第14話

 バージェフ侯爵家には何度も訪れているので、知り合いも少しは増えた。

 来るたびに畑や作業場のチェックや、必要な物の買い出しに行ってしまうため、顔を合わせる相手が少数なのは仕方ない。

 すでにエミリア用に部屋を用意してくれていて、案内された時はなかなか居心地のいい部屋で嬉しかったのだが、隣がセストの部屋だと聞いて、意識してしまって使えなくなってしまった。

 まだ婚約中で学生だというのに、部屋まで用意して、研究もここに泊まってやればいいと勧めてくる執事や護衛がいるということは、さっさと既成事実を作って逃げられないようにしたいと思っている者が多いのだろう。

 セストが幸せになって、ポーションも安定して手に入るのだから、バージェフ家の者にとってエミリアは、絶対に逃がしたくない相手だ。


 ただエミリアは、セストの隣の部屋は恥ずかしいくらいしか思っていない。

 あのセストがたいして魅力のない自分に、婚姻前から手を出すなんて全く考えてもいなかった。


 セストに案内されたのは敷地内にある別館の四階の部屋だった。こちらはバージェフ家でアサシン職や護衛任務について学んでいる者達の住居棟で、護衛も見張りも出来る者達が、いつでも必ず建物内にいる。その中でも四階は訳アリの者を匿ったり、捕えた者を一時的に隔離しておく場所でもあった。

 部屋は簡素な造りで、ベッドがふたつと小さなテーブルセットがあるだけだ。それでもシーツもカーテンも清潔で、奥には浴室やトイレもある。

フローラが犯罪者として地下牢に繋がれていたらどうしようかと思っていたので、エミリアは室内の様子を見てバージェフ侯爵家に心の中で感謝した。


「本当に来てくれたんだ」


 簡素なドレスを纏い、髪が乱れていてもフローラは可愛らしかった。媚びるような表情や笑みがなくなった分、以前より魅力的に見える。


「来たけれど、あなたのお母様を治せるかどうかはわからないわ」


 入り口を入ってすぐの場所に立っているエミリアには、奥のベッドに誰かが寝ていることしかわからないが、おそらくあそこにいるのがフローラの母親なのだろう。

 ベッドのすぐ横に、白衣を着た男性が立っている。エミリアの背後にも窓際にも見張りの男がいるので、部屋の人口密度はかなり高い。


「毒だったの。医者がくれた薬が毒だったの! 私、知らなくて、毎日かあさんに毒を飲ませてたの!」


 両手で顔を覆い、その場に蹲って泣き出したフローラを慰める者はこの場にはいなかった。プロ集団は、自分の役目を果たすだけだ。エミリアもまた、一流のプロだった。


「なんの毒かわかっていますか」

「筋肉を徐々に麻痺させる毒です。歩けなくなり、体が動かなくなり、内臓や心臓が動かなくなる。でも、娘を働かせるために簡単に殺すわけにはいかなかったんでしょう。幸いなことに毒はかなり弱く、お金がないからと飲んだり飲まなかったりを繰り返していたおかげで、症状はそれほど進んでいないと思われます」

「筋肉系だとB系の解毒ポーションでいいかしら」


 いつもの黒い鞄を受け取ろうとしたが、セストは鞄をさっと反対側の手に持ち替え、エミリアが伸ばした手を取って歩き出した。


「え? あの……鞄……」

「その机をこっちに」


 全くエミリアの苦情は取り合ってくれないらしい。見張りのひとりにテーブルを移動させ、その上に鞄を置いたセストは、さあどうぞと言いたげにエミリアをテーブルの前に導いた。


「この屋敷にいる間、きみの護衛は俺だ。傍を離れようとするな」

「私に護衛?!」

「フローラの魅了が意味をなさなかったのもきみのせいで、彼女を助けて、母親の毒を消すのもきみなんだぞ。相手からしたら一番の邪魔者だ」

「なるほど」


 言われるまで気にしていなかったが、たしかに相手のやることを、ことごとく無駄にしているのはエミリアだった。


「普通の解毒ポーションでは強すぎて、内臓が傷つくかもしれません。毒のせいで食欲が減り、体がだいぶ弱っています」

「じゃあ、高級……フローラさんに回復してもらいながら飲ませたらどうですか?」

「やります! 私……」

「駄目だ。彼女は魔法の使用を禁止されている」


 立ち上がり駆け寄ろうとしたフローラとエミリアの間に、セストが割り込んだ。


「エミリアに近づくな」


 フローラに対してもセストは警戒心を緩めない。

 

「……わかったわ」


 フローラはぐっと唇を噛んで俯いた。


「そ、そうなのね。ポーションありますから」


 一気に張りつめた部屋の雰囲気に、余計なことを言ってしまったと引き攣った笑みで誤魔化し、医者の方に顔を向ける。


「体が弱っているなら、徐々に解毒するといいんじゃないですか?」

「そうですね。ではこれを飲ませてから……」

「徐々にってどれくらい? かあさんはその間に死んだりしないでしょうね」


 フローラは目の前のセストを押し退けてエミリアに詰め寄ろうとしたが、セストはびくともしない。すぐに見張りの男が駆け寄り、フローラを羽交い絞めにした。


「離してよ!」

「三日くらい」

「え?」

「だから三日くらいで解毒出来るわよ」

「三日?」


 呆然とした顔でエミリアを見ていたフローラは、へなへなとその場に座り込んだ。


「ごめん。あの医者みたいなことを言うから、また騙されるのかと思って」

「毒を薬だって言って渡した医者ね。捕まえたの?」

「いや、彼女が拘束されたと聞いて逃げたらしい」


 フローラを言いなりにするために、何人もの人間が動いていた。

 これでは十七歳の少女には抗いようがなかっただろう。

 

「狙いは殿下だったの?」

「それがわからないらしい」


 ふたりの視線を受けて、フローラは泣き出しそうな顔でへにゃりと笑った。


「王太子に近付けたら、改めて指示をすると言われていたの。殺害は命じられていないわよ。そんなこと出来ないって言ったら、最初からそんなことは考えていないと言っていたもの」

「殿下を操って、何かさせる気だったのかしら」

「その可能性もあるな」


 はっきりと姿のわからない不気味な影がすぐ近くで様子を窺っているような、言いようのない不安を感じてエミリアは自分の腕を擦った。鳥肌が立ったのか寒気がしたのだ。


「俺達は行こう」

「……そうね」

 

 必要な分のポーションを医者に渡して、エミリアはセストと一緒に部屋を出た。


「医者はどうしてフローラが拘束されたことを、そんなに早く知ることが出来たのかしら」

「学園に何人か手の者を潜り込ませているんだろう」

「学園!?」


 あの時周囲にはたくさんの生徒がいた。あの中の誰かがフローラを見張っていた敵の仲間だと思うと、大勢の生徒のいる場所に行くのがこわくなってくる。


「あ、そういえばラウルに荷物を頼んだんだった。無駄になっちゃったわ」


 手持ちのポーションが使えたので、ラウルに頼んだ材料はいらなくなってしまった。

 フローラへの聞き取りは宮廷から派遣された者に任せ、セストとふたりで一階に下りた時に、たまに王宮で見かける護衛の男が建物に駆け込んできた。


「ああ、ふたりともここにいましたか」

「どうした」

「神殿で神官達が、毒にやられて大勢倒れているそうです」


 どうやらまだ家には帰れないようだ。


「荷物、無駄じゃなかったかも」


 エミリアの呟きに、セストは苦笑いを浮かべた。

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