第11話        王太子とアルベルタ編

 二日後の朝、生徒達に捕まるのが嫌なエミリアは、早めに学園に到着した。アルベルタの護衛の必要性もあって、ジーナ達と一緒に彼女を待つことにしているのだ。

 いつも通り先にラウルが馬車を降りるのを待ち、自分も降りようとドアの前で身を屈め、差し出された手に手を伸ばしながら顔をあげて、セストが立っているのに気付いた。


「おはよう、エミリア。やっと会えた」


 てっきりラウルだと思っていたところに、朝から婚約者が現れ不意打ちの笑顔だ。よろめきそうになり、慌てて支えられて引き寄せられた。


「大丈夫か?」

「え、ええ、どうしてここに?」

「最近この時間に登校していると聞いていたからだ」


 セストに背を支えられながら周囲を見回すと、さっさと教室に向かう弟の背中といつも通りに控えている護衛のメンバー、そして呆れ顔でこちらを見ているランドルフがいた。


「おはようございます」

「ああ、おはよう」


 今日は隣に聖女はいないようだ。

 ランドルフの顔に浮かんでいるのは、先日見かけた時の綺麗な笑顔ではなく、にやっと口端をあげた性格がよろしそうな笑みだ。こっちが彼本来の笑顔なのだとしたら、いつのまにかエミリアはランドルフに気に入られていたのかもしれない。

 そこに時刻通りにアルベルタの馬車が到着した。

 どうやらランドルフの目的はそちらだったようだ。


「あ、あの……」


 馬車が停まるとすぐにランドルフが近づこうとしたので、思わずエミリアは声をあげた。


「なんだ?」

「会ってはいけないのでは?」

「もう一週間は終わったぞ」

「そうです……けど」


 今までアルベルタを迎えに来たことなど一度もなかったのに、どうなっているんだとセストを見上げると、笑顔で大丈夫だと言われてしまった。

 何が大丈夫なのかわからなくても、エミリアにランドルフの行動を止める権利はない。しぶしぶ頷いてセストの横に並んだ。


「少し待っていてくれ」


 ランドルフはふたりに声をかけ、馬車のドアの前で小さく息を吐きだしてからドアを開け、馬車の中に入っていった。




◇◇◇◆◇◇◇




 ランドルフが初めてアルベルタに会ったのは、六歳の時だった。

 あなたの婚約者だと紹介された女の子があまりに可愛くて嬉しかったのに、その子はずっと俯いて、ドレスをぎゅうっと握りしめていた。

 話しかけてもおずおずと返事をするばかりで、ちっとも楽しそうじゃない。

 ああ、この子は僕が嫌いなんだなと気付いた時の、がっかりして急激に落ち込んだ気持ちを今でも鮮明に覚えている。


 それからは何人かの子供達が集まるたびにアルベルタも顔を出しはしたが、他の子とは笑顔で話すのに、自分と話す時だけ表情が硬くなり俯き加減になる彼女に苛立って、たまには彼女だけ招待しなさいと王妃に言われても断っていた。

 やがてお妃教育が始まり、アルベルタが頻繁に宮殿を訪れるようになっても、ふたりの距離は縮まらず、むしろ思春期に突入していたために意識してしまって、互いに相手を避けていた。

 でも、公式行事の時には一緒に行動しなくてはならなくて、その時だけはふたりとも、これは仕事だからと完璧なカップルを演じてきた。


 いや、少なくともランドルフは演じてはいない。

 頭の回転が早くたたずまいが優雅で、王太子妃に相応しく美しく成長していくアルベルタが、前より好きになっていた。

 だからこそ、自分を避けるアルベルタの態度が気に障るのに、彼女の口から婚約解消してほしいと言われるのが嫌で、どうしてそういう態度をとるのか問いただすことが出来ない。 

 アルベルタにお妃教育があるように、ランドルフも学ばなくてはいけないことが多いために自由になる時間は少なく、学園に通うようになっても顔を合わせないようにするのは簡単だった。


 そうして結論を先延ばしにしていたせいで、アルベルタをつらい立場にしていたと気付けたのは、エミリア達のおかげだ。

 セストとエミリアが婚約したために、ランドルフとアルベルタの交友関係がクロスし、今まで知らずにいた話が耳に入るようになったのだ。


「アルベルタは殿下を嫌っていないみたいですよ」


 リベリオに言われて、ランドルフがどれだけ驚いたか。

 最初はいい加減なことを言うなと文句を言うくらい、信じられない言葉だった。

 本人に確認したい。でも聖女の相手をしなければいけない一週間は、アルベルタには会えないことになっている。

 今まで散々避けて来たくせに、一週間が終わるまでの残り二日間がとても長く感じた。

 ようやく会える日になって、早朝から彼女に会うために学園で待ち、彼女の馬車を見た時は一気に鼓動が早まった。


 馬車から降りようとしていたのだろう。ランドルフがドアを開けた時、アルベルタはこちらに片手を伸ばした状態で目を見開いて固まっていた。

 早朝でも、そんな表情でも、彼女は綺麗だった。

 金色の睫に縁取られた大きな目はくっきりと二重で、澄んだ青い瞳はじっと見ていると吸い込まれそうな海の色だ。うっすらと開いた唇は少し厚めでふっくらとしていて、いつか触れてみたいと前から思っていた。


 ずっと好きで、でも嫌われていると思って、苛立って、意地を張って、好かれる努力も、話し合うことすらしてこなかった。

 おそらく今が、ふたりの関係を修復する最後のチャンスだろう。


「おはよう」

「で、殿下……どうして」

「殿下?」

「ラ、ランディ、どうしたの?」


 セストやリベリオと親しくなる過程で話し方や呼び方を変えさせた時に、どさくさに紛れてアルベルタにも敬語をやめさせ、ランディと呼ぶように話した昔の自分だけは褒めてやりたい。

 リベリオだけは年下だからと、いまだに殿下と呼ぶのをやめないあたり、なかなかに頑固だ。


「迎えに来た。それに大事な話がある」

「な……んでしょう」


 最初の驚きが薄れると、アルベルタはいつもの感情の読めない顔つきになり、少しだけ俯いて瞳を隠した。

 いつもはそれに苛立ち、背を向けていたが今日は違う。


「この姿勢では話しにくい。座ってくれ」

「え? ……でも、ここに馬車を長く停めては」

「すぐ終わる」


 無理矢理馬車に乗り込んでしまえば、アルベルタは後ろに下がるしかない。

 ドアを閉めれば、密室にふたりきりだ。


「あ、あの……」


 馬車の天井はそれほど高くはない。

 押されて仕方なく腰を下ろしたアルベルタの頭上の壁に手を突き、身を屈めて顔を覗き込んだ。


「ちょ、ちょっと……近い……」

「アルベルタ」

「はい」

「俺が好きか?」

「ええっ?!」


 嫌いかと聞いても、きっと彼女はお妃教育で鍛えた無表情で、そんなことはないと答えるだろう。

 ならば少しでも慌てさせて素の顔が見えるように、最初からいつもとは違う態度で行くとランドルフは決めていた。


 そして、それは非常にうまくいったようだ。

 背もたれにぴったりと背中をつけて、驚いた表情のままで固まっていたアルベルタの頬が、それは見事に真っ赤に色付いたからだ。


「な、なにを突然」


 声がひっくり返ってしまっている。

 逃げる気だったのか、横にずれようとしたところを背凭れに手を突いてゆく手を塞いだ。これでもうアルベルタは、ランドルフの両手で作った狭い空間の中に閉じ込められてしまった。


「俺は、最初に会った六歳の時から、おまえが好きだった」

「……え?」


 か細い声を漏らし、じっとランドルフの顔を見上げ、アルベルタは急に俯いて首を横に振った。


「嘘です。そんな。それに最初に私達が会ったのは五歳の時です」

「は? ってぇ!」


 驚いて身を起こしたために天井に頭をぶつけたランドルフは、頭を押さえてその場にしゃがみこんだ。


「ランディ?! 大丈夫?」

「大丈夫だ。五歳の……いつだ?」

「宮殿で行われた王妃様主催のお茶会の席です。あなたの婚約者候補を決めるとかで、女の子がたくさん招待されていました」

「……ああ」


 思い出した。二十人以上の女の子に順番に挨拶されて、最後のほうはどうでもよくなってしまった覚えがある。

 そして公爵家令嬢が挨拶するのは一番最後だ。


「そうか、あの時……」

「あなたはちらっとこちらを見てすぐに横を向いて、父にだけ挨拶して、すぐにいなくなってしまったわ。私は嫌われたんだなって」

「違う。あの時は二十人以上の女の子に挨拶されて、うんざりしていたんだ。セストやリベリオとも顔を合わせたばかりで、彼らや他の友人も参加していたから遊びたくて」


 五歳の男の子に、何時間もじっとしていろと言うのは酷な話だ。

 延々と続く挨拶を、最後まで我慢して聞いていただけでも褒めてもらいたい。

 可愛い子も綺麗な子もいたとしても、五歳のランドルフは汚したら怒られそうなドレスを着た女の子より、一緒に走り回れる男の子と遊びたかった。


「すまない。その時の女の子達は、もう誰が誰やら全く覚えていない」

「……でも六歳の時も、怖い顔をして睨んで……婚約したくないんだなって」

「おまえが俯いて目を合わさず、強張った顔をしていたから嫌われたんだと思って苛立っていた」

「嘘でしょう……」

「いや嘘じゃない。俺はその六歳の時からずっと、おまえが好きだ」

「す……う、嘘です。嘘だわ」

「落ち着け」

「う……」


 アルベルタは椅子に座り、ランドルフは彼女の前に向かい合ってしゃがんでいた。そのためちょうど目の前に彼女の膝があったので、落ち着かせようという思い半分、触ってみたかったという思い半分で、膝の上に手を置いた。


「落ち着いたか?」

「な、撫でないでください!」

「また敬語か。ともかく俺はお前を嫌っていない。もっと早くこうして話せばよかったのに、遅くなってすまない」


 その場で軽く頭を下げたが、この体勢だと膝に謝っている気がして身を起こし、再びアルベルタの背後に、今度は両手を背凭れの上について顔を寄せた。


「ま、待ってくだ……待って」

「いや、待たない。おまえは厳しい教育を受けているからな。そうして慌てているうちに話を進めないとめんどうだ。出来ればふたりきりの時は、今のままのほうがいいぞ。かわいい」

「か、か、か……」

「それで、おまえは俺が嫌いなのか?」

「嫌いだなんて、どうして」

「好きか?」

「ああもう。ちょっと、本当に待って」


 とうとう真っ赤な顔を両手で覆ってしまったアルベルタを見れば、もう答えはわかっている。

 

「顔を隠すな。答えは……って、泣いてるのか?」


 顔が見たくて片手をどかしたら、アルベルタの瞳が潤んで、今にも涙がこぼれそうになっていた。


「これは……安心して。話って、婚約解消かと思って」

「婚約解消なんて、頼まれたってするもんか」


 慌てて横に腰を下ろし、アルベルタの肩を抱き寄せる。

 両腕で抱え込んでから、こんなに接近したのは初めてだったことと、腕の中のアルベルタが硬直していることに気付いた。


「あー、すまん。つい……」


 もしかしたら嫌がっているかもしれないと思っても、ようやく抱きしめられたアルベルタを離す気にはなれなかった。

 少しして服を引っ張られる感覚にそちらを見ると、アルベルタの細い指がランドルフの服を握り締めていた。


「い、いえ……こ、婚約者ですから」


 湧き上がってきたこの感情が愛しいという想いなら、今ならエミリアのことになるとアホになるセストの行動も理解出来るとランドルフは思った。


「そうだよな。婚約者なんだから、このくらいは当然だ」

「そ、そうですけど、そろそろ降りないと」

「もうこのままサボって帰るか」

「駄目です!」


 どうやらアルベルタは、少しずついつものペースを取り戻してきたようだ。

 もう少し慌てた顔が見たくて、頬を赤らめているのが可愛くて、まだ涙の跡が残っている目元に口づけた。


「ひゃあ」


 息を吸い込むのと悲鳴を上げるのを同時にしようとして、変な声が出てしまって、慌てて口元を押さえたアルベルタを抱きしめ、ランドルフは久しぶりに声をあげて笑うことが出来た。




◇◇◇◆◇◇◇




「ひゃあ」


 馬車の中から聞こえた声に反射的に駆け寄ろうとしたエミリアの腕を、セストは素早く掴んだ。


「放して」


 続いて、楽しげなランドルフの笑い声が聞こえてきた。

 喧嘩をしているわけでも、深刻な話をしているわけでもないようだが、ともかく長い。もうランドルフが乗り込んでから、ずいぶん時間が経っている。


「大丈夫だ」

「大丈夫じゃないです。婚約者といっても独身の男女がふたりだけでいては駄目ですよ」

「建前ではな」

「でも学園ですし、みんな見ているじゃないですか」

「重要な話をしているんだ」


 重要な話をしていたら、あんな声が聞こえるはずがない。


「なにを心配している? ランディが何かすると思っているのか?」


 腕を掴まれているというのに、そのまま歩き出そうとしているエミリアを引き寄せながらセストは尋ねた。


「するかもしれないでしょ?」

「なにを?」

「…………それはわからないですけど」

「わからないのか」

「わからないですよ?」


 楽しそうにそんなやり取りをしているカップルの少し後ろでは、ジーナとエラルドが朝から疲れた顔で、護衛のために待機していた。


「私達、ここにいる必要あるのかな」


 ランドルフとセストがいるのに、アルベルタやエミリアに手を出そうとする者はいないだろう。


「……今日もいい天気だな」

「逃避しないでよ!」


 アルベルタとエミリアが登校する時間を早めているという事は、すでに何人もの生徒が気付いていた。そのためにいつもより早く登校する生徒が増えていたために、同じ馬車からランドルフとアルベルタが降りてきたことは、すぐに学園中に知れ渡った。


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