第18話

 それから一週間ほどは、特に何もない学園生活が続いた。唯一の変化は、リーノがたびたびエミリアに声をかけてくるようになったことだ。

 エミリアの行動を調べ、わざわざ会いに来ているのだろう。でなければ、今までは何日かに一回見かけるくらいだったものが、一日に何回も顔を合わすようにはならない。


「エミリア、おはよう」


 声をかけてくると言っても、挨拶をしてくるだけだ。

時にはそのあと世間話を振ってくることもあるが、エミリアの周りには警護の者がいる。一定の距離までしか近付けないし、エミリアは毎回、相槌あいづちを打つだけで自分からは話題を振らないので、一方的に話しているだけだ。


 声をかけてくること自体は悪いことではない。挨拶をするのは当たり前の行為だ。しかしセストがいてもまるで気にしないで声をかけてくるため、彼の目つきが悪くなるのは止められない。

 セストはまだいい。視線で人が殺せるなら、リーノは一日に二回は死んでいるが、睨むだけだ。問題はクレオだ。


「また睨んでいるわよ。今日も怒鳴りつけに来るんじゃないの?」

「ひどい八つ当たりよね」


 フローラとジーナだけではなく警護の担当になる全員が、クレオが近づいてくると対応しなくてはいけなくて迷惑をこうむっている。特に騎士団から派遣されてきた騎士は、相手が騎士団長の娘なので非常に微妙な立場になってしまっていた。


「エミリアは……もう本当にいいの?」


 昼食時、今日はひさしぶりにエレナも同席して一緒に食事をしていた。

最近はロザト兄妹との騒動に巻き込みたくなくて、エレナとは別行動してジーナやフローラと三人でいることが多かったのだ。


「なにが?」

「ロザト様のことよ」


 身を寄せて小声で囁かれて、エミリアは笑顔で頷いた。


「大丈夫。もうふたりとも知っているから」

「え?」

「ロザト様がセストも殿下もいる前で、私が彼を見つめていたことを暴露しちゃったの」

「……うそ」

「見つめていたのは気付いていたのに、名前も知らなかったのよ。全く興味がなかったってことでしょ。それなのに今になって毎日声をかけて来るの」

「なんで?」


 セストに対する嫌がらせなのか、優れた錬金術師と聞いて急に興味がわいたかのどちらかだろう。最近可愛くなったから好きになったと言われたら、ふざけるなとぶっ飛ばしてしまうかもしれない。


「やっぱり憧れと恋愛は違うのね」

「そういえば、あなたのほうはどうなの? 憧れていたわよね?」


 エミリアがリーノに憧れていたように、エレナはリベリオに憧れていたはずだ。


「え? あ……私は……」


 一気に顔を赤くしたエレナを見れば、なんとなく答えはわかる。


「え? 誰に憧れているの?」


 だが、事情を知らないフローラとジーナは、新しい恋の話に大喜びだ。


「もう憧れてはいないのよ。会話するようになって友人になったら、憧れてはいられないわよ。相手のことを知らないで遠くから見つめて、勝手に自分のいいように想像していたのが、もう悪いところもいいところも知ってしまったんですもの」

「それでもそんなに真っ赤になったっていうことは」

「好きになっちゃったのね」

「あなた達、楽しそうね」


 珍しくエミリアが突っ込み役になってしまっていた。


「でもたぶん、このままだと思う。いいお友達のまま」


 エレナは友達の盛り上がりように苦笑し、俯いてため息をついた。


「せっかく知り合いになれて、友達と言っていいくらい話も出来るようになったんだもの。今の関係がいいの」

「うーん。たぶんジャンかリベリオよね?」


 ここまで話を聞けば、なんとなく相手は絞られてくる。フローラの問いにジーナはあっさりとリベリオだろうと正解を言い当ててしまった。


「それは……なかなか厳しい相手ね。意外といいやつみたいだけど」

「意外とは余計よ。セスト様のお友達でもあるのよ」

「ジーナ、あなた、セストが好きだったとかそういう……」

「ないわね。あそこまではっきりとエミリアしか愛せない相手を好きになるほど、マゾじゃないの」


 たいていの人はそうだろう。

 フローラもジーナの意見と同じく、セストを恋愛対象には出来そうにない。

 今まで離れていた反動なのか、今ではアルベルタにべったりのランドルフもだ。


 それでもあきらめない不屈の精神の女性がいるのが困ってしまう。

 自分が邪魔者だと、どうしても理解出来ないらしい。


「また睨んでいるわよ」


 昼食が終わり教室に戻る途中でジーナが示した先では、いつもの取り巻きに囲まれたクレオが凶悪な顔でこちらを睨んでいた。


「せっかくの美人がひどいな」

「あれって騎士団的にはどうなんです?」

「陛下から騎士団長が注意されたそうだ。それで今日は関わって来ないんだろう」


 クレオからしたらエミリアの周囲にいつも騎士団がいるのが、まず気に入らない。素敵な騎士をいつもはべらせて、特別待遇を受けていると思っているからだ。身の危険なんて嘘だ。あんな冴えない娘を誰も狙うわけがないと思っている。

 それだけでもむかつくのに、王太子もセストもエミリアには優しい顔をする。最近では兄のリーノまで、エミリアに何かと声をかけていると噂になっている。


 本当ならエミリアの待遇は、自分こそが受けるべき特別扱いなのに、あの女は男達を騙して不当に居座っているというのがクレオの意見だが、誰も自分の話を聞いてくれない。

 とうとう父親まで、エミリアには関わるなと言ってきた。

 今まではクレオの欲しい物をなんでもくれた父が、エミリアに近付いたら領地の屋敷から出さないと言い出したのだ。

 様々な鬱憤うっぷんが溜まり、もう表面を取り繕わなくなっていた。彼女がちょっと近付いただけで警備の者達が思わず反応してしまうほど、クレオの顔には悪意が満ちていた。


「ねえ、リーノ・ロザトにエミリアに近付かないように言った方がよくないかな。あいつがエミリアに近付くのもクレオは気に入らないんでしょ?」


 フローラに言われても誰も笑えないほど、クレオは危険な存在になっていた。


「だったら自分の兄なんだし、私に近付かないようにロザト様に言ってくれればいいのに」


 警護をしている者達はピリピリしているのに、睨まれている当人が一番のんびりしている。でもさすがにこの状況はまずいとは思ってはいた。

 それでその日の放課後、わざわざ駆け寄って声をかけてきたリーノに、エミリアも足を止めて自分からも近づいて会釈した。


「ロザト様にお願いがあります」

「……なんでしょう?」


 エミリアを挟んでフローラとジーナが立つ。彼女達の表情からして楽しい話ではなさそうだと察して、リーノの顔が強張った。


「明日から、私を見かけても声をかけないでください」

「……っ。セストに言われたのか?!」

「あなたの妹のせいよ」


 むっとして反射的に聞いたリーノにジーナが答えた。


「……クレオは、マルテーゼ嬢には近付かないように父に言われている」

「騎士団長がわざわざ注意しなくてはいけないほど、あなたの妹はエミリアに敵意を向けているの。その原因のひとつがあなたである以上、あなたが近付くのは、エミリアの迷惑にしかならないとわかるわよね?」

「だったらセストもそうだろう」

「……本気で言っているの?」


 確かにセストがエミリアに近付くことも、クレオは気に入らないのだろう。でもふたりは婚約者だ。邪魔者はクレオなのだ。

 フローラとジーナだけではなく、護衛についていた騎士達からも迷惑そうな顔を向けられ、さすがにリーノもこれ以上はまずいと気づいたのだろう。


「……マルテーゼ嬢は俺に声をかけられるのは迷惑なのか?」

「はい。妹さんがこわいですし、私が好きなのはセストです。余計な波風を立てる行動はやめてください」

「そうか。……わかった」


 エミリアにもはっきりと拒絶されて、リーノはようやく頷いた。


 だが、兄の態度が変わったからと言って、今までのクレオの鬱憤が急に消えるわけではない。それに、兄が自分からエミリアなんてつまらない女だったと態度を変えたのならいいが、エミリアが近寄るなと文句を言ったと聞いては、クレオの怒りは収まらない。


 それでもクレオが殺気立っている以外には何事も起こらない日々が続いたため、学園側から、いつまでもエミリアにだけ護衛がついていることを、認めるのはどうかという意見が出て来た。生徒の中のバージェフ家の者が、警護につけば充分ではないかというのだ。

 護衛が必要なほど危険があるのなら、うちの子供にも……と言い出す保護者が出始めているのもあり、騎士団からの警護は中止になった。


 ただこれは時期が悪かった。

 エミリアが優秀な錬金術師だという事は、生徒達に浸透するより早く、騎士団の中で広まっていた。実際に助けられた騎士が何人もいるのだ。口止めされていてもちょっと調べれば、エミリアが特級ポーションも作れる錬金術師だという事実に辿り着く者が出てきても不思議ではない。


 騎士にとって怪我はつきものだ。死の危険だって身近だ。

 彼らにとって特級ポーションを作れる錬金術師は、神のようなものだ。

 

 でも神はバージェフ家に嫁ぐらしい。

 リーノ・ロザトが怒らせ、近づくなと言われたらしい。

 騎士団の者が警護から外されたらしい。

 次々と噂が流れてきた。

 

 さらに最近、夕刻の何時間かだけ騎士団病院に現れる可愛い治癒師の事が話題になっていた。

 なんてことはない、髪をぴしっと結い上げ、出来る侍女風の化粧をしたフローラが、罪をあがなうための奉仕活動の一環として、ララという偽名で治癒師の仕事をしていたのだ。

 王太子を取り込むために利用されかけたほどの美人だ。

 演技をやめ、本来の性格に戻った彼女は気さくで明るい。

 しかも高級ポーションと同じ治癒能力を持つという優秀さだ。天使のようだと騎士達に大人気になった。


 そんな時、エミリアの警護をしていた騎士のひとりが病院に顔を出して、ララがバージェフ家の者で、学園でエミリアの護衛をしていた子だと気づいた。

 天使は神を守るのが仕事らしい。

 ふたりともバージェフ家の関係者なら、ロザトに怒って彼女も病院に来なくなってしまうかもしれない。

 ポーションも治癒師も当てに出来なくなったら、騎士団はどうなるんだ?

 という話題が、いっせいに騎士団内に広がった。


 もちろんどうにもならない。

 国立錬金術研究所が必要な分のポーションは作っているので、充分に数は足りている。治癒師だってこの国には何人もいるし、フローラがどこで仕事をするかは国が決めることだ。バージェフ家が病院に行くなと言い出すなどありえない。


 エミリアやフローラの話題が出ても、正規の騎士団に所属するほどの年齢の者達はその辺の事情もわかっているので、神が! 天使が! と言っていても、冗談で言い合っているだけだ。

 どうせなら可愛い女の子が職場にいてくれるとありがたいと、その程度の話題だった。

 むさい騎士団では、その程度が実は切実だったりはするが。


 だが、先輩騎士団の話を聞き及んだ学生は、切実な雰囲気を本当にやばいと捉えた。

 このままだと騎士団の怪我人の治療に支障が出るかもしれない。それはリーノ・ロザトがバージェフ家を怒らせたからかもしれない。

 だったらエミリアに直接謝って、許しを得た方がいい!


 まだ十七や十八の学生だ。騎士団の者はもう学園に入れないのだから、自分達がどうにかしなくてはと思い込んでしまった。

 リーノだとて、騎士団長の息子なのに、自分のせいで騎士団に迷惑をかけるわけにはいかない。三人の友人達とエミリアに詫びに行こうという話になった。


 昼食後、エミリアはいつものようにジーナとフローラに囲まれて、校舎の裏側の道を歩いていた。今日は午後から魔法の授業があるので、特別室のある校舎に行かなくてはいけないのだ。

 騎士団の者が来なくなった代わりにエラルドが警護に戻り、ジャンとリベリオも同じ授業を取っているので同行している。いつものメンバーだ。


 校舎の表面側に教室があるため、校舎の裏は廊下側だ。次の授業まで時間があるので廊下を行き来する者も多い。

 ただ魔法の授業は必須科目ではないので、特別室に向かう生徒はそう多くないうえ、他の生徒の迷惑にならないように早めに移動しているため、エミリア達の周りには他に誰もいない。

 校舎横には小さな花壇が並び、女性が三人並んで歩けるほどの道があり、街路樹が植えられて道と中庭を区切っている。中庭のベンチでは何人かの生徒が食事を楽しんでいるようだ。


 「マルテーゼ嬢!」


 おしゃべりしながら小径を進んでいると、後方から名を呼ぶ大きな声が聞こえた。聞いただけで誰の声なのかここにいる全員がわかるほどに、頻繁に話しかけてきて迷惑な声だ。近寄るなと言ったのに、もう忘れてしまったらしい。


「彼女に大事な話があるんだ!」

「近づかないでくれと話しただろう」

「邪魔をしないでくれ。おまえ達に用はない」

「俺達は彼女の護衛だ」


 後方にいたリベリオ達三人の男子が相手をしてくれているが、ロザト達は彼らを押し退けて近付いて来ようとしている。


「話をするだけだ。騎士団の話だ」

「騎士団とは何もかかわりがありません」

「それでは困るんだ!」

「いいから先に行け」

「行こう、エミリア」

「ララ!! きみにも話があるんだ!」


 大きな声で偽名を呼ばれ、フローラは急いでエミリアの手を引いて歩き出した。ララという名を知っているということは、ロザトだけではなく他のふたりも騎士団関係者だ。


「バージェフと騎士団の確執ってそんなにひどいの?」


 エミリアには騎士団に恨みを買う心当たりがない。

 それでバージェフ侯爵家絡みかと思ったのだが、


「いいえ。聞いたことないわ。なんなの? あいつら」


 ジーナも心当たりはないようだ。


「フローラは治療に行っているんですもの。お礼を言いたいんじゃない?」

「あの怖い顔で?!」


 ここで彼女達と話せずに終わり、また騎士団に苦情を言われたら大変なことになる。三人とも必死の形相だが、その顔では詫びに来たと思うわけがない。

 警護役をしている三人はエミリアを守らなくてはと必死で、リーノ達は邪魔者を排除しようと半ば取っ組み合いだ。

 

 一方、彼らの邪魔にならないように、先に教室に駆け込もうとしたエミリア達三人は、突き当りにある目的の校舎の目前で、不意に横の道から出てきた五人の令嬢に行く手を塞がれた。

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