第19話
「……クレオ」
今度は妹の方のお出ましだ。
先日彼女と一緒にいた取り巻きのうちのふたりは、上手く逃げ出せたのか今日はいない。一番おとなしそうな子だけが、今日も泣きそうな顔でクレオの後方で俯いている。それ以外の三人は初めて見る顔だ。
三人共、あまり高価ではないドレスを着ている。クレオの着ているドレスと比べると違いは明らかだ。
しかし三人ともすらりと背が高く、スタイルがよく、少々化粧が濃い目だが思わず振り返りそうなほど美人だ。
「あんな生徒いたかしら?」
「……もしかして」
フローラの顔つきが変わったのを見て、エミリアとジーナも気を引き締めた。
「あらエミリア。今日も大袈裟に警護を連れて歩いているの? たかが伯爵令嬢が、何を勘違いしているのよ」
扇を口元に当て、クレオが勝ち誇った顔で言っているのに、エミリアは聞いちゃいない。小さな女性用のバッグに手を入れて中を探り、球状の何かを取り出してぽいぽいっとクレオ達一団の左右に投げつけた。
地面に落ちたそれは、どんっと大きな音をたてたがそれだけだ。特に何も変わったことは起きていない。
「あなた、何をしてるのよ。馬鹿にしているの?!」
すっかり頭に血が上り、閉じた扇を振り上げてエミリアに近付こうとしたクレオを、ジーナが手首を掴んで止め、腕を背中側に捻り上げ、邪魔そうに脇に押し退けた。
「きゃあ」
よろめいたクレオは、普通であれば、そのまま体勢を崩して地面に倒れ伏すはずだった。だが、彼女は見えない壁に正面からぶつかり、衝撃に顔をしかめた。
「見えない壁?!」
「くそ。他のふたりは殺してしまえ。錬金術師だけ連れ帰る」
令嬢とは思えない口調で言いながら、長身の三人がナイフを構えた。
「な、なんで?! きゃー!」
すぐ横にいる令嬢が突然刃物を取り出したのを見て、パニックになった取り巻きの令嬢は、見えない壁があることを忘れて逃げ出そうとし、激突してその場に
「わ、私を突き飛ばした……」
クレオは自分が何にぶつかったのか理解出来ていないようだ。ただジーナが自分に反撃してきたことが信じられず、ぶつけた額と鼻を真っ赤にしたまま呆然としていたところに、取り巻きの悲鳴に我に返った。
「あんた達なんとかしな……」
クレオは命令しようと振り返り、今日初めて会った三人の令嬢が刃物を持っていることに気付いた。
まともな神経ならこの状況に恐怖を感じるか、自分も共犯者だと思われるとまずいと焦るだろう。だがクレオはもうまともな状況ではなかった。
「あいつをやって! あの女の顔を引き裂いて!!」
エミリアを指さして大声で叫んだのだ。
たしかに校舎の裏側はあまり生徒の通らない場所だ。中庭までは距離がある。
だが、今は休憩時間で廊下にたくさんの生徒がいた。悲鳴が聞こえれば何事かと窓の外を見るだろう。
その生徒達が全員、クレオがエミリアを指さして叫んだ言葉をしっかりと聞いていた。
「よいしょ」
そこで再びエミリアが、今度は何かを校舎の壁に投げつけた。
それはぺとっと壁にくっつき、
「ギギギギギギギギギ……」
もうすぐ命が尽きようとしているセミが、最後の力を振り絞って羽根を震わすような、学園の外にまで聞こえそうな大きな耳障りな音をたて始めた。
「この!」
「ひぇ……」
殺気立って駆け寄ろうとした相手に、急いでバッグに手を突っ込み、再び掴んだ物を投げつける。
今度は水魔法の魔道具だったらしく、地面に当たった衝撃でばしゃんと大きな水しぶきをたて、かなりの量の水が放出された。
「あ」
「何を投げたのよ!」
火事になった時に、投げるだけで水魔法が発動すると消火に便利かなと試しに作った魔道具が、バッグの中に入ったままになっていたらしい。
波のように押し寄せる水の勢いが強く、立っていた襲撃者三人はよろめいて転んだり膝をついている。クレオと取り巻きの子は、頭から水を被り、校舎の壁際まで流されてしまった。大惨事だ。
「今のうちに逃げるわよ」
「後方と合流ね」
「距離を取って……え?」
まさか水をぶっかけられるとは思わず、相手が呆然としている隙に、ジーナとフローラはエミリアの手を引いて駆けだした。
「まだ魔道具が……」
「あんた、使いたいだけでしょう!」
さすがフローラ。もうエミリアの性格を把握している。
「逃がすか!」
「まずい、早く!」
見物人がいる場所で凶行に及んだのは、このまま逃げて国を出て行く算段だったからだ。錬金術師さえ
クレオを巻き込んでこの場に放置することで、捜査を攪乱出来るだろうという計算もあった。
まさかエミリアが逃げようとするよりも先に、自分達を逃がさないように壁を作り、反撃してくるとは思ってもいなかった。
ただ、その結界は万能ではない。
ほんの何分かだけ時間を稼ぐためのものなので、実はもう壁は消えている。
エミリアはただ、持っていたから投げただけだ。驚かせて時間をちょっとでも稼げれば、戦いやすい距離が取れるかもしれないと、ちらっと思ったのもある。
「燃やすか凍らせる?」
「やめなさい」
言われた通りおとなしく逃げ出したが、あいにくエミリアは全力疾走した経験がない。令嬢はそんな経験はしないものだ。冒険者とダンジョンに潜っていただけあって、それでも一般的な令嬢の中では鍛えている方だが、警護のジーナや平民の生活をしてきたフローラに比べると足が遅い。
それに比べ、追手の三人の令嬢はびしょ濡れになり、髪が額や頬に貼り付き化粧も流れかけた顔で、片手にナイフを構え、もう片方の手でスカートを捲り上げ、ものすごい勢いで追いかけてくる。
これは逃げきれないと思った時、二階の窓から飛び降りた男子生徒が、そのまま一番前を走っていた長身の令嬢を蹴り飛ばした。
「セスト?!」
まさか上から攻撃されると思わなかった相手は、なんの抵抗も出来ずに吹っ飛ばされ、街路樹と街路樹の間を飛んでベンチの背凭れに激突した。
「うわ、女相手にも容赦ない」
フローラがドン引きしている間に、セストは次の令嬢がナイフで切り掛かってきたのを体を捻ってかわし、武器を持つ手首と腕を掴んで、あとから駆け寄ってきたもうひとりの襲撃者めがけて投げ飛ばした。
いくら仲間だとはいえ、スカートがめくれ上がり、どちらが頭かわからない状態で人間の身体が降ってくれば、誰でも反射的に避ける。だが、避けたところで捕まることに変わりはなかった。
慌てて逃げた襲撃者も、投げ飛ばされて地面に落ちて全身を打って呻いている襲撃者も、一階や二階の窓から飛び出してきたバージェフ家の者や、王太子の警護の者達に確保された。
「五人全員捕まえろ!」
「やめてよ! 私はクレオ・ロザトよ!」
「だからなんだ?」
指示を出していたのはランドルフ王太子だ。彼もセストを追って二階の廊下から飛び降りたようだ。
「おまえは父親から、エミリアに近付かないように言われなかったか? こいつらはおそらく隣国の襲撃犯だぞ。それを手引きして、行動を共にするとは」
「そ……んな、私、知らなくて……」
「話は後で聞こう。しばらく牢で過ごすことになると思え。騎士団長が助けてくれると思うなよ。おまえのせいで彼は職を失うだろう」
「わ、私は悪くないわよ! あの女のせいよ!」
この期に及んでも尚、クレオには自身の行動を反省することが出来ないらしい。警備兵に連行されながら、ずっと大声でわめいていた。
「なんであんたがここにいるんですか。ご自分の立場を考えてください!」
騎士団長の今後を考えてランドルフがため息をついていると、リーノ達を連れて追いついたリベリオが駆け寄ってきた。
「そう言うな。俺ほど便利な男はいないぞ」
たしかにランドルフに逆らえる者はおらず、騎士団長の娘であってもクレオは連行され、巻き込まれた取り巻きの令嬢はバージェフ家の女性の護衛に支えられ、医務室で休むことになった。襲撃者三人組は王太子の警護の者と学園の警備兵に捕らえられている。
「こいつ、男だぞ!」
セストに蹴り飛ばされ気絶していた令嬢を抱え上げようとした騎士が叫んだ。
「え? こっちは?」
「こっちのふたりは、たぶん女性だ」
手の大きさや喉ぼとけは隠せない。女装していた男は顎まで届く高い襟のドレスを着ていたが、他のふたりは普通のドレス姿だ。
「彼が男だとわかっていたの?」
「彼?」
容赦ない蹴りに引いていたフローラが尋ねたが、セストにはよく意味がわからないようだ。
「蹴り飛ばしたやつよ」
「敵の性別なんて知るか。武器を持って襲ってきたら、性別なんて関係ない」
「そ、そうね」
投げ飛ばした相手は女だったのだから、彼としては本気でどうでもよかったようだ。
「普段は当然、女性を殴ったりしないし、男も殴らないぞ」
「そうよね。うん、ごめん」
確かに普段は目つきの悪さで受ける印象とは違い、物静かなセストだ。だから余計に女性に飛び蹴りした姿に驚いたのだ。
「怒らせるのはやめよう。こわいこわい」
「怒ったくらいで友人を蹴り飛ばすわけないだろう」
冗談半分で言った言葉に真顔で返され、フローラは驚いてセストの顔を見上げた。
「友人だと思ってくれていたんだ」
「エミリアを毎日守ってくれているんだ。信頼もするさ」
「あんた、ホントにブレないわね」
エミリアの味方は大事にし、エミリアの敵は容赦なくぶっ潰す。
仕事以外でのセストの行動は、たいていエミリアが基準になっているようだ。
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