第12話
「授業までまだ時間がある。サロンにでも行こうか」
馬車から降りてきたランドルフは上機嫌だ。
エミリアに気付いて笑顔を向けたアルベルタも、幾分顔が紅潮している以外はいつもと変わりがない。
ただ、明らかにふたりの距離が近かった。
「そ、そうですわね」
エミリアがアルベルタと親しくなってから今まで、彼女とランドルフが肩を並べて歩いているところなど見たことがなかった。
でも今は腕が触れ合うほどの近さで並び、ランドルフはアルベルタの肩に手を回し、話す時に聞き取りにくいのか身を屈めて顔を寄せ合って話しているのだ。アルベルタは、すっかり真っ赤になってしまっているが、嫌がってはいないようだ。
「すっかり仲良くなったんですね」
「ひとつ気になる事があるんだが」
王太子達の後を歩きながら、セストが唐突に言い出した。
「リベリオには敬語ではないし、呼び捨てなんだそうだな。なぜだ?」
「え?」
「なぜ婚約者の俺は敬語で、様をつけるんだ?」
「と……年上だから?」
なぜかと言われれば、同じクラスで仲間が親しくなるうちに敬語なんていらないよ、呼び捨てでいいよと言い合うようになって、その場にエミリアとリベリオもいたから自然とそうなっただけで意味はない。
毎日のように一緒に昼ご飯を食べているアルベルタやビアンカともすっかり親しくなって、もう敬語は使っていない。
「なら俺も、セストと呼び捨てにしてくれ」
だからセストの言い分もわかるのだが、唐突に言われると呼びにくいものだ。婚約者だからこそ意識してしまって呼びにくい。
「セ……スト……」
「よし」
満足そうに頷かれて、エミリアもアルベルタと同じくらい赤い顔で歩くことになってしまった。
王太子とアルベルタが仲良さそうに寄り添って歩く姿を学園で見かけるのは、全生徒にとって初めてのことだ。驚きにざわめく中を平然と歩いていく四人は注目の的だ。エミリアもすっかり注目される機会が増え、諦め半分開き直り半分で歩いていく。
「殿下! おはようございます! えー、先に行ったらずるーい」
そんな中、背後から空気を読まずに甘えた声がかけられた。
「一緒に行きま……」
急いで追いかけてきたのだろう。フローラは息せき切って話し始めてようやく、王太子が隣にいるアルベルタの肩をしっかりと抱き寄せているのに気付いた。
自分から王太子の腕に寄り添っても振りほどかれはしなかったが、一回も王太子から触れてきたことはないのにだ。
「殿下、その方は?」
「この国の貴族でありながら、私の婚約者を知らないとは勉強不足だな」
「婚約は解消されたんじゃ……」
「ほお、どこの誰がそんな馬鹿なことを言っているんだ?」
物騒に細められた目には、隠すことをやめた苛立ちが色濃く滲んでいる。フローラは、女性ふたりを守るように一歩前に出たセストをちらっと見てから、エミリアに視線を向け、上から下まで眺めまわし、馬鹿にしたように鼻で笑った。
「殿下、学園を案内してくださるんじゃないんですかあ。私、図書館に行ってみたいです」
「もう一週間は過ぎた。きみもこの学園に慣れて友人も出来ただろう。他の者に案内を頼んでくれ」
「そんな、もう少し殿下と一緒にいたいです」
ランドルフは胸に身を寄せようとしたフローラを、大きく一歩後ろに下がることで避けた。
「まさかと思うが、俺や俺の側近と親しくしようと思っていたなら無駄だぞ」
「え?」
「我が国は政教分離体制だ。神殿関係者と王族、または王族と近しい者の婚姻は許されていない。そもそもフロリアーナを称える神官達は一生独身でなくてはいけなくなかったか?」
王太子の言葉に驚いたのはフローラだけではない。アルベルタもエミリアも言われてみればそうだったと、ようやく神殿の在り方を思い出した。
この国はあまり神殿の力が強くなく、国教以外にもいろんな宗教があるためあまり気にしていなかったのだ。
「まさか……俺は本当に疑われていたのか」
「そんなことはありませんわ」
「その辺は、あとでゆっくり聞かせてもらおうか」
肩を抱いていた手を背中を滑らせて腰まで下ろし、ランドルフはアルベルタを抱きすくめた。
「こんなところで何をするの」
「ここでなければいいのか」
「そういうことを言っているんじゃないでしょう」
「王太子殿下って、セクハラ親父っぽいですよね」
エミリアがぼそっと言ったために、じたばたしていたアルベルタも、楽し気に彼女を抱きしめていたランドルフも、思わず動きを止めてエミリアのほうを見た。
「あ、いえ、つい」
「エミリア」
セストは口元を手で覆って笑いを堪えている。
もうすっかり四人共、フローラの存在を忘れていた。いつの間にか周囲に生徒が集まりだし、この状況を見れば誰が邪魔者なのかは一目瞭然だ。
「わ、私は聖女なんです!」
唐突にフローラが叫んだ。
「知っているぞ。だから結婚出来ないし王族に……」
「フロリアーナ教徒ではありません!」
「は?」
「神殿が勝手に聖女認定しただけで、私には関係ありません」
無茶苦茶なことを言い出したフローラの顔は必死だ。ランドルフに甘えて媚びていた顔はもうない。
「私は回復魔法だけではなく、呪いを解くことも出来るんです。セスト様の呪いだって解いてあげられます!」
皆の注目がいっせいにセストに向けられた。
「そしたら、そんな子なんて婚約者にしないで済むでしょう!」
その一言で、ランドルフだけでなくセストの目にも物騒な光が灯ったが、フローラはそんなことは気にしていないようだった。
「呪いを解いてあげます!」
「おまえは何を言っているんだ。俺の呪いは……」
「まあ待て。面白いじゃないか。やってみせてもらおう」
「ランディ」
不満の声をあげようとするアルベルタに任せておけと小声で伝え、ランドルフはエミリアに視線を向けた。
「どうだ、マルテーゼ」
「はあ。セストがいいのであれば私は特に何も」
セストの呪いは、一度誰かを愛したら他の者を愛せなくなる呪いだ。呪いで無理矢理エミリアを愛さなくてはいけない状況になっているわけではないのだ。呪いが解かれても、ふたりは普通の恋人同士になるだけだ。
「だそうだ。セスト、いいか?」
「かまわない」
一度エミリアの手を握ってから離し、セストはフローラの前に立った。
もう周囲にはかなり多くの生徒が集まり、何が起こるのだろうかと注目している。
フローラはほっとしたのか笑みを見せ、大きく息を吐いてから胸の前で両手を合わせて口の中で何事かを唱えた。徐々に手の間に淡い緑色の光が灯っていく。温かい光に照らされた可憐な姿はまさしく聖女のイメージだ。セストの目を見つめながら、フローラはそっと光る手で彼の腕に触れた。
「セスト!」
「大丈夫だ」
ランドルフが慌てて名を呼んだのは、セストの身体を見る見るうちに緑色の光が包んでしまったからだ。
だがそれも一瞬の事。光が消えたあとには、瞳が青い色に戻ったセストが立っていた。
「おお、瞳の色が戻っているぞ」
「自分ではよくわからないな」
額に手をやり首を傾げるセストの瞳を見て、周囲の女生徒は色めき立った。これで婚約は白紙になるかもしれない。
聖女の奇跡を見た興奮と、セストがフリーになった興奮で騒がしい中、フローラは鮮やかな笑みを浮かべてセストに近付いた。
「体調が悪いとか、おかしな感じがするとかはない?」
「いやべつに」
リーーーーン
鈴の音に似た音が響いてすぐ、何かが割れる音が響いた。
周囲の生徒はうるさくて聞き逃したかもしれないが、セストと、すぐ近くにいたランドルフとアルベルタ、そしてエミリアにはしっかりと聞こえていた。
「腕輪が!」
エミリアの作った魔道具だ。なぜ割れたかは明らかだ。
エミリアだけでなく、音の聞こえた者達はセストが腕輪をつける場に居合わせていたメンバーだ。
「フローラ。魅了を使ったな」
「え?」
「今、セストに魅了を使ったな。さっき割れた腕輪は装着者が魅了を使われた時に反応して音を出す魔道具だ。魅了は我が国で使用禁止の魔法だ。この者を捕らえよ!」
ランドルフの声に応え、周囲にいる生徒に交じって様子を見守っていた護衛達が駆け寄ってきた。
一瞬、逃げるそぶりを見せたフローラだが、見物の生徒に囲まれていて逃げようがない。
「魅了なんて使ってないわ! なんともないじゃない」
「高位貴族は耐魅了の魔道具をつけているからな。しかし考えたな。呪いを解いて魅了をかけるか」
「違う! 私は命じられて」
「話はあとでゆっくり聞こう。王宮の牢に入れておけ」
王族や高位貴族の子息が揃っているため、万が一に備えて警護の兵士はそこかしこに待機している。生徒に紛れて護衛している者も多い。そういう人材を揃えるのがバージェフ侯爵家の仕事でもある。
そのため普通に兵士に見える者と生徒にしか見えない者の両方に囲まれ、フローラは連行されていく。それをエミリアは不満げに見ていた。
「特級ポーションの人に何をやらせているのよ」
実際彼女はセストの瞳を元の色に戻せたのだ。呪いも解けて回復も出来る聖女に、なぜ犯罪になるようなことを命じる者がいるのだろう。彼女のように優れた力を持つ人は、保護して存分に力を発揮してもらうべきだ。
「エミリアどうした」
「いいえ、べつに……」
不思議そうにこちらを見たセストの瞳は、たしかに馬車が襲われて助けた時と同じ綺麗な青い色だ。金色の瞳より、同じ目つきの悪さでも幾分柔らかい感じがする。
しかしエミリアと目が合ってすぐ、あっという間に、瞳はまた金色に戻ってしまった。
呪いは解かれず、発動前に戻っていただけだった。
あの日以来、ずっとエミリアを愛しているのだから、当然、彼女を見れば瞳の色は変わる。
今度は、目の前で瞳の色が変わるのを見てしまったエミリアは、誤魔化しようのない方法で愛していると宣言されているようなものだ。
嬉しさと恥ずかしさで頬に一気に熱が集まり、エミリアはその場でセストに背を向け、両手で顔を隠して
「どうした? エミリア?!」
突然背を向けて蹲った婚約者の態度に驚き、セストはエミリアのすぐ横に膝をついて顔を覗き込もうとした。
「瞳……」
「うん。青くなったんだろう?」
「もう……金色……」
「……え」
「呪いは解けていないじゃないか。……だがなるほど。愛しているってそういう証明の仕方があったのか」
「素敵ですわ」
ランドルフとアルベルタに笑顔で言われ、セストもなぜエミリアが恥ずかしがっているのか気付いて、掌で顔を覆って俯いてしまった。耳の先が赤い。
真っ赤になって並んで蹲っているカップルを見る周囲の目は、なんとも言えない生温かさだ。先程一瞬、ぬか喜びしてしまった御令嬢達にしてみれば、アホらしくてやっていられない。
「おまえら、いい加減に立て」
ランドルフに呆れられて立ち上がっても、ふたりはしばらく視線を合わせられなかった。
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