第9話
約束通りアルベルタは侍女やデザイナーを伴い、週末にマルテーゼ家を訪問した。
ホールにテーブルやトルソーを並べ、エミリアのドレスをチェックし、直せる物は直し、新しいドレスのデザインを描き起こし、採寸し、一日中大変な騒ぎだ。
エミリアはまだいい。同じ屋敷内でドレスを移動するだけなのだから。
だがエレナの侍女は大変だ。ドレスを山ほど馬車に積み、早朝から隣の屋敷に運び込んだ。
「こんな色は私には無理です」
「無理じゃありません! あなたのクローゼットの中は、孫がいるくらいの年齢の女性より地味な色合いですよ!」
「そ、そんな……」
「ええ?! こんなに肩を出すんですか?!」
「夜会用ですからこのくらいは普通です!」
採寸している時には貴族のご令嬢相手ということで、それは丁寧な物腰だったデザイナー達も、時間が経つにつれて遠慮がなくなってきた。
若くて可愛い貴族の娘が、地味でさえないドレスを着ているというのは、デザイナーにとっては大問題らしい。デザイナーにふたりの意見は却下され、アルベルタの意見だけが採用されていく。
「こんなにたくさん服を作るなんて……」
「夜会なんて滅多に行かないのにね」
「あなた達、自分が十七歳だとわかっているの?! 特にエレナ、エミリアは婚約者がいるからまだいいけど、あなたは今年が勝負なのよ」
「は……はい」
「よく言ってくださいました。エレナはいつまでたっても他人事で困っていたんです」
アルベルタの言葉を聞いて、エレナの母親は嬉し涙を浮かべながら、何度も礼を言っていた。
独り身仲間のエミリアが、セストという超優良物件と婚約してしまったので、エレナの母親としては気が気ではないのだ。だけどポーションなんて作れない普通の娘なので、見た目だけでも気にしてくれと言っているのに、本人の趣味が地味すぎて、たまに子持ちに間違われるほどだ。
ただエミリアが婚約してから、エレナも学園でよく声をかけられるようになり、男の友達が増えてはいた。
セストの婚約者として突然噂の的になったエミリアを、貴族達は様々な伝手を使って調査した。
今までは目立たなかったから気にされなかっただけで、エミリアは普通に王宮に出入りしていたので、調べればすぐにいろんな事実が出て来る。
国王夫妻の元に月に一度は通っている。
特に王妃のお気に入りで、国立錬金術研究所ではかなり上の立場の有名人らしい。
マルテーゼ伯爵が経営している宝飾店によく出入りしている。実際に経営しているのは彼女かもしれない。
だったらかなりの財産を持っているのではないか。
噂が噂を呼び、今では学園でエミリアを知らない者はいない。
セストにとってはいい迷惑だ。突然、婚約者の周りに男が近寄ってくるようになったのだから。
「おはよう、セスト。お迎えありがとう」
だから、ようやくアルベルタ監修のドレスが出来上がったと聞いて、セストは絶対に屋敷まで迎えに行くと言い張った。そして笑顔で現れたエミリアを見て、迎えに来てよかったとしみじみと思った。
学園用のドレスなので、内側のアクアマリン色に小さな花柄の刺繍のされたスカートは、ふくらみのないシンプルなものだが、上にシースルーの布が重ねられていて、歩くと布越しに見える刺繍が美しい。デコルテもシースルーで、スカートの裾と喉元には白いレースがあしらわれていた。
髪はハーフアップにして、小さな花の付いた鎖を髪と一緒に編み込み、シトリンの小さなピアスをつけている。
化粧も流行の化粧をしっかりと学んだ侍女が、ナチュラルに見えて、でも可愛さをアップ出来るように丹念に仕上げてくれた。鏡を見たエミリアも、こんなに見栄えが良くなるものなのかと驚くくらいの出来栄えだ。
「お……はよう」
アルベルタの苦労はしっかりと報われていた。
エミリアを見たセストが、呼吸と瞬きを忘れて婚約者に見惚れたのだから。
ただ彼の場合は、すっぴんで寝起きのエミリアを見ても、同じように見惚れただろう。
「え? 誰?」
遅れて玄関ホールに出てきたラウルまで、エミリアを見て最初に発言した言葉がこれなのだから、イメージがだいぶ変わっていたのだろう。
「ラウル、あなたちょっと失礼よ」
「だって、うちの姉がこんなに可愛いわけがない!」
「え? そう?」
普段手厳しいラウルが褒めるのなら、少しは自信を持ってもいいのかもしれない。
「ほら、彼氏が息していないよ」
「ええ?! セスト!」
慌てて腕を掴んで揺すると、ようやく頭が起動したセストが息をついた。
「おはよう」
「それはさっき聞いたわ。大丈夫?」
「エミリア」
「はい?」
「そこまで可愛くする必要はあるのか?」
「……」
ものすごく真剣な表情で、ものすごくどうでもいいことを聞かれている気がする。
エミリアの隣で、婚約者同士のいちゃつきを見せられたラウルは、朝から疲れて先に馬車に向かった。
婚約者であっても、男女がふたりだけで馬車に乗るのはあまり勧められない。学園に行くとなったら特にだ。注目されているふたりのために、ラウルは尊い犠牲になったのだ。
「バージェフ様と一緒にいるのは誰?」
「マルテーゼ嬢が錬金術師だって聞いたか?」
「かなりの腕だって聞いたぞ。それであんなに可愛くて金持ちだって?」
「バージェフはうまくやったな」
混み合う朝の車寄せで、バージェフ家の馬車から降りたセストがエスコ―トするエミリアの変化は、本人が思うよりも大きな波紋を広げた。
今までは、セストに釣り合わない地味な女だと言われていたのが、いつのまにかバージェフ侯爵家が、エミリアを手に入れるために息子を使ったと言い出す者まで現れたのだ。
「なにをしても嫌なことを言う人がいるのね」
「すまない。きみは静かな暮らしを望んでいたのに」
「いいのよ。それに不釣り合いだと言われなくなって嬉しいし」
「彼らが気付いていなかっただけだ」
以前は八つ当たりで嫌がらせをしようと近づいてくる女性陣を排除するために護衛をつけたのに、今ではエミリアの気を引こうと近付いてくる男性陣を排除する割合が増えてきている。
これで付与魔法まで出来ると知られたら、あるいは特級ポーションまで作れると知られたら、もっとエミリアの注目度が増え、力づくでモノにしようとする貴族が出てくる可能性がある。
だが、護衛ならしっかりとつけられる。
三日前、エミリアがバージェフの屋敷を訪れていたからだ。
護衛や諜報の仕事はやはり危険なのだろう。古傷のある者は多かった。
ただ遠慮があるのか、ポーションの金額を考えてしまうのか、たいした傷じゃないから自分は平気だ。他の者を治してくれという者が多かった。バージェフ侯爵が心配していた執事もそのひとりだ。
しかし、ポーションを残しても畑に撒くだけだとエミリアが言ったら、それならば試しに使ってみたいという者がやっと出てきた。そうして目の前で傷が治るのを見れば、自分もという気持ちになるものだ。
最後の方は半ば強制的にセストが怪我人を連れて来て、持ち込んだポーションをすべて使って傷を癒したのだ。
生活に支障がないと思っていた傷も、完治して初めて無意識に庇っていたと気づくこともある。
傷が治った人達が感謝してくれるだけでなく、ビアンカやジャンのように彼らの家族も感謝してくれて、バージェフ侯爵の思惑通り、たった一日でエミリアはセストの婚約者として受け入れられた。
そのおかげもあって学園での護衛の人材に余裕が出来、心配してくれるセストとの関係も良好だ。
だがエミリアとしては友人が気になって、自分の幸せばかりを喜んではいられない。アルベルタとランドルフとの関係はいまだにわだかまりがあるのか、会えば挨拶はするようになったが、変化はそれだけだったのだ。
そこに、新たな心配事が持ち上がった。
「聖女?」
国教の女神フロリアーナを称える教会が、聖女が現れたと発表したのだ。
男爵家の一人娘である彼女は、人を癒す力があるという。
「癒す? 回復魔法なら使える人はたくさんいるでしょう?」
「心臓さえ動いていれば、どんな怪我でも全て治せるそうだ」
「特級ポーションの人間版ね」
「……まあ、間違ってはいない」
エミリア的には最大限の賛辞のつもりだったのだが、ジャンの反応はいまいちだ。
「それに気になるのはな。……ほら」
ジャンが窓の外を指さす。
なんだろうとエミリアだけでなく、エレナとジーナも窓から外を見ると、すぐ下の中庭をランドルフがハニーブロンドの美しい女性をエスコートして歩いていくのが見えた。
「フローラ・コルティ。男爵令嬢だ。殿下自ら転校生に学園の案内をしているなんてな」
「彼女が聖女?」
「そういうこと」
ちらりと横顔が見えただけだが、非常に愛らしい顔をしていた。
だがランドルフには婚約者がいるというのに、華やかなピンク色のドレスを纏いランドルフにべったりと寄り添い、腕に頭をもたせかけて歩く姿に、いい印象を持つ者はいないだろう。
「あれが……特級ポーションの人」
「あの態度はどうなの? アルベルタ様が気の毒よ」
ランドルフは笑顔でフローラと会話しているが、側近のセストとリベリオは少し離れて後方を歩き、うんざりとした様子を隠していない。
「セスト様は、あの女が嫌いみたいよ」
エレナに言われて、エミリアは曖昧に頷いた。
ほっとすると同時に、アルベルタに申し訳ない気分にもなってくる。
「聖女が転校生? 教会で仕事をした方がいいんじゃないの?」
いつの間にか窓際に教室にいた生徒のほとんどが集まっていて、ジーナのもっともな言葉に頷いていた。
エミリアに嫌味を言っていた御令嬢達も、ランドルフに引っ付いている聖女の方がより苛立つらしい。
「もしかして、聖女を王太子妃にする気なのでは」
仲良さそうに建物に入っていくランドルフと聖女の姿を見送った後では、誰かが呟いた言葉は、笑って聞き流せない雰囲気だった。
◇◇◇◆◇◇◇
翌日の昼食時、いつものように食堂に向かったエミリアは、入り口前の廊下に立ち止まっているアルベルタとビアンカを見つけた。
「こんな場所でどうなさったんです?」
「あ……エミリア」
「うわ、あの女……」
困り顔で立ち去るそぶりを見せていたアルベルタにエミリアが声をかけている間に、一足先に食堂の入り口に向かったジーナが、怒りの籠った声で呟いた。
食堂の列の後方に、ランドルフとフローラが仲良く腕を組んで並んでいるのだ。傍にセストやリベリオはいない。リベリオはまだ教室にいたから、これから合流するのかもしれない。代わりに、たまに見かけるランドルフと同じクラスの男子がふたりと一緒に並んでいた。
「一緒にいるうちのひとりは、例の辺境伯家の息子です」
隣国の王女を宮廷に連れて来て、魅了を使わせてしまった辺境伯家だ。
王女が魅了を使ったのは彼女ひとりの判断だったと、隣国も辺境伯家も責任を王女ひとりに負わせ、関係を否定した。そのため多少の罰を受け、領地が減らされたとはいえ、辺境伯は何食わぬ顔で王宮に出入りしている。
「どうします? 何か買って中庭で食べましょうか?」
「いいえ。私が遠慮する必要はないでしょう。みなさん、一緒に行っていただけます?」
「喜んで」
「まいりましょう」
アルベルタが食堂に顔を出した途端、好奇心丸出しの視線が向けられた。それでもアルベルタはしっかりと前を向いて列の最後尾に歩いていく。
つい遠慮して、言いたい言葉も飲み込んでしまっては何も変わらないと、エミリアが教えてくれた。まだ王太子婚約者である以上、ここで情けない顔は見せられない。
「何を食べましょうか」
「今日も混んでいますわね。作って持ってきてサロンで食べている方もいるんですって」
「それもいいですね」
アルベルタを視線から守るようにエミリアが横に立ち、すぐ後ろにエレナとビアンカが並ぶ。更に後ろにジーナとエラルドが並んで周囲に注意を払っていると、ちらっとこちらにランドルフが視線を向けるのが見えたが、すぐに前に顔を向けてしまった。
「ジョルアーナ嬢、わざわざあなたが並ばなくても、なにがいいかおっしゃってくだされば、私が並びますよ」
すぐ前に並んでいた男子生徒が、アルベルタに気付いて声をかけてきた。
「ブラーティ様、ありがとうございます。でも並んでいる料理を選ぶのが楽しいんです」
「たしかに。それはそうですね」
「では、席を確保しておきましょう。そちらは四人ですか?」
「六人です」
「六?!」
今までアルベルタに男性陣が声をかけてくることはなかった。ランドルフに敵対するわけにはいかないからだ。
だがランドルフが聖女に乗り換えるのなら、公爵家令嬢であるアルベルタは高位貴族の子息にとって、是非とも縁組したいご令嬢だ。モテないわけがない。
側近のビアンカも可愛らしさで人気のある令嬢だ。
更に一緒にいるメンバーが、学園内で今一番の話題のエミリアと、最近可愛くなったと噂されているエレナだ。目立たないわけがない。
「ギルランタ嬢、今日のドレス、お似合いですね」
「そ、そうですか?」
「マルテーゼ嬢、今度サロンで一緒にお茶をいかがですか?」
「え? 私?」
しっかり者で落ち着いているエレナは、地味な色合いのドレスを着ていたために老けて見えていたのだが、明るい色合いに変えたおかげで年相応に見えるようになった。
流行の化粧で華やかになった彼女は、アルベルタやエミリアと親しい伯爵令嬢だ。次世代の社交界の中心になれる位置にいる。
そのため、あっという間に優良縁談相手の上位に名前があがるようになっていた。
おかげでエミリアとエレナが並んで歩いていると、いろんな人に声をかけられて、移動に今までの倍以上時間がかかってしまう。
護衛をつけてもらっていてよかったと、最近は毎日しみじみと感じていた。
「実は私は錬金術に興味を持っていて、講義も受けているんですよ。いろいろ教えていただけると嬉しいです」
「まあ、セスト様に伝えておきますね。レニーニ伯爵子息」
列の後方から顔を覗かせてジーナが満面の笑顔で告げると、彼は慌てて列の後ろの方に移動して行った。
「ったく、エミリアは婚約者が決まっているっつーの!」
「また殿下がこっちを見た」
「今?」
「あの男を睨んでいた」
「へえ」
アルベルタに他の男が近づくのが気に入らないのに、なんで自分は聖女を張り付けて歩いているのか。
「セスト様に確認した方がよさそうね」
ジーナに小声で言われ、エラルドは黙ってうなずいた。
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