の気持ちをぶつける。
ふたりとも心が幼いままだ。
これでは父親の騎士団長が処罰されるのは、自業自得だろう。
「騎士がどうとかアサシン職がどうとか、全く興味がありません。くだらない」
「……は?」
今のこの状況で、そんなことを聞いてくるリーノに、エミリアはかなり怒っていたので言葉に遠慮がない。
「私は、セスト個人が好きなんです。バージェフ家だから好きなんじゃないんです! それと同様に、あなた個人が嫌いなんです。騎士団の皆さんとは関係ないんです! これ以上、私とセストの邪魔をしないで!」
そして怒りのため、皆の前ではっきりと告白している事に気付いてなかった。
「ああ、うん、わかったから、おまえはゆっくりとセストと王宮に来い」
「私は王太子と一緒に行きます。このふたりと一緒は遠慮したい」
ランドルフとリベルトは、話を急に打ち切ってさっさと歩き出してしまった。
「え?」
「私達、同じ馬車に乗るの?」
「……警護だからしかたないでしょ」
ジーナとフローラもエミリアに背を向け、小声で何か言い合っている。
「あの、どうしたの?」
突然機嫌のよくなったセストに、おぶさるように背後から抱き着かれたまま、エミリアは訳がわからずにおろおろと警護をしてくれる友人達に近付こうとして、距離を取られてしまった。
嫌いだと宣言されたリーノは、さすがにこれ以上何も言う気になれないようで、友人達と一緒に兵士に連れられて行った。
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